孫、小学生男子チーム、面白い。
小1孫。
宿題のプリントに取り掛かる。
まず1枚目は、ひらがなをカタカナにする。
一つ一つの言葉の上に、人気アニメキャラクターが印刷されていて、子供の気を惹こうと苦心が見える。
「ソ」と「ン」。
何度書いても「ン」が「ソ」になる。
そうじゃない、って。
ばあちゃんは(わたし)「ン」と「ソ」の違いを説明する。
正方形を上下左右4つ並べて四マスを作り、その中にどう収まるか書いてみる。
「ソ」は、細長い。
「ン」は、横幅が広い。
2画目は、上から下に向かって下すか、下から上に向かって跳ね上げるか。
一生懸命、真面目に丁寧に説明した。
小1孫、全然聞いてない。
あいかわらず同じ字を書いては消し書いては消しして、プリントは、しわくちゃ。
ゴシゴシ消しゴムで力任せに消す。
そんなに何度も同じところを消すと破れるよ、と、わたし。
「ん、わかった」
と言うものの、やっぱり同じ間違いを繰り返す。
「ソとンは、似てるから難しいね」と、わたしがサジを投げる。
いい加減な無責任家庭教師だ。
「ム」がわからない、と言う。
ム、、、ム、ねえ、、、
なんか良いヒントはなかろうか。
思いつかない。
教えてしまうのは実に簡単だ。
しかし、答を教えては勉強にならない。
考えさせないと。
何か良い案はないかと、それまで読んでいた情報誌をパラパラめくる。
どうしたものかと適当に考えていると、たまたま「ム」が入ったタイトルを目にした。
「ここ、『ム』って入ってるよ」
と、なんのことはない、ヒントどころか答を示しているのと全く同じ。
頭を使わないばあちゃんである。
2枚目は、算数。
定規が要ると言う。
時計の絵が描いてあって、今何時か、かっこの中に書く問題と、何時何分を時計盤に描く問題。
引き出しから、娘が就学前、幼稚園で貰ったピカピカの(新古品)定規を出してくる。
役に立つ時を迎えるのは、なんと30年以上も後!
ちなみに同じ場所に、わたしの小学生の時の木の定規も入っている。
拙い字で自分の旧姓フルネームを裏に書き込んである。
物持ち、良すぎ。
と、それはよいとして、、、
何時何分と考えてから書くのがいちいちめんどくさいらしく、先に全部のかっこの空欄に、「じ はん」と書き込んでいた。
時計盤を見るとどれも、長い針は6を指してて、半だった。
これは、兄孫も、そう。
先に式の後に=(イコール)だけ書き込んでおく。
ちょっとでも考える際に立ち止まる手間を惜しむにしても、ユニーク。
大人もそんなふうにしているかも?
その日は、彼らの夕食を担当しているが、小3兄ちゃんが、また食べることには貪欲で。
公平に分けていても、少しでも多いほうを取ろうとする。
ピザに乗せたトッピングのパイナップルにすごく執着して大事に大事にする。
なぜか、前々からぜんざいを強くリクエストされ、ご期待に沿うと大喜びされる。
トーストサンドも、弟の分までパクリ。
食い気に走る。
が、よく食べてくれて気持ちいい。
ベビーの頃から食いしん坊で、食器の底が見え始めると泣き、満腹中枢が故障しているのではと心配されたりしていた。
食べないより食べるほうが良いのだが、、、4番目孫もこの傾向がある。
皆、健康でいてくれるのが何よりだ。
5番目孫は、びーびこ、びーびこ、ギャーギャーと1日中、実によく泣き、次女を悩ませ相変わらずだが、まああと1週間で、さようなら。
濃密な赤ちゃん密着暮らしだった。
一人一人、成長してくれ、どんどんわたしの手から離れていくことは、今は嬉しいの一言だが、後に何年も何十年も経って、あれがわたしの1番充実した時期だったなあ、なんて懐古するかも知れない。
秋深し、、、には、まだまだ季節はずれに近いほど暑いが、そのうちにどっぷり秋になり冬になり、、、と季節の変遷を感じることだろう。
どの時期も、その時その時の時期が1番楽しかったと思いたい。