オリンピックの話題、ぜんぜん、書いていない。
ひとことぐらい、感想を書いてもいいものだけど。
いま、わたしは、どうやら死んだような脳波になっている。
波は上がりも下がりもせず、静かで平坦。
今日は何日?も、カレンダーで確かめなくてはわからない。
これ、ジョークの世界から抜け出ている。
ブラック・ユーモアも、抜けて、たんに認知症、直前予備軍。
とはいうものの、じつのところ、若い時から、こんなかんじ。
よくまあ、今日まで生きながらえたものだ。
・・・
山崎豊子さんの絶筆の資料、筋書きが見つかったとか。
戦争は絶対に回避せねば、との強い思いが込められているそうだ。
戦争に青春時代を塗りつぶされた山崎氏は、もっと勉強したかった、と、顔を歪めて訴えておられた。
わたしの母や義母と同じ世代である。ちょっとだけ山崎氏のほうがお姉さんか。
昨年、88歳で亡くなっている。
旧制京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科卒。
毎日新聞勤務の後、文筆活動。
国文科って、こういうことを言うのか。
新聞社って、こういうことをするのか。
ふむふむ納得。
船場の生まれ、ということで、あれ、お嬢さんなのかな?と思いきや、
老舗昆布の「小倉屋山本」の娘さんだったんだとは、知らなかった。
なるほど。
社会派で取材が念入りびっしり、取材資料を使うので、盗作疑惑も幾度かあったようだ。
が、いやはや・・・すごい人、
才能、根気、忍耐力、集中力、構成力、表現力、パワーの人・・・プロの中でも頂点に立つ人は違うと感じる。
わたしごときが、山崎氏のことを絶賛、誉めてみても、なんの関連も、とっかかりもないが。
一ファンとして。
(といいつつ、小説、読んだことがない・・・お粗末さ)
・・・
わたしは、集中力がないので、文字だけに集中できない。
途中に映像が入ったり、音が入ったり、色や、ニオイや、振動や、温度、湿度、質感、
ありとあらゆるものが、こちゃっと邪魔をして、そっちにふらふら流れて、なにがなにやら、わからなくなる。
枝葉ばかりに飛んでいく。
なので、脳みその作りが、雑。
あれもこれも、で、結局なにも、モノにできない。
ちょっとずつ色々の、混ぜご飯で、それはそれで満足しているのだが。
・・・
わたしは、・・・
自分は、自分は・・・と、自分ことしか関心がなく、それ以外は、すべて、自分を取り巻く彩りに過ぎない。
凡人は、そんなものかも知れない。
取巻いてほしくなかったりもする、一人が好きな空想家でもある。
最近、さすがに年をとったせいか、さほど自分に関心がなくなってきた。
これは、非常によい傾向だとわたしは自負している。
自分以外になにに興味が湧くか?
平凡なところでは、家族とか、その周辺の人々。
あとは、自然とか。
分類が極端か。
・・・
子育て時代、夫の実家に毎週末、土日に行っていた。
「行く」のではなく、「帰る」という表現を使わされていたが、なんの抵抗もなく「帰る」と言っていた。
(その影響だと娘は言うのだが、娘たちは必ず毎週、我が家に来る)
片道1時間の、その行き帰りの車の中で、わたしは、子供たちに創作物語を聞かせていた。
デタラメの作り話で、口から出任せだったが、子供たちは、けっこう面白がって聞いてくれていた。
「昔、昔、あるところに・・・」の定番パターンから始まって、冒険モノやら、漫画チックなものやら。
口頭での出任せなので、じつに、程度の低いものであり、あれがもっと高度なものなら、
子供たちは素晴らしい感性に育っていたかも知れないが。
未知の能力が開発されていたかも知れないが。
まあ、いい。
トンビは、鷹を生まない。
英才教育らしきものをゼロ歳児の孫にしている娘を横目に、わたしは、なにも口をはさまない。
鷹にならなくてもいいから、娘が機嫌よく子育てしてくれたらそれでいい。
ひょっとしてひょっとすると、突然変異で鷹に化けるのかも知れないし、遠くから期待せず、見守るだけである。
「あんまり最初から張り切って飛ばすと、息が切れるよ」、と言いたいが、言わずに、ぐっとこらえる。
あんな面倒なこと、ご苦労様だとも思う。
だが、信じて努力するのはいいことだ。
ただ、わたしは、過去に似たようなことを熱心にやっていた親御さんのお子さんたちの、その後を知っているので、
あんまりやっても、やらなくても、変らないよ~と言いたいが、
熱意に水を注すようなことは、言わないほうがいいかなあと思っている。
あの時、やったにもかかわらず、こんなに馬鹿になってしまった・・・と嘆くほうが、
あの時、やらなかったから、こんなに馬鹿になってしまった・・・と嘆くより、
マシかなあ・・・と。
林真理子氏も言っていた。
やった後悔より、やらなかった後悔のほうが、大きいと。
夢は持ったほうが、持たないよりもずっといい。
ただし、ありえないような夢を子どもに押し付けてはいけない。
・・・
可能性の開花に手を貸すのは、素晴らしいことだ。
子どもだけでなく、なんでも人材の育て方、能力の伸ばし方は、ほんとうに難しい。
自分は、もうこれ以上は当然伸びないし、後は消滅に向かってスローダウンするだけ。
ほんの少しでも、人の役に立てたら本望だ。
役に立っていると思っているのは本人だけで、実際は、邪魔だったりするが、
