冬至が過ぎて二日ばかり過ぎました。
一日ごとに昼間の時間が短くなり続けてきましたが、一昨日を起点に、今度は一日ごとに昼間の時間が長くなっていくことになります。
ここ数年は、冬至の日には、カピバラさんが露天風呂にゆずの実をいっぱい入れてもらって、うっとりしている姿がテレビで報じられます。「ごくらく、ごくらく・・」とは言っていないのでしょうが、何だか聞こえてくるような気がして、見ているだけで幸せな気持ちになります。
また、人間様の銭湯でも、ゆずのサービスをしている所が結構あるようですし、各自の家庭でもゆずを浮かべてお風呂を楽しむ人は多いようです。さらには、地域によって差はあるのでしょうが、わが家のあたりでは、「ん」が二つ付く食材を食べる習慣があるようです。例えば、レンコン・ニンジン・ナンキン・キンカン・うどん(ウンドン)といった物です。
暦の感覚からすれば、冬至は夏至と対を成すものだと思うのですが、夏至には特別なことをするというニュースはあまりに聞かないような気がしますので、私たちにとって、冬至は特別な意味を持っているのかもしれません。
「一陽来復(イチヨウライフク)」という言葉があります。おそらく、陰陽思想に基づく言葉だと思うのですが、辞書で調べてみますと、「 ①陰がきわまって陽がかえってくること。陰暦11月または冬至の称。 ②冬が去り春が来ること。 ③悪い事ばかりあったのがようやく回復して善い方に向いてくること。」とあります。
つまり、冬至というのは、大変な転換点の日なのです。
古代中国においては、冬至を新しい年の始まりとした時代があったそうです。
古代の人に限りませんが、私たちにとって、闇は、やはり恐怖です。光りに満ちあふれた生活に慣れてしまっていますが、現代人であっても闇の空間に置かれますと、それだけで相当の恐怖を感じるはずです。古代の人にとって、闇が長くなっている状態が反転する冬至は、格別な意味があったのかもしれません。
「冬至十日経てば阿呆でも知る」という言葉もあります。ほんのわずかずつとは言え、一日一日昼間の時間が長くなっていきますので、二日や三日では無理でも、十日もすれば、どんなぼんやりしている人でも気がつくものだ、ということなのでしょうが、案外気がつかない人も多いようです。世間は阿呆で満ちあふれているなどと言えば叱られますが、現代人には案外気がつくのが遅い人は多いようです。
その一つは、私たちの生活パターンが、日の出や日の入りをベースにしたものから離れていることや、人工の光に囲まれていることにあります。
もう一つは、昼間の時間が長くなっていくと言っても、朝夕ともに均等に明るい時間が増えていくかといえば、そうではないからです。日の入りがもっとも遅くなるのは、冬至より2週間ほど前の12月上旬であり、日の出がもっとも遅くなるのは2週間ほどの1月上旬のことなのです。
つまり、日の入りに接することが多い人は、すでに日が長くなってきたなと感じていますが、日の出に接する機会が多い人は、まだまだ日が短くなっているように感じる可能性があるのです。
私たちが、生活設計の出発点にするのは、やはり元旦が一番多いと思われます。企業などに深く関わっている人などでは、4月1日だというお方もいらっしゃるかもしれませんが、冬至だというお方はまずいないことでしょう。
しかし、いくら偉そうなことを言っても、私たちは大自然の中で生かされています。素直にそれを受け入れるとしますと、私たちのバイオリズムに冬至は大きな意味を持っているのかもしれません。
今年の冬至はすでに過ぎてしまいましたが、二十四節気でいう冬至の期間は、1月の4日までを言います。ちょうどその頃には、日の出の時間も反転するはずです。
「一年の計は元旦にあり」という言葉もありますが、来年の元旦には、「○○でも冬至と分る」頃ですから、悠々たる大自然の息吹を感じながら一年の計を立てる、というのはいかがでしょうか。
