蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

落ち着かない

2019-11-18 | ブログ
昨夜アップの記事。
自分のためだけの、長いつまらん記事。
昨日の行きの電車が短い区間の乗り換えが多く、落ち着いて書けなかった。
自宅で夜、加筆し、今朝、訂正したりしたが、どうも、良くない。
わたしは、一筆書きで書くのが好き。
もやもやした、気に入らない記事をアップした後は、満足感の真逆で、気が落ち着かない。

早く次の記事をアップして、昨夜記事を読む人の数を少なくしよう、、、と、訳の分からない焦り、、、

ちなみに、、、
わたしはやはり、人づき合いが下手だ。
むしろ、こころの病気一歩手前ぐらい、下手。変わり者の域。
せっかく暖かい手を差し伸べてくれる人の手も、振り切ってしまう。
自分でもよくわかっているのだが、「まあこんな自分、自分しかいないよ、自分のことをこんなによく知っているのは。
自分で自分をいたわってやろうじゃないか」と、もう一人の自分が言う。
人づき合いは、ほんとうに不器用である。

こんなことを書いてもしかたない。
最近は、書いても非公開にしたり、削除することがある。
そういうお年頃?

わたしは、周りのことを気にし始めると、どうも、ぎこちない。
よくこんなので、いままでやってきたと思う。
老化に拍車がかかっているのだろうか。

今日の行きの電車では、何が書けるかな?  何を書こうかな?
書かないかも知れない。
予想できない、予期できない自分と語るのは、ひとつの楽しみでもある。

悩みの相談

2019-11-17 | 読む人々には興味ない話
す応援ポチは、気になるものの、自分だけしか面白がらない、自分しか見てない、その他は一切視野にない、好きなこと書きます。
ポチ、お気遣いなく。ほんとうに。
ほんとうに、ほんとうに。

いつもの、自分を説得、納得させるための、理屈っぽい話を書く。
自分へのカウンセリング、セラピー。
施術人と被施術人は、同一人物。
質問と回答は、同時進行。

今回は、既婚で、しかも、もう遠に忘れるぐらい前に結婚した人には、まったく興味がないことだと確信する。
スルーしてください。  
絶対になんの役にも立たない、関係も興味もない分野、絶対に時間の無駄遣いになります。
(やたら、スルー方向に力を入れている。
深層心理は、読んで欲しくない、ってことかと想像する)

さて。
あるサイトに投稿した人の悩み。
自分が好きになった人(相談者の夫)の好みを知ってしまう。
身体的特徴だったりする。
だが、妻である自分は当てはまらない。
どうするか?

その質問サイトに、女性経験10000人(眉唾もの?!)という男性が答えていた。
身体の一部である「持ち物」と「持ち主」は違う。
「持ち物」と「使いかた」は、違う。
これは、男性向けのアドバイスだ。
あるいは、体力が減退した年齢を重ねた人への応援にもなる。

まあそれはいいとして、、、
質問者。
自分の好きな人(夫)が、自分を外観上好みではないけれど、好きだと言ってくれる。
しかし、夫はこっそり、サイトで好みの身体女性の動画ばかりを見ている。
自分とは相思相愛の男性なんだけど。
愛情と、外見上の好みは違うのか?と、悶々とする質問者。

これに対し、10000人キャリアのくだんの回答者は、、、
愛する人が、内緒で好きなものを見ることを、あなた(相談者)が許すことを勧めている。
見て見ないフリをする、嗜好はあくまでも嗜好、別のものと考えること。
それで浮気に走るわけでもなし。
全てをあなたが思い描くようにはならない。
人と人。どんなに愛していて相思相愛でも、そういう距離感が必要だと答えていた。

私ならどうか。
許せないものを許さなければならないとすると、優先順序がある。
いくら好きな人でも、隠れてサイト覗きは許せるとしても、隠れて風俗通いは許せない。
どうしてもやめられないなら、別れて別の人を探す。
わたしは、風俗と、ギャンブルと、暴力と、警察沙汰は、認めない。
口が臭いとか、そんなのは、かわいいものである。
なにも風俗のような生々しい例えでなくても、もっとマシな例がありそうだが。
(しかし、風俗のお仕事は大変のようだ。電子コミック、無料立ち読みした、、、、話が逸れてます)