ケースバイケースということで、お茶を濁そう。
ひとことぐらい、感想を書いてもいいものだけど。
いま、わたしは、どうやら死んだような脳波になっている。
波は上がりも下がりもせず、静かで平坦。
今日は何日?も、カレンダーで確かめなくてはわからない。
これ、ジョークの世界から抜け出ている。
ブラック・ユーモアも、抜けて、たんに認知症、直前予備軍。
とはいうものの、じつのところ、若い時から、こんなかんじ。
よくまあ、今日まで生きながらえたものだ。
・・・
山崎豊子さんの絶筆の資料、筋書きが見つかったとか。
戦争は絶対に回避せねば、との強い思いが込められているそうだ。
戦争に青春時代を塗りつぶされた山崎氏は、もっと勉強したかった、と、顔を歪めて訴えておられた。
わたしの母や義母と同じ世代である。ちょっとだけ山崎氏のほうがお姉さんか。
昨年、88歳で亡くなっている。
旧制京都女子専門学校(現在の京都女子大学)国文学科卒。
毎日新聞勤務の後、文筆活動。
国文科って、こういうことを言うのか。
新聞社って、こういうことをするのか。
ふむふむ納得。
船場の生まれ、ということで、あれ、お嬢さんなのかな?と思いきや、
老舗昆布の「小倉屋山本」の娘さんだったんだとは、知らなかった。
なるほど。
社会派で取材が念入りびっしり、取材資料を使うので、盗作疑惑も幾度かあったようだ。
が、いやはや・・・すごい人、
才能、根気、忍耐力、集中力、構成力、表現力、パワーの人・・・プロの中でも頂点に立つ人は違うと感じる。
わたしごときが、山崎氏のことを絶賛、誉めてみても、なんの関連も、とっかかりもないが。
一ファンとして。
(といいつつ、小説、読んだことがない・・・お粗末さ)
・・・
わたしは、集中力がないので、文字だけに集中できない。
途中に映像が入ったり、音が入ったり、色や、ニオイや、振動や、温度、湿度、質感、
ありとあらゆるものが、こちゃっと邪魔をして、そっちにふらふら流れて、なにがなにやら、わからなくなる。
枝葉ばかりに飛んでいく。
なので、脳みその作りが、雑。
あれもこれも、で、結局なにも、モノにできない。
ちょっとずつ色々の、混ぜご飯で、それはそれで満足しているのだが。
・・・
わたしは、・・・
自分は、自分は・・・と、自分ことしか関心がなく、それ以外は、すべて、自分を取り巻く彩りに過ぎない。
凡人は、そんなものかも知れない。
取巻いてほしくなかったりもする、一人が好きな空想家でもある。
最近、さすがに年をとったせいか、さほど自分に関心がなくなってきた。
これは、非常によい傾向だとわたしは自負している。
自分以外になにに興味が湧くか?
平凡なところでは、家族とか、その周辺の人々。
あとは、自然とか。
分類が極端か。
・・・
子育て時代、夫の実家に毎週末、土日に行っていた。
「行く」のではなく、「帰る」という表現を使わされていたが、なんの抵抗もなく「帰る」と言っていた。
(その影響だと娘は言うのだが、娘たちは必ず毎週、我が家に来る)
片道1時間の、その行き帰りの車の中で、わたしは、子供たちに創作物語を聞かせていた。
デタラメの作り話で、口から出任せだったが、子供たちは、けっこう面白がって聞いてくれていた。
「昔、昔、あるところに・・・」の定番パターンから始まって、冒険モノやら、漫画チックなものやら。
口頭での出任せなので、じつに、程度の低いものであり、あれがもっと高度なものなら、
子供たちは素晴らしい感性に育っていたかも知れないが。
未知の能力が開発されていたかも知れないが。
まあ、いい。
トンビは、鷹を生まない。
英才教育らしきものをゼロ歳児の孫にしている娘を横目に、わたしは、なにも口をはさまない。
鷹にならなくてもいいから、娘が機嫌よく子育てしてくれたらそれでいい。
ひょっとしてひょっとすると、突然変異で鷹に化けるのかも知れないし、遠くから期待せず、見守るだけである。
「あんまり最初から張り切って飛ばすと、息が切れるよ」、と言いたいが、言わずに、ぐっとこらえる。
あんな面倒なこと、ご苦労様だとも思う。
だが、信じて努力するのはいいことだ。
ただ、わたしは、過去に似たようなことを熱心にやっていた親御さんのお子さんたちの、その後を知っているので、
あんまりやっても、やらなくても、変らないよ~と言いたいが、
熱意に水を注すようなことは、言わないほうがいいかなあと思っている。
あの時、やったにもかかわらず、こんなに馬鹿になってしまった・・・と嘆くほうが、
あの時、やらなかったから、こんなに馬鹿になってしまった・・・と嘆くより、
マシかなあ・・・と。
林真理子氏も言っていた。
やった後悔より、やらなかった後悔のほうが、大きいと。
夢は持ったほうが、持たないよりもずっといい。
ただし、ありえないような夢を子どもに押し付けてはいけない。
・・・
可能性の開花に手を貸すのは、素晴らしいことだ。
子どもだけでなく、なんでも人材の育て方、能力の伸ばし方は、ほんとうに難しい。
自分は、もうこれ以上は当然伸びないし、後は消滅に向かってスローダウンするだけ。
ほんの少しでも、人の役に立てたら本望だ。
役に立っていると思っているのは本人だけで、実際は、邪魔だったりするが、
ケースバイケースということで、お茶を濁そう。