( 2024.12.23 )
昨日はクリスマス、年末には除夜の鐘を聞き、年が改まると神社に初詣・・・。
篤い信仰をお持ちのお方には申し訳ないのですが、私などは、除夜の鐘を聞く時には(最近はテレビ中継ばかりですが)、それなりの感慨や、思い起こすこともあるにはあるのですが、御仏の教えや、感謝の心などほとんど抱いておりません。神社へのお参りも、神妙に首を垂れ、「その賽銭でそれだけ頼むか」と言われるほどの願いも懸けますが、さて、どれほどの期待を描いているのかと言われますと、むしろ、一種の習慣のようなもので、お参りしないことには何となく落ち着かないといった面の方が強いように思います。
クリスマスに至っては、私に限らず、おそらくごく限られた方々を除けば、忘年会を兼ねるような行事になっていたり、子供たちにとってはプレゼントが楽しみで、親にすればめったに出来ない保護者面が出来るチャンスであったりと、ある意味では大切な場を提供してくれているのかもしれません。
世界の各地では、多くの紛争が発生しており、この時点でもまったく収束の糸口さえ見えないものが数多くあります。
その原因をたどれば、人種対立であったり、宗教対立であったり、利害の対立であったり、本当は何が原因か分らないが先祖伝来の敵対関係というのもあるようです。
どれが原因だとしても、人間同士が、これほど激しく憎みあい、幾千幾万という人命が失われている紛争が行われている現実を見ますと、その環境に置かれると、人間はそのような行動を取るのだと悲しく、そして怖ろしくなってしまいます。
人間の持つそうした一面を鎮める知恵を、私たちは未だもって手にすることが出来ていないのでしょうか。
昨年のクリスマス時期に、高島屋が販売したクリスマスケーキが、多くの物が崩れた状態で配達されるという事件がありました。ほとんどが家庭に送られたものでしょうから、楽しみにしていたクリスマスパーティが台無しになったとか、子供たちが泣き出してしまったとか、大きなトラブルとなりました。
高島屋では、材料の仕入れから製造過程、配達に至るまでトレースしたようですが、その原因を見つけることが出来ず、「すべて弊社(高島屋)の責任です」と頭を下げる姿が実に痛々しく感じたのを覚えています。
昨日、某テレビ番組で、この問題を取り上げていました。
高島屋では、今年のクリスマスケーキの販売にあたって、昨年問題が発生した制作者や配送業者など全く同じメンバーでチャレンジしたそうです。さすがに老舗の力だと感じましたが、顧客も同様に感じたのでしょう、予定数は完売し、昨日の放送段階では無事に製品が届けられているようでした。
制作にあたった方はインタビューの中で、昨年のトラブルのあとに、当然クレームもあったのでしょうが、「崩れていたが、美味しく頂きました。負けずに来年も作ってください」などといった励ましの手紙などがたくさんあったそうです。
これほど優しい人々がいることも、同じ人間の社会なのだと感動しました。
私たちは、日頃は神も仏も全く関心がない人でも、ある刹那には、神にも仏にも祈り、助けを求めてしまいます。
つい先日まで隣人同士であったはずの人々が、何の躊躇もないかのように刃を振るい鉄砲の引き金を引きます。
傷だらけの人たちが、がれきの中から幼子を救い出している映像を見たことがあります。氷の割れ目に落ち込んでいる鹿の子を、凍てつく水に首まで使って助け出している映像を見たこともあります。
人はこれほど猛々しく残酷な行動が出来、これほど優しく力強い行動を取ることが出来るのですねぇ・・・。
幸か不幸か、その両極端の立場に立つことがないままに生きてきましたが、残された日々は、ほんの少しでも、優しい方に向かいたいと願っています。
( 2024.12.26 )
今年もあと二日を残すだけとなりました。