理解できない、分かり合えない、認められない部分は必ずあるということを知る。
知った上で、黙殺する。
あえて取り除こうとか、考えや行動を変えさせようとかしない。
そっとして触れない。
白黒、結論を出さない。

許せない、嫌だと思う箇所、分野を限界ギリギリまで我慢しても、もうだめなら、相手を手放す。
あえて固執しない。
あるいは、こだわりの分野の手綱を緩める。
基準を緩くする。大目に見る。
または、ころっと発想の転換をする。

何もその相手の好み対象が、自分でなくても、自分は相手の好みストライクゾーンでなくても、自分は他の人にとっては好みかも知れない。
ピンポイントで一人に限定しない。一対一で向き合わない。
AさんはダメでもBさんは選んでくれるかも知れない。
敗者復活戦に、トライ!

意見が一致しない時に、一対一では、息が詰まり、煮詰まる。
一旦、そこを離れて、俯瞰の位置に昇る。
上のほうから、遠くから見下ろす。
自分と相手、他の組み合わせもある。
そんなガチガチなピンポイントで趣味、嗜好、意見、主義主張がバッチリ合うことを求めても無理。


時間は1秒たりとも止まることはない。
刻一刻と変わり、同じではない。
時が進むと状況も変わる。
状況を踏まえつつ、自分が理想とする内容を変えていくべき。
視野を広めよう。
風通しを良くしよう。
頭から決めつけはやめよう。
そう思うと、すーっと何かから解き放たれたような気になり、相手に固執しなくなる。
相手から力を抜いて離れて、気が楽。
今まで選ばれる立場で、振り回されていて受動的だったのに、選ぶ立場に逆転している。
下にいて、苦しく喘いでいたのが、上に上がり、能動的に余裕顔になっている。
何事も、煮詰まって、二進も三進も行かなくなると、一旦、離れることが良いようだ。
わたしの経験。
プライベートも仕事も然り。

すっと離脱すると、途端にフワリ、軽くなる。
不思議なものである。



げ、げ、げ、げ、、、、席、隣の人、鬱陶しい〜

2019-11-16 | 日々のこと
またまた間違えて、自分のブログに応援ポチを押してしまった。
確かに自分を応援してはいるが、自分のブログに自分でポチするほどの変わり者ではない、わたし。
恥ずかし〜。

さて、このポチシステム。
押してくださる方がおられ、恐縮の至り。
気を遣わないでくださいね。
なんて、気を遣って押す人もいないですか〜〜。
ありがとうございます。

ちなみに、電車内、隣に座ってるお爺さんが超ミラクル鬱陶しい。
なにがかというと、、、居眠りして、ガンガン上半身をぶつけてくる。
これは、見目麗しい妙齢の美女であっても、かなり鬱陶しい。
どんなイケメンでも、鬱陶しい。
さっきから、もう〜、めちゃくちゃ不愉快である。
今日のブログに、わざわざこんなことを書きたいわけではないが、目の前に立ちふさがる、不快さに負けて、気持ちが、それ一色。
や、め、て、え、、、、
今、チラと見てみたら、お爺さんではなく60代ぐらいの男性だった。
どっちにしても、いっしょだ。

や、め、て、え、え、え〜



言語ってすごい

2019-11-15 | 子育て
蝶ブログ。
リアル知人も存在を知っている。
元同級生だったり、元同僚だったり、現在ご近所さんだったり、なんといっても、実の娘、姉も知っている。
滅多やたらなことは書けない。
といいつつ、好きなことを書いている。

娘には重々、「リアル人のブログ、読んだら良い面もあるけど、衝撃的意外な事実や胸のうちを知って、読まなかったほうがよかったと後悔することもあるよね」と釘を刺している。
気分が悪くなっても責任を負いません。
口に出して言ったり言動で表現していない深い愛情もあるんだけど。
(悪女の深情けか、、、)

幸か不幸か、関係者一同は、時間の無い人ばかり。
わたしのように、ほとんどアタマの中は自分のことばかり、なんていう人は、一人もいない。
彼らは、現状、忙しいので、人のブログなんぞ読むヒマはない。
それより、ラインでニュースや解説などを送ってくる。
読んで世間をよく知って勉強してね、ってことだろう。
娘に啓蒙啓発されている。
ばあちゃんの、孫のお勉強係は、あと3年もしたらクビになるだろう。
でもまだ一番下は2歳なので、あと6〜7年ぐらいは、家庭教師補佐ぐらいは出来るはず。
いや、あと5年が限度か?

