『 中関白家の姫たち ・ 望月の宴 ( 132 ) 』
ところで、東宮(居貞親王)の一の宮を式部卿宮(敦明親王)と申されるが、広幡の中納言(藤原顕光)は現在では右大臣であるが、承香殿女御(ショウキョウデンニョウゴ・一条天皇女御元子)の御妹の中姫君(顕光の二女延子)に、この式部卿宮を婿にお迎えになった。
なんとまあ、古風な婚儀だと式部卿宮はお思いであったが、決してそれほどではなく、ごく無難な御有様であった。右大臣殿も若い頃からこれというほど目立つことはおありでなかったが、立派な方と評判の高かった閑院の大将(顕光の異母弟の朝光。兄を越えて昇進したが、45歳で正二位大納言で死去した。)は、大納言でお亡くなりになってしまったが、この殿は、このように長生きなさったので(この時67歳)、大臣にまでおなりになったのであるから、それも立派なことである。
式部卿宮は、この結婚にそれほど期待を寄せていらっしゃらなかったようだが、まったく思っていなかったほどに女君は美しく、ご気性も申し分なく、万事につけ不満もなく、夫婦の間の愛情は睦まじい様子なので、現在は、姉の承香殿女御をこの上ないお方として大切になさっていた父の大臣も、式部卿宮の北の方となった妹を大切なお方とお思いである。
式部卿宮も、もともとはたいそう浮気なお方でいらっしゃるが、この女君を、目下のところは心からお気に入られているので、まことに思いがけないことだと人々は取沙汰している。
かの帥殿(伊周)の大姫君のもとには、現在の大殿(道長)の高松殿(明子)がお生みになった三位の中将(頼宗)がお通いになっているとか、世間で噂されている。別に悪いことではないが、殿(伊周)がお考えの戒めには添わないことではある。
中将はたいそう好色なお方で、お見受けした女性をそのまま見過ごすことがないといった具合で、あちらこちらの御方々に仕える女房などにも声をかけたり、子さえお生ませなったりされているが、この大姫君のもとにお通いになり始めてからは、これまでとはまるで違うお心持ちのようだが、やはり、折々に他の女性との密会が止まないのは、どうも好感が持てないことである。
それでも、真剣にこの大姫君を愛していらっしゃって、一心にお尽くしになられたので、お仕えしている女房方は感激して涙し、姫君自身も手厚い心遣いに気後れなさるほどであった。
母北の方は、もともと中の君の方を可愛がっていらっしゃったので、何事につけ大姫君の婿殿には関心が薄いようにお見受けされた。
中の君には、中宮(彰子)から度々の出仕へのお誘いがあったが、亡き父帥殿(伊周)のご遺言が次々と破られていくことが悲しく、ただ今はとてもその気になれないご様子だが、見苦しくない程度の宮仕えならば応じてもよいかとお思いになっており、お労しいこととお見受けされる。
哀れなるこの世の中は、寝ている間に見る夢にも劣らぬ有様である。
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