会社などにお勤めの人の多くは、今年は九連休になる所が多いそうで、「奇跡の九連休」などと話していた人がいましたが、少々オーバーだとしても、あまり経験しない暦かもしれません。
すでに、ふるさとにお帰りになっている人や、旅行や帰郷で移動中の人もいらっしゃるでしょうが、くれぐれも慎重な行動を心がけていただき、何よりも、自然を司るお方も、今年は平穏にお願いしたいと思います。
もっとも、この期間も、交通機関や警察・消防といった関係の人など、むしろこの期間の方が多忙を極めるという人も少なくないと思われます。
ご苦労様ではありますが、そのいずれの人であっても、九連休の連続だという人であっても、年の瀬は等しく訪れ、行く年があり来る年があることを教えられる複雑な数日間となります。
「日暮れて道遠し」という言葉がありますが、年の瀬になると、私はいつの頃からかこの言葉が浮かびます。格別に深刻さなどないのですが、「ああ、今年も終るか」という気持ちがこの言葉と結びつくようです。
この言葉の出所は『史記』からです。
原文は、「吾日莫途遠、故倒行暴施之」となっています。「莫=暮れる」「途=道」ですから、前半部分は「日暮れて道遠し」そのものですが、後半部分は難解です。「故に良識的な行動が取れず このように暴挙を行ってしまうのだ」といった意味のようです。
この言葉を語るには背景があります。中国春秋時代の伍子胥(ゴシショ・紀元前 484 没)は、楚の平王に父と兄を殺害されたので、その復讐を果すため呉に亡命し、そこで身を立て、やがて楚の都に攻め込みますが、平王はすでに亡くなっていました。そこで伍子胥は、王の墓をあばいて死骸を鞭打ちました。それを見た友人がその暴挙をたしなめたことに対して、この言葉で答えたというのです。
また、兼好法師は、徒然草の中で、「日暮れ途遠し、吾が生既に蹉蛇たり」と述べています。(蹉蛇=サダ、不遇で志を遂げられないさま)
確かに、兼好法師の伝記を読みますと、不遇なことが多かったようですが、多くのことを悟りきっているかのように思える人物ですが、それにしても、「生涯が終ろうとしているのに、残していることの多さに茫然としている」様子が伝わってきます。
兼好法師ほどの人物が、「日暮れて道遠し」と語れば、人生の何ぞやを語っているかのように感じてきます。本家本元の伍子胥となりますと、これは、とてもとても凡人の及ぶ次元ではないような気がします。
ひるがえって、年の瀬を迎える感慨に、「日暮れて道遠し、かァ・・」などと悦に入っているのは滑稽そのものかもしれません。
しかし、あと二日で、二度と返ってくることのない今年という年が過ぎ去ろうとしていることは確かです。兼好法師ほどに、やり残したことの多さを嘆くほどの神妙さはありませんし、伍子胥ほどの恨みを抱くものも持っていません。
しかし、過ぎて行く今年とやって来る新しい年の持っている意味は、これらの先人と何ら変らないはずです。新しい年は、レベルはともかくとして、一日一日を真っ正面で受け止めるような日々にしたいと、考えているのですが、さて・・・。
( 2024.12.29 )
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
新しい年が、皆様方にとりまして穏やかな一年でありますよう祈念申し上げます。
いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。
拙い記事ではありますが、勝手気ままに書き続けたいと考えております。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
( 2025.01.01 )
『 小さな小さな物語 目次 』
NO.1841 永遠に生きるように学ぶ
1842 言いたい放題
1843 成人は何歳ですか?