一番下の孫は言語能力が優れていると感じる。
完璧な正しい文法で日本語を話す。
幼児語ではない。
女の子は、口が早いとはよく言われているが、驚きの連続だ。
一番上孫Aは、初めて発した言葉は「でんしゃー!」「パン!」。
小さい時から食いしん坊で(もちろん今も)、現在、電車オタク。
納得の初Wardである。
今は鉄道固有名詞、地名をまくし立てる。

真ん中孫Bは、なかなか言葉を発せず、喋り出したら、いったいどんなことを言うんだろうと楽しみにしていた。
滑舌が悪く、外人みたいな喋り方をしていたが、最初の一言は、何だったのか、忘れた。
保育園の帰りに、一般住宅の駐車中の車のタイヤを見て、「曲がってる」と言ったのが記憶に残っている。
口数が少なく、何か質問しても、「ヒミツ」と言って教えてくれない。寡黙タイプ。
たまに、「それ知ってるで」とアピールしてくる。
そう言えばいつの間にか、絵本の文字をスラスラ音読していた。

一番下は、前述の通り、大人かと間違うほどの口達者、しかも正確で、状況に応じた言葉。
あんなに脳がフルスピードで稼働しているのに、まだオムツ。なんだかなあ。
オムツに出る前に、一言、言ってほしいなあ。
長女も言語能力はあんな感じで、驚いたことを思い出す。

聞いた音を正確に発声で再現する。
はじめは、発声するだけだが、やがて、言葉の意味を知る。
意味を知ると、今度はそれを使いこなす。
知らない曲を聴いて歌う。
多くの先生達の顔と名前を一致させ記憶して口に出して羅列する。
なにしろ上の孫達に比べて時期が早い。
(ウチの孫は、これこれ出来る、と痛々しい自慢か?  聞かされるほうは、どっと疲れる)
早かれ遅かれ、みんなそうやって大人になってきたんだけど、身近で習得過程を目の当たりにすると、今更ながら感慨深いものがある。
言語は、深いと感じる。
これに読み書きが加わると更に厚みが増す。
娘は孫たちに小さい頃から絵本を熱心に読み聞かせていたが、わたしはあまりそんな記憶がない。
(勝手に子供達が読んでいた)
頑張っても頑張らなくても、必死でやっても手を抜いても、子供本人の持ち味、能力はそう変わらないと感じる。
子供に良い結果が出たら、手柄は親のもの、悪い結果が出たら、子供本来の持ち味、と。
子育ては、子供自身の頑張りはあまり評価しないで、親目線で見る傾向にある。
とは思いつつ、あ、自分もある意味、教育ママゴンだったかも知れない、、、
昔のことは、忘れてしまうのだ。

今日、書きたかったのは、特段、孫のことではない。
テーマが別に2つあるのだが、長くなる。
んー、どうしよう。
また次の機会に。


応援、ありがとう

2019-11-14 | ブログ
いいね!を始め、元気になる応援ポチをいただき、ありがとうございます。
この機能は、たぶん、goo同士でないと作動しないんだと思う。
試しに自分で「応援」ポチを押してみたら、自分の分も加算される仕組みになっていた。
これは驚いた。
さらに、ポチした人のアイコン(プロフィール画像)も、出てくる。
自分で押したら、自分のアイコンが自分のブログ編集画面に出ると、カッコ悪いを通り越して、あほミス。
ポチは出来るが、ポチを取り消すことは出来ない。
安易に訳もわからず、あちこち触らないほうが良さげだ。
わたしは、いつも、あまり考えないで、とりあえずやってみるパターン。
走る前に考えない。走りながら考えない。走ったあとから考える。
結果を見てから、原因を考える。
行動時は、考えなし。
動物本能のみ。

兎にも角にも、ポチしていただいた方々、Thank you very much.
特に、夢○様、嬉しかったです。
夢○様とは、かれこれ何年も前からのお付き合い(とわたしは、一方的に勝手に思っている)。
夢○様の落ち着いた日常風景や、静かな佇まいを想像している。
夢○様の現役の頃の職業も、ほんの、ほんの少し、わたしと似たようなジャンルで、親近感を覚えている。
アイコン(プロフィール画像)が、初期の頃のパソコン画像に内蔵されていたもの(赤系のあれ)。
その画像はブログではなく、パソコンで写真を取り込む設定時に、わたしもよく目にした。
なにしろ懐かしい。
そのアイコンがgoo編集画面に現れると、いつも、こころの安定剤となっている。
(最新gooアプリにはそのgoo同士足跡システムは無くなったように思う、、、)
一緒に走っている、いえ、先に走っておられる先輩である。
年代別カテゴリーも、ある時、ひとつ上に移籍されたと記憶している。
これからも、隣の線路で、お互い元気に走り続けたいものである。

