雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

にぬき

2010-04-21 14:00:59 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


里では 鶏を飼っていた。
鳥小屋も あるにはあったけれど、いつも開けっ放しで 放し飼いだったな。それでも 卵は ちゃんと鳥小屋にある巣箱の中で産んでいた。
産んだしりから取られて食べられてしまうのに、何で余所で産まなかったのかねぇ。


今と違って、卵はとても貴重品だった。今の鳥みたいに 毎日毎日産むわけでもないから、わたしなんか 病気でもしないと滅多に食べさせてもらえなかった。


いつだったか、兄嫁さんが わたしに隠れて 自分の子供たちだけに「にぬき」を食べさせているのを見たことがある。ああ、ゆで卵のことだよ。わたしも食べたいと それほど思ったわけでもないけれど、あの時は切なかったなあ。


早く大きくなって、自分でお金を稼げるようになったら 腹いっぱい「にぬき」を食べてやる、と思ったものな。
もっとも、未だに「にぬき」を腹いっぱい食べたこともないし、今だと 二つ食べるのも勘弁して欲しいわなあ。

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里の食事

2010-04-21 14:00:02 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


子供の頃の食事は、今に比べれば、そりゃあ粗末なものだったよ。でも、物心ついた時から同じようなものを食べていたから、美味しくないとか、嫌いだとか、さんざん文句は言っていたが、別にもっとうまいものを食べたいということでもなかった。


主食は、麦飯だった。里は農家で、それほど酷い貧乏ではなかったが、良い田が無く、てて親もあにさんも泥田のようなところで米を作るのを嫌って畑にしてしまっていたから、米は少ししか取れなかった。


だから、麦飯といっても、米は一割ほどでほとんど麦ばかりだった。麦は一度ふかしてから、大きな釜でわずかな米とともに炊くんだ。
おかずは、ほとんど畑で採れるものだった。
おかずになるものとしては、人参、大根、ゴボウ、小芋、じゃが芋、サツマイモ、ネギ、菜の花、たかな、キュウリなど季節ごとにいろいろ作っていた。


おかずにはしないが、スイカ、ウリ、トウモロコシ、大豆、蕎麦、トウキビなども作っていた。
ああ、エンドウは作らなかったねぇ。あれは、お大師さんにさわりがあるからねぇ。

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みそまめ

2010-04-21 13:58:56 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


里では 大豆も植えていたが、おかずにはしなかったなあ。
うちで作った大豆は、ほとんどが 味噌の原料になっていた。
ああ、わたしらは みそまめ といっていたくらいだからな。


うちで食べる味噌は 全部家で作っていたが、その時大豆を蒸すが、それを時々盗んで口に入れていると、はは親や兄嫁は、「せいだい お食べ。きっとお腹が痛くなるから」と言っていた。
大豆は消化が悪く、腹痛を起こしやすいと教えられていたものだ。


最近は、大豆の煮たものを子供たちがよく持ってきてくれる。
「おばあさんが好きだから」と みんなが言うけれど、それに 確かにおいしく味付けされ やわらかく煮てはいるけれど、わたしは やはり みそまめ という感覚が抜けないんだよね。
もっとも お腹が痛くなったことは一度もないわねぇ。

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馬の上前をはねる

2010-04-21 13:57:57 | さても このごろは

さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・


里の家では 馬を飼っていた。
うちでは農作業に使うことはあまりなく、兄が運搬用の馬車を引かせて、日銭を稼いでいたようだ。まあ、百姓といっても、田圃があまりなかったから 何でもしなければ食べていけなかったんだろうね。


だから 馬はとても大切にされていて、北海道産だという豆を よく食べさせていた。確か ソラマメを砕いたもののように覚えているが、本当はどうだったのかなあ。その豆を蒸して食べさせるのよ。


時々、はは親が その豆を少しいただいて、煮付けたものをおかずにしていた。
ある時 兄がそれを見つけて、「なんだあ、馬の上前をはねているのか」と笑いながら つまみ食いをして、「これは なかなかいけるな」と感心していた。
その後は どうしていたか知らないが、あの兄嫁さんのことだから、わたしたちのおかずにも なっていたのと違うかなあ。

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