1844 余白が語るもの
1845 人の値打ちが分る時
1846 トランプ政権がスタート
1847 情操が蝕まれていないか
1848 悲喜こもごも
1849 ままならないことが多いが
1850 今年の立春は2月3日
1851 情報発信の責任
1852 日米首脳会談
1853 ペニシリン記念日
1854 見切り千両
1855 とんでもハップン
1856 「古池や・・」は凄いらしい
1857 平穏な一日が終る
1858 平和へのバランス
1859 五分と五分
1860 裏を見せ表を見せて
新しい年も、ようやく動き出したという感じです。
昨日がお正月休み明けの初出勤というお方も多かったようですが、折から、日本全土のほとんどに雨が降ったようで、足もとの悪い初出勤となったようです。
当地もそうですが、太平洋側の多くの地域は、久しく雨らしいものを見ていなかったので、乾燥注意報が出ている地域も多く、格好のお湿りになったことでしょう。もっとも、日本海側の広い地域では、大雪に見舞われているようで、ご苦労は大変なようです。
このように、お天気一つ取っても、わが国を小国などと表現するのは間違いのようで、それぞれの地域で大きな差があります。
これが人々の生活となりますと、さらに千差万別、ひとまとめに表現することはとても難しく、誤解を招くもとにもなります。
総じて言えば、今年は比較的穏やかな三が日であったと言えます。昨年のことを考えますと異論はないと思うのですが、個々の人にとってとなりますと、悲喜こもごも、安易な表現は人を傷つけることにもなりかねません。
それは、世界中の国々の事情についても同様のことが言えます。年末から新年にかけての十日ばかりの期間だけを切り取ってみても、大変な事故や事件に見舞われている国があり、紛争地域では、年の移り変わりなど関係なく人命が失われ続けています。
「103万円の壁」をもっと高くとかどうかとか、裏金をめぐる問題が国会の重要課題であったりとか、個人的には不満なのですが、もしかすると、とんでもなく恵まれている国で生活させていただいているのかもしれません。
『明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい』
これは、インドを独立に導いたガンジーの言葉です。
わが国は、世界の中でも有数の長命国です。高齢化社会といわれ始めてから久しいのですが、その対応に国家を挙げて取り組んでいるはずですが、その将来像はどうかとなりますと、なかなか二重丸の答は見出せないようです。最近では、社会全体の足を引っ張っているようなデーターや、意見さえも見られるようになってきました。
私などもまさにその一員なのですが、口では明日にでも死んでもいいような発言はしても、永遠に生きるとまでは思わないまでも、死への準備も覚悟もありません。その一方で、学ぶこととなりますと、どうも刹那的で、すぐ理解出来る物、興味のある物にばかり目が行き、残念なから、最近では二時間ドラマや映画がまどろっこしく感じるありさまです。
ガンジーはまた、『自分と異なる考え方を受け入れられないのも、暴力の一つだ』と述べています。
年齢を重ねるに従って、記憶力は衰えるとしても、包容力や思いやりといった能力は増しているはずだと考えていました。しかし、古来「頑固オヤジ」という言葉がありますように、必ずしもそうでもないのかもしれません。
記憶力は努力しなくても衰えていきますが、包容力や思いやりといった優しさは、それなりの努力なり勉強が必要だということを心する必要がありそうです。
新年にあたって、「明日死ぬ覚悟」は難しそうですが、「永遠に生きるように学ぶこと」は、レベルさえ気にしなければ可能なような気がします。
今年の目標の一つにしたいと思っています。
( 2025.01.07 )
年末年始の九連休とやらを終えて、社会が動き始めました。
ただ、今年は北国を中心に広い範囲で大雪に見舞われていて、一部の地域には警報も出されています。多難な船出のような気がしないでもありません。
一方で、経済団体新年祝賀会では、有力会社の社長などから、賃上げに対して前向きであるなど、概ね強気な姿が見受けられたように思います。
石破首相も、トランプ氏との面談は大統領就任後に延びたようですが、国際会議を除けば、初の外国訪問先として、マレーシア・インドネシアを選び出発しました。外交の成果は、そうそう即効性がある物とは思わないのですが、アセアン諸国との連携は非常に重要と考えられ、パフォーマンスではなく、地道な相互信頼を積み上げて欲しいものです。