小学一年生の目線

2019-11-13 | 暮らし
ここ、ブログ村エッセイは、同人誌のノリではなかろうか。
そんな気がする。
自分も走りながら(機関車トーマス風)、隣の線路で走っている電車をちらりと見る。
仲間がいっぱい。
今日も皆んな、元気に走っている。
そんな感じかなと。


小学一年生の孫をまる一日、預かった。
学校行事の振り替え休日。
朝7時15分頃から夜7時50分頃まで。
ワークブックを母親(わたしの長女)に持たされ、○ページから○ページまで、お勉強するんやで、とのこと。
最初の5分でお勉強は終了。
たし算を4つか、5つ、やったのみ。
問題数、少ないなあ、、、時間、短いなあ、、、

だが、6+7のような、10以上に繰り上がる計算法を学校で教えられていて、ほぅ〜、なるほど〜〜と面白い。
いちいち意識して考えたこともない、単なるたし算だが、やり方があるのだ。
10➖6=4   
6は、10にはいくつ足りないか。
6の近くに「4」と書いて丸で囲む。
7➖4=3
10に足りなかった分「4」を持っていくと、いくつ残るか
10+3=13
で、答えは、13

ものすごく難しいような気になった。
無意識暗算のほうが、楽だ。
しかし、基本的理論、理屈をちゃんと教わってステップを踏んで計算するのは、大事なことだと感じた。

で、孫。ほんの数個、たし算をやって、オワリ。
あとは、先週、自分で我が家のストックルームから引っ張り出して冷蔵庫に冷やしたグレープジュースを飲み、持ってきたお菓子を食べ、勉強タイムは完全に終わった様子。
トランプしよう!ことわざカルタしよう!と、言ってくる。
相変わらずちょっとズルをして、孫Aは強引に勝ちを取ったが、二人だけではつまらない。
たくさん、たくさん放映されたものを撮りためている「機関車トーマス」をずーっと飽きずに、いつも同じ箇所で笑い、見ていた。

一日中だと退屈するだろうからと、母親に、近所の駄菓子屋に行って買うお菓子代を持たされていた。
駄菓子屋は、カフェに併設されていて、近隣の子供達は小さな駄菓子をそこで買う。
長女が昔使っていた、ビーズで形取られた魚模様の可愛いサイフには、駄菓子代50円と、おばあちゃんとカフェで2人分のお茶代として1000円札が一枚入っていた。

「これ、1万円?」
孫Aが聞く。
「違うよ。千円札。ゼロが、3つ、ついてるでしょ」
あらま、この子、1万円も千円も違いがわからないのかぁ、、、

行ってみるとカフェがお休みだったので、行き先をコンビニへと方向チェンジした。
少し歩く。
コンビニには、50円で買えるお菓子があまりない。
孫Aは、あれこれ、一生懸命、お菓子を選ぶ。
気に入ったお菓子は100円のもの。それに、30円ぐらいのお菓子を追加しようとする。
「これで、お金、いける?」

駄菓子予算は50円。
千円は、あくまでもカフェでのお茶代だ。
「はじめに100円のお菓子を選んでいる段階で、もう予算オーバーよ。予算は50円」
とわたしは答えるが、何回も何回も、どう見ても予算オーバーな組み合わせをして、「これで、いける?」と聞いてくる。

「予算は50円だから無理」
と答えるが、彼はサイフの千円があるから、予算は1050円だと言う。
「おばあちゃんも、好きなもの買ってもいいよ」
と、気前がいい。

予算1050円派と、予算50円派に分かれ、あれこれお菓子の棚の前で、選ぶ時間がどんどん増えていく。
なかなか決着がつかないから、とりあえず、最初に1個目のお菓子に100円のものを選んではダメ、明らかに予算オーバーだから、という方針をわたしは、貫く。
結局、50円ぐらいのラムネと40円のチョコで、話はついた。
それでも、予算50円には、オーバーしているのだが。

