『 故帥殿の姫君 ・ 望月の宴 ( 139 ) 』
帝(三条天皇)のもとには、まだどなたもお仕え申し上げていない。
尚侍殿(ナイシノカミドノ・道長の次女、妍子)を参上させるようにとのお便りが度々あるが、殿の御前(道長)がはっきり心をお決めにならない。
帝のご後見は殿がお引き受けなさっており、東宮(敦成親王・生母は彰子)のお世話はさらに手厚くなさっている。帝がお代わりになっても、内裏における殿のご様子には何の変化もないと世間の人たちは取沙汰している。
帝の宣耀殿女御(娍子。藤原済時の娘。)の宮たちのうちお三人は御元服なさった。四の宮(師明親王、この時七歳。)はまだ幼くていらっしゃる。
女一の宮(当子内親王、十一歳。)は、斎宮におなりになるべくお決めになった。
御即位、御禊、大嘗会など、あれやこれやと世間は騒ぎ立っている。女御代(大嘗会には通常は女御が供奉するが、出られない場合には、大臣などの女が女御代として供奉する。)には、尚侍殿が参られるようだと世間の人が噂している。ただ、まだそれは決定していない。
ところで、故帥殿(伊周)の姫君のもとには、高松殿の二位中将(道長の次男頼宗。生母は高松殿 ( 源明子 ) 。)が夫として通っていらっしゃったが、最近御子をお生みになられたが、たいそう可愛らしい女君でいらっしゃったので、殿(道長)は、将来のお后よと言ってお抱きになり、可愛がられていらっしゃる。
お誕生祝いの七日間の御有様は、限りなくご立派で、多くの方々からお祝いが寄せられていた。殿の御前(道長)も勿論のことで、万事につけ十分にご支援なさっている。
あの帥殿が、秘蔵の姫君として大切にお育てになられていたことを思い出すにつけても、二位中将とのご縁が悪いというわけではないが、この世で最高の地位にと思い描かれていたことを、思い出し申される人も大勢いる。
一条帝から三条帝へお移りになる間の、詳しい事情や世の騒がしいことなどは書き尽くせないのでご想像いただきたい。
また、この姫君が誕生なさってからは、二位中将は宮中や殿のもとに参上なさるのも、時間が惜しまれるご様子である。
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