ここ数年、ロシアによるウクライナ侵攻に代表されるように、各地での紛争が増加しているように思われます。また、銃火を伴うような紛争に至っていないまでも、かなり危険性が高まっているのではないかと懸念される地域も、その深刻さを増しているような気がします。
そうした国際情勢の中、いよいよ米国では、トランプ氏が大統領に就任します。すでに、大統領同然の発言が多数見られますが、正式に就任すれば、様々な発言していることに対して、どの程度具体的行動を取るのか、興味津々といいますか、戦々恐々といいますか、遠く離れた外野席からでも、その一挙手一投足が気になります。
トランプ氏は、大統領選挙に勝利すると同時に、現職大統領を上回るような存在感を示しています。
伝えられている、よく知られた発言だけでも、「ロシアとウクライナの戦争は、就任後24時間で終らせる」「中国ばかりでなく、カナダ・メキシコに対する高額関税、さらにすべての国に対して関税を課し国内産業を守る」「カナダを51番の州にする」「グリーランドを売り渡せ」「パナマ運河の管理を取り戻す」等々、相当思い切った、それも乱暴な、あるいは荒唐無稽と表現したいものまでも入っています。
この中に、わが国に関するものはありませんが、当然、これらに近い要求は覚悟をしておく必要があるかもしれません。
どれもこれも、どこかまで本気なのかと首を傾げますが、トランプ氏が発言すると、「冗談でしょう?」と言えないところが、何とも不気味です。それに、米国には、かつて、モンロー主義を唱えたり、アラスカをロシアから買い取ったという過去を有しているだけに、とても見過ごすことなど出来ないような気がします。
よく目にする言葉ですが、「私たちは、それぞれがそれぞれだけの物差しを持っている。そして、常に自分の物差しだけが正しいと思っている」と、多くの人が似たような言葉を残しているようです。
おそらく、そうした言葉を言い残した人は、「自分は公平だが、あいつは、自分勝手な主張ばかりする」といった気持ちから書き残したのではないかと思うのです。少々、性格の悪さが出てしまったかもしれませんが・・・。
いずれにしても、日常生活においても、このような経験をすることはよくある事ですが、時には、スルーしてみたり、涙を飲んで受け入れたり、強引に自分の物差しで決着させたものの苦い物が残ったりと様々ですが、何とか折り合いをつけ合うことが出来る人同士が、辛くも付き合いを続けられているのだと思われます。
ただ、これが、国家同士となりますと、なかなか深刻です。
どうやら今年は、そうした場面が数多く登場する年になりそうな気がしてなりません。
( 2025.01.10 )
今日は「成人の日」です。
各地で様々な催しが行われるようです。殆どは市町村が開催するもののようですが、対象の方がいらっしゃる家庭などは、大わらわなのでしょう。それでも、新しい門出を祝う行事だけに、明るさや希望が渦巻いていることでしょう。
私たちのご先祖は、洋の東西を問わず、子どもの成長を祝ったり願ったりする機会を作って、さまざまな行事を行ってきています。わが国も同様で、現在忘れかけている物も含めれば実に細やかな配慮がなされています。
そして、成人式は、そうしたものの総仕上の行事だといえます。
ただ、わが国の成人である法的な規定は、なかなか複雑です。
かつては20歳で統一されていましたが、選挙権などが18歳に変更されてから、権利や責任などが分散されています。さらに、実質的ということになりますと、早くに仕事に就いている人は子どもの域を脱しているかもしれませんし、自立という観点から見れば、大学生の多くは、まだ到達していないのかもしれません。
もっとも、江戸時代以前の場合も同様で、形式上は男子は「元服」、女子は「髪上げ」や「裳着」などといった儀式が行われたようですが、その年齢には大きな開きがあったようですし、一般庶民などでは、村ごとの慣習などに従っていたようです。
いずれにしても、18歳や20歳よりはかなり早かったようです。
「人生五十年」という言葉をよく聞いたのは、それほど前のことではないと思うのですが、本当にそうだったのでしょうか。
「『人生五十年』という言葉は、信長が好んだとされる敦盛の一節『人間五十年 下天のうちを比ぶれば・・』の影響だよ」という意見もあるようですが、必ずしもそうではなく、昭和22年( 1947 )の平均寿命は「男 50.0 歳 女 53.9 歳」、昭和25年( 1950 )は「男 59.5 歳 女 67.75 歳」となっていますから、当時であれば、現実離れしているというものではないようです。