「公園で食べよ〜」と孫Aが言うので、そのラムネとチョコを彼の小さな小さな可愛い布製手提げバッグに入れて、コンビニ近くの公園に行った。

住宅街にある小さな公園は、最近、草が刈られてなく、遊具も少し壊れたままになっていた。
誰もいない草の生えた公園で、遊具で遊んだり、ベンチに座ってお菓子を食べたり、、、。
公園の背景、隙間から見える家々。
このエリアは比較的最近、造成されたので新しい家ばかりである。
だから、子供達も年齢が低く、たくさん住んでいる。
(我々の住んでいるエリアは若くない家族構成の住民がほとんどなので、小さな子供はあまりいない)
そのミニ公園からすぐの、もう一つのミニ公園に行った。
男の子たちが、仲良く元気にサッカーをしていた。

そのうちの一人の男の子が、大きな声でこちらに向かって呼びかけた。
「A!」
その男の子は、孫Aの保育所同級生らしい。
とても男の子らしい、ハツラツとした動きで、仲間5〜6人とボールを追いかけていた。
ややもすると、元気が余って、(微笑ましい範囲内の)乱暴、粗雑?
孫Aは、その輪に入るでもなく、幼児や女の子たちがいる遊具で遊んだりしていた。
二人のやり取りを見ていると、孫Aは、家で見るほど外では活発ではない、おとなしげな子供のようだ。
内弁慶?
長女と娘婿の間の子供だから、納得できたりする。

ママたちも二人三人と、遊具で遊ぶ小さな子供を見守りに出てきていた。
「ママ友、公園デビュー」なんて、懐かしい言葉が脳裏をよぎった。
幸い、わたしはママではないし、ほんのスポット的な一日だったので、気楽なものだ。

同じ住まいエリアの公園内でのママ友なんていうのは、疲れそうだ。
エリアも色々、形態や特徴が微妙に分かれている。

帰り道、色んな家を見ながら、夕暮れを楽しんだ。
家にはそれぞれ特徴がある。
ある豪邸の隣に並ぶ、ある家。
荒れ放題の空き家かと思いきや、むこうのほうに、灯りが見える。
住んでおられるようだ。
都市と地方、山の手と下町など、エリアでの格差ではなく、隣同士の格差。
背景、現状、家族関係、経済状態、精神状態、、、いろんなものが見える。
住まいは服装、身なりのようなもの、と評する建築家がいる。
予算が足りなくなると、玄関から客間までを豪華、高品質にして、日常部を質を下げる内装にする人もいるそうだ。
いろんな価値観、いろんな住まい手。
家の内部はともかく、外側は、服装、身なりに当たると感じた。
家の中も、ハード面、設備面だけでなく、ミニマリストに見られるような風潮や、価値観の変化、また、家族の中味そのものが、反映される。

幸せは家に現れる場合と、全然現れない場合もあるだろう。
一人住まいの、幸せの現れ方は?
住み方、棲家、棲息の仕方、、、

色々な家族が住む家を一軒一軒見て歩くと、それぞれの家族の明暗、泣き笑い、喜怒哀楽、温度、空気感、アップダウンや息遣いまでが感じられるような気がする。
マンションなどの場合は、中の様子が全く見えないから、安心なような、不安なような。
鉄の扉で隔離され、孤独死しても発見されない。
が、プライバシーの匂いが遮断されるため、人付き合いしたくない場合は、良いかも知れない。
しかし、中に居る人々の温度が伝わらないのは、良いのか良くないのか。
最近の家庭内虐待や職場虐めなど、風通しが良くないと、発覚が遅れる。
いろいろ、いろいろ、雑感は永遠にまとまりなく続く、、、



消えた、続・続・老婆の、わたし

2019-11-10 | 
昨日、消滅したブログ記事。
「永遠の門  ゴッホの見た未来」を観たことなどを書いた。
続・続・老婆の、わたし、として、あれこれ書いた。

雨戸を開けたり閉めたりして過ごす小さな部屋をイメージしていると、ゴッホの晩年を過ごした部屋に結びつき、一昨日、封切り初日に観た、ゴッホの映画が頭に浮かんだ。
2013年、何度目かのフランス。ゴッホの、その二階にある部屋に足を踏み入れた時の印象は、、、
日本人って、フランスが好きなんだなあ、、、と。
なぜなら、その家の一階に設置された大型モニターに映し出される映像に添えられていた説明文は、フランス語、英語、日本語だった。

