エッフェル塔って、世界中から、おのぼりさんが集まるところ。
ほんとうに、ほんとうに。
通天閣のワールドワイド版。
パリっ子だの、東京っ子だの、自分は都会人だと自負している方々。
それがどうしたの?です。
アフリカの動物が自由にたむろしている自然がステキって思う人や、
宇宙から見た地球は青くてキレイって、思う人、
自分のこじんまりした部屋が大好きと思う人、
こ汚い赤提灯が落ち着くという人、
いろいろだ。
・・・
ちなみに、話はころっと変るが、
女性は贅沢だ。
高級レストランのランチには、女性が佃煮のように、わんさかわんさか集まっている。
どの人もどの人も、みんな女性。
平日の昼間ということで客層は偏るとしても、皆さん、とっくにリタイアされたお年の方ばかり。
「あんたは、来なくていい」とばかりに、皆さん、夫は家に置いてきているのか?
男性客は、店舗のなかで、一人いるか、いないか。
彼女たちの家族は、彼女たちの贅沢ぶりを知っているのだろうか?
夫は?
子供たちは?
若い働く女性たちは、また同じような人たちと、テーブルを囲んでいることだろう。
いずれにしても、女性が多いように思う。
男性は、飲むから?
あるいは、他に出費があり、食費は抑えている?
熟年シニア層の女性の皆さま。
もう夫も仕事はリタイアしたので、奥様も家事もリタイア。
今まで食事作りは十二分にしてきたので、今度は自分が楽しむ番、というわけか?
いつ、健康を害して食べられなくなるかも知れないし、今のうちに・・・と、切羽詰る気迫さえ感じる。
たまの自分へのご褒美か?
夫や親の介護を終えた自分へのねぎらい、
または、これから肩に圧し掛かる重圧の前に、最後のオアシスか?
少なくとも、苦労・苦渋・真っ只中の方は、いないように思う。
アベノミックス効果なんぞ、まったくどこ吹く風?と嘆く年金暮らしの人もいる一方で、
景気回復、街は賑わいを戻しているかのように見える。
これが、仮のうわべだけの姿、泡沫(うたかた)でないことを願うばかりだ。
・・・
明日をも知れないわが身。
今日を精一杯生きる。
悔いないように。
最近、そう思うようになった。
悔いなく、だらだら生きても、OK。
ノー・ルール。気分のままに。
ジャッジされる目など取り除き、気にしない。
暗い辛く苦しい顔をして耐え忍んでいると、自分が病気になる。
「一生、このままで」、とか、「永遠に」、とか、そういう言葉を使いたくない。
毎日、毎日、精一杯生きたら、それがつながったら、一生ということになる。
点と点は、やがて線になる。
とりあえずは、毎日、そして、1ヶ月、半年。
短期ビジョンと中期ビジョン。
年を重ねると、長期展望は、自分が死んだ後のことになる。
遺言の世界だ。
100年後のために、子孫に自分の思いを伝えたい。
そう書くと、笑う方々も多いことだろう。冷笑されそうだ。
自分ではできなかったことや、完了していないことを客観的に伝えたい。
継続して欲しいが、できなければ、それは時代のせいでもあるかも知れない。
それはそれでいい。
ただ、思いを伝えるだけ、後は、各自それぞれの生き方に任せる。
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こんな内容だと、まるでわたしは、とっくに85歳を越えた人のような印象を受けることだろう。
わたしは、今、そのお年寄り世代の人を親に持つ、ひと世代若い年齢だ。
つまり、ひと世代早くに、親の姿を見て、自分の将来を見ている。
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今日のブログは、なんとなく、わたしを救った。
お経の効果を感じた。
それだけでもいい。
平穏無事な平和な毎日。
しかしながら、それを精一杯生きるところがポイント。
意識するか、しないか。
必ず、その日と決別しなければいけない日が訪れる。
終りは、必ずやってくる。
なので、精一杯、悔いのないように、サボる人はサボり、勉強する人は勉強し、遊ぶ人は遊び、
家族を養う人は養い、自分を養う人は養う。
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ちなみに最近、わたしは、不思議な変化に見舞われている。
それは、「あなたに影響を受けた」と面と向かって直に言われることだ。
とてもとても摩訶不思議なのだが、自分でもよくわからない。
どうも、悪い意味で文句を言われているようでもなさそうだ。
人生の答えあわせの時期を前に、今までの行いを振り返ってみる。
今、現時点は、過去の積み重ねの結果だ。そして、将来の礎、土台になる。
失敗は、必ず活きる。
人生に無駄なことはひとつもない。
無駄だらけのわたしが言うのだから、真実であるに違いない。
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今日のブログは、自己陶酔型。
自分に酔っているっぽいかんじが、笑える。