これが、江戸時代の頃となりますと、相当様子が変ります。もちろん、確実なデーターではないのでしょうが、平均寿命は30歳未満だったのではないかという資料があります。
江戸時代のある時期の限られた場所のデーターですが、成人した人の死亡年齢が「男 61 歳 女 60 歳」とされています。但し、当時の0~5歳児の死亡率は70%を超えていたともされますから、平均寿命となれば、30歳を下回ることになります。
昨年のわが国の平均寿命は、「男 81.0 歳 女 87.1 歳」ですから、「人生五十年」はまったく実感しません。ありがたい時代だということも出来ますが、「人生五十年」程度の根性では、生き抜くのは大変だということも出来ます。
成人の日の今日、若い方々の前途を祝う言葉の一つでも書き記すべきかもしれませんが、前途洋々であると共に、相当根性を据えて人格の基礎作りをしなくては、80歳90歳を超えて生きがいを持ち続けるのは容易でないことを伝えたいと思うのです。
「人生五十年」という言葉を耳にしながら年を重ねてきた者が言っているのですから、本当ですよ。ただ、良くしたもので、人間という奴は、それはそれで、80歳になろうと90歳になろうと、チャレンジ精神を培うことは可能のようですがねぇ・・・。
( 2025.01.13 )
毎年のことながら、一月は格別時間の流れが速いような気がします。もっとも、十二月も同じような思いをしたような気もしますので、単なる気のせいなのでしょうが、早くも月半ばとなりました。
昨日十五日は、小正月ということで小豆がゆを頂き、正月飾りらしいものはすべて片付けました。ただ、鏡餅は、十一日が鏡開きということで、一足先に頂戴してしまいましたが。
この、いわゆる正月飾りと言われるような物をいつ片付けるかについては、地域差がかなりあります。私は関西育ちなので、十五日を正月行事の最後のような感覚を持っていますが、最近では、多くの地域が七日でもって正月飾りを外すというのが主流のようです。十五日というのは、関西と四国辺りで、それ以外の地域は七日というのが多いようです。
いずれにしても、おっとり型の地域でも、今年のお正月とはお別れということになります。
最近は、成人の日が年ごとに異なりますが、以前は、十五日が成人の日でしたから、正月終いとも重なって、大きな区切りの日のように感じていました。残念ながらそれが無くなり、成人の定義も、十八歳だ、二十歳だとなんとなく落ち着きがないように思っていましたが、今年の各地の行事を見ていますと、どうやら、『二十歳の集い』ということで定着しそうなのが、とても良かったと思いました。
成人の日に拘るわけではありませんが、小豆がゆを頂きながら成人の日に関するニュースを見るのは、正月気分を吹っ切って、遅ればせながら新しい年に向き合うことが出来るような気がしたものです。この一年を、漠然と描いているそれなりの計画をどのように具体化させるか、などと考えてみたりします。
成人式を迎えたような方にとっては、人生というカンバスをどのように彩っていくかという出発点かもしれません。
ずっと以前ですが、絵描きさんのご夫婦と知り合いになったことがあります。絵画とはまったく関係ありませんが、仕事がらみでのお付き合いですが、とても素敵なご夫妻でした。
お二人とも絵を描いておられましたが、生活の基盤は絵画教室でした。小中学生を対象とした教室で、主に奥様が仕切られている感じでした。ご主人は、絵描きさんとして一本立ちを考えておられ、すでに、デパートの包装紙のデザインなども手がけていましたし、仲間と共に個展も開かれていました。しかし、生活の糧は絵画教室による物で、並みのサラリーマンより高収入でした。
そのご夫妻が、ある時、それらの基盤をすべて手放して、スペインに渡ることになりました。長い間温めていた計画だという話でした。
奥様は、生徒を意識してか、とても優しい感じの水彩画が主体でしたが、ご主人の方は、カンバスからはみ出るかと思うような、迫力のある色彩が特徴でした。それでも、まだまだ不足で、スペインでならもう一段成長出来ると思っているのだと話してくれました。
そして、「○○さん(奥さんのことをそう呼んでいた)の絵は、一見優しく見えるけれど、時には、『はっとする』ような一面を見せるのですよ。彼女の絵には、とてもかなわないなと思うことがあるんですよ。おそらく、その原因は、余白部分が彼女の絵に凄みを生み出していると思うのだが、なかなか真似ることが出来なくてねぇ・・」とも話してくれました。