自分のパリブログを後で見てみよう。
おそらくそのことは、書いていないと思う。

ゴッホが描いた絵の被写体風景や建物を前に、ゴッホが見た角度で作品のレプリカが、現地に設置してあった。
これは、面白い教科書、テーマパークのようで、少し観光局の手が入った商業的匂いはするものの、よい勉強にはなる。

ゴッホのお墓にも行き、地元食堂でランチ。
一生、忘れることはない、楽しい思い出だ。

それより前の別の年には、アルルの精神病院跡にも行った。
アルルの、制作スタジオを兼ねた小さな店で、美しいテキスタイル作品を見つけ、買い求めた。
商談にあたり、こちらの要望には全く屈しない制作者であるマダムは、とても誇りを持っていた。

思い出は、宝物だ。
やはり、身体が動く間に、目が見え、耳が聞こえるあいだに、自分のメモリーをストックしておくのは貴重だと感じる。



もうイヤ

2019-11-09 | ブログ
またまた新アプリで書きかけ記事、消滅。
気分は盛り下がる一方。
同じことを2回している。
ということは、どこをどうすると操作ミスになるのかが、わかっていない。
またまた消えるかも。
一旦、保存すると、消える。
書きかけでも早めにアップする?
それもどうかと。
情けない、、、

続・老婆の、わたし

2019-11-08 | 老い
あれから考えた。
雨戸を開けるのに1時間、閉めるのに1時間。合計2時間。
開けなければ暗い一日。
いっそ、開けっぱなしにしてはどうか。
ずっと明るい。
夜には自然に暗くなる。
だが、雨戸が窓がわりなら、開けっぱなしには、ちょっと問題がある。
冬は、寒い。
雨風の日は困る。

天気の良い、気候の良い時は開けっぱなしにする。
冬は、閉めっぱなしにする。
あるいは、天気の良い日だけ開ける。
メリハリ。
毎日、決めない。
生活は日々、動く。
不快な日もあり、快適な日もある。
一日中、寝ている日もあれば、やたら興奮しまくる日もある。
見通しやプラン、年間計画が大事?
そんなものは、もはや老女のわたしには要らないかなあと。

老女の非活動のどこが悪い?
毎日イキイキしていなくてもいい。
一年中、くさくさしていてもいいではないか。
なぜ、優等生的な生活指導を受けなければならないのか。
先入観を取り除きたい気持ち、満々である。

老婆の、わたし

2019-11-08 | 老い
おばあさん。老婆と書くと、すごいイメージ。
ニュースで65歳の老女と報道されると、ん?と、なる。
老齢か、、、?
ひと昔前と、明らかに実態は違う。
自分が老齢になりつつあるため、多少、ひいき目ではあるが。

個人差はある。
本格的に老婆になったら、一日、日が長いと感じるかどうか?
雨戸を開けるのに、仮に1時間かかったとする。
閉めるにも1時間。
発想を変える。
開けなければ2時間ゲット。
このゲットした2時間、神様からの時間のプレゼントを何に使うか?
プレゼント代償は、暗いままの部屋。
得るものは時間、犠牲になるものは、日中の明かり。
さあ、どうする?
得た2時間で読書をしたとする。
暗いなか、目が悪くなる。
刺繍は?編み物は?
目を酷使するものはダメ。
テレビは、暗くても見えるが、ちょっとどうかと。
絵を描く。
室内が暗いと色合いがわからない。
目を使わなくてもよいものならオッケー。
音楽を聴く。
運動をする。
運動は、老婆にはキツイ。
残るものは、、、音楽かなあ、、、と。
マッサージ器でモミモミとか、青竹踏みとかも暗くてもできる。
あ、それに、音楽は聴くだけでなく、奏でることも出来る。
最後の砦かなあ。

しかし、雨戸の開け閉めに2時間かけて、生活のリズムを作るのも良い。
いわゆる日課。
わたしなら、2時間減ってもいいから、日課をこなしたご褒美コーヒーを2回飲む。
手に入れた明かりで、もはや点字に近いノリで、ブログを書く。
それでいいかなあ、と。
雨戸を閉めた後は、好きなものを食べ、ニュースを見て、それで一日、おしまい!
結構、満たされているだろうと自分で想像する。
わたしの老後。
健康で、さらに欲を言えば、室温が好みの温度であれば、それで十分である。