わたしの人生の大半は、嘘で固められている。
しかし、0〜10歳と90〜100歳は、嘘がないと思われる。
5分の4の人生は、嘘だらけ。
自分自身も嘘人間。
じつは、9歳ぐらいの時にはもう、しっかり嘘を平気でついていた。
小学校で書いた、父親をテーマにした作文。
最後の〆に、皆んなが〆る共通フレーズのように「わたしは、おとうさんが大好きです」と書いた。
家で父を前にして、作文を読んだ。
父の顔をちらりと見たら、父も決して笑顔ではなかった(ように見えた)。
嘘を見抜かれたかも知れない。
これは、複雑な父娘関係であるが。
作文当時は、あきらかに、オベンチャラで父を喜ばせようとして書いた。
子供の浅知恵だが、まあそんなもの。
が、色々なことを知るにつれ、成人してからは、ずっと父を尊敬していた。
しかし、ファザコンではない。
ただ、男性を父と比べてしまう。
そんなことをされると、世の中の普通の男性は一人も対抗できない。
父は、真面目で努力家で仕事熱心で、知的で、文系理系を併せ持ち、趣味も格調高く、家族想いで、家事もし、お金もたくさん稼いだ。
(滅多にないことだが、思いっきり自慢している。
ここで気がついたが、本気で自慢しているのに、ここまで賞賛、褒め称えて書くと、かえって嘘っぽい)
だが、堅物すぎて、柔らかい人が良いと思ったが、柔らかすぎるのは良くない。
結婚して実家を離れるまでは、明らかに煙たい存在だった。
男尊女卑、時代遅れの価値観を押しつけ、偏見と差別意識の塊だった。
女子は嫁に行ったらそれでおしまいだから、可愛がってもしょうがない、と、いつも苦い顔をして言っていた。
その割には、結婚後、女性が家に引っ込んでいる必要はない、と、女性の社会進出応援派だった。
良いところも、嫌いなところもあったが、わたしには偉大な父親だった。
昔の人はパワーが違う。真似できない。
と、話は大きく外れている。
あ、そうそう。
嘘だらけの人生の、一端が父親へのオベンチャラ作文だったというわけだ。
が、当時は照れながらも、本気も混じっていたと思う。
ひょっとすると本気なんだけど、照れて嘘っぽくしていたのかも知れない。
いや、あの頃のわたしは、自分の人生の中では最も低飛行していた時期の前夜だった。
10歳で、低飛行前夜って、マセている。
が、そのままの温度を半世紀以上保っている。
嘘だらけなのか、嘘がホントになったのか、ホントが嘘になったのかわからないが、とりあえず、今日も生きている。
しかし、0〜10歳と90〜100歳は、嘘がないと思われる。
5分の4の人生は、嘘だらけ。
自分自身も嘘人間。
じつは、9歳ぐらいの時にはもう、しっかり嘘を平気でついていた。
小学校で書いた、父親をテーマにした作文。
最後の〆に、皆んなが〆る共通フレーズのように「わたしは、おとうさんが大好きです」と書いた。
家で父を前にして、作文を読んだ。
父の顔をちらりと見たら、父も決して笑顔ではなかった(ように見えた)。
嘘を見抜かれたかも知れない。
これは、複雑な父娘関係であるが。
作文当時は、あきらかに、オベンチャラで父を喜ばせようとして書いた。
子供の浅知恵だが、まあそんなもの。
が、色々なことを知るにつれ、成人してからは、ずっと父を尊敬していた。
しかし、ファザコンではない。
ただ、男性を父と比べてしまう。
そんなことをされると、世の中の普通の男性は一人も対抗できない。
父は、真面目で努力家で仕事熱心で、知的で、文系理系を併せ持ち、趣味も格調高く、家族想いで、家事もし、お金もたくさん稼いだ。
(滅多にないことだが、思いっきり自慢している。
ここで気がついたが、本気で自慢しているのに、ここまで賞賛、褒め称えて書くと、かえって嘘っぽい)
だが、堅物すぎて、柔らかい人が良いと思ったが、柔らかすぎるのは良くない。
結婚して実家を離れるまでは、明らかに煙たい存在だった。
男尊女卑、時代遅れの価値観を押しつけ、偏見と差別意識の塊だった。
女子は嫁に行ったらそれでおしまいだから、可愛がってもしょうがない、と、いつも苦い顔をして言っていた。
その割には、結婚後、女性が家に引っ込んでいる必要はない、と、女性の社会進出応援派だった。
良いところも、嫌いなところもあったが、わたしには偉大な父親だった。
昔の人はパワーが違う。真似できない。
と、話は大きく外れている。
あ、そうそう。
嘘だらけの人生の、一端が父親へのオベンチャラ作文だったというわけだ。
が、当時は照れながらも、本気も混じっていたと思う。
ひょっとすると本気なんだけど、照れて嘘っぽくしていたのかも知れない。
いや、あの頃のわたしは、自分の人生の中では最も低飛行していた時期の前夜だった。
10歳で、低飛行前夜って、マセている。
が、そのままの温度を半世紀以上保っている。
嘘だらけなのか、嘘がホントになったのか、ホントが嘘になったのかわからないが、とりあえず、今日も生きている。