成人の日を迎えた人が、人生というカンバスを描き始めるのだと想像した場合、只今現在は、その絵筆にどんな色の絵の具がつけられているとしても、ほんの一筆タッチしたに過ぎません。
これからどのように彩っていくのか、あらゆる色を懸命に塗りたくっていくのか、得意の色を中心に塗り重ねていくのか、さまざまな人生を描いていくのでしょう。そう考えたとき、ふと、あの絵描きご夫妻のことを思い出し、もしかすると人生というカンバスにも、余白が必要なのかもしれないと思うのです。
さて、わが身となりますと、人生のカンバスは少々重荷ですので、せめてこの一年の画用紙を広げて、たとえ余白ばかりとなろうとも、温かい色合いの絵の具を一筆でも多く塗っていきたいと考えています。
( 2025.01.16 )
一昨日17日は、阪神淡路大地震から30年を迎えた日でした。
各地で多くの追悼行事が行われ、天皇皇后両陛下も神戸においで下さいました。
ここしばらくは、関西では、新聞もテレビも、このニュースであふれていましたが、どうやら、今日あたりは、その種のニュースは殆ど見かけなくなることでしょう。
30年というのが、どの程度大きな意味を持っているのか、節目になる年なのかは分りませんが、ずいぶん長い時間だということは確かでしょう。
神戸をはじめとして、周辺の都市も、相当凄まじい被害を受けた場所もたくさんありましたが、すでに、その痕跡を見つけるのが難しいまでに復興を果しました。
しかし、このところの報道を見ていますと、人々が負った心の傷というものは、そう簡単に完治するものではなく、むしろ、増幅する部分も小さくないのだと教えられる思いでした。
当時、私の住居も勤務先も、甚大な被害を受けた地域からは少し離れていましたので、門塀や建物に少々の被害を受けただけですみました。しかし、同僚全員の安全が確認出来るまでには丸二日余りを要しました。
震災後の数ヶ月間の生活、私の場合は職場での対応でしたが、今思い出しても、よく乗り越えられたものだという気がします。
取引関係の中には、亡くなったり、家族を亡くされた人もいましたし、自宅も住居も燃えてしまった人もいました。小学校の体育館に非難されていた人を見舞った時に、「もう、駄目ですよ」と中小企業を経営していた親父さんが声を挙げて泣く姿に、掛ける言葉もありませんでした。
一方で、とてもありがたい経験もさせていただきました。災害発生から二か月ばかりは、私は朝5時頃に勤務先に入り、自分で出来る仕事は8時頃までに終え、後は、大半の社員は飲み水に困っていましたので、それを何とか集めることや、被災の大きかった取引先などとの対応などにあたっていました。そうしたある日、早朝に勤務先に着くと、その入り口近くに、何ケースもの飲料水の箱が積み上げられていました。そこには、「わずかですが社員の方々に」とのメモ書きが挟まれていました。50km以上離れた取引先でした。
当時のことを思い返してみますと、相当の被害を受けた人の中にも、「ハイ」になっていた人が少なくなかったような気がします。「火事場の馬鹿力」などというのは適切な表現ではないかもしれませんが、壊滅的な生活基盤を建て直すために、「つま先立ちで走り回るような状態」を続けていた人を何人も見たような気がします。同時に、「全くの無気力」に陥っている人もいましたし、残念ながら、「この機に一儲けを」という状況にも出会いました。
被害からいえば、ほんのかすり傷にもあたらない程度でしたが、私はこの期間に、多くのものを教えられたような気がします。
人は、平穏な状態であれば、賢いことも立派なことも言えます。
しかし、逆境に立ったとき、どういう振る舞いが出来るかが、その人の本当の価値ではないでしょうか。
かつて、ある著名な方(多彩な身分を持っていた)から、こんな話を聞いたことがあります。
「金持ちの人が金持ちの間は立派なことが言える。貧乏人が貧乏の間は賢いことが言える。ところが、金持ちが貧乏になったり、貧乏人が大金をつかんだ時には、そうはいかない。その時にこそ、その人物の値打ちが分る」といっものでした。
幸か不幸か、私は金持ちになったことがありませんし、明日食べる物がないというほどの貧乏も経験していません。つまり、本当の値打ちを示す機会もなかったということになります。幸か不幸か分りませんが。
おそらく私の生涯はこの状況が続きそうな予感があるのですが、もし、大金持ちになるか、明日の食べ物もなくなってしまった時に、どういう行動が取れるのか、根性を鍛えておくことも必要な気もするのですよ。
( 2025.01.19 )