枕草子 第二百九十七段 便なきところにて
便なきところにて、人にものをいひけるに、胸の、いみじうはしりけるを、
「など、かくある」
といひける人に、
逢坂は胸のみつねに走り井の
みつくる人やあらむと思へば
都合の悪い所で、男と逢っていたのですが、気がかりで、胸騒ぎがひどくしたのを、
「どうして、そんなにそわそわするのか」
なんて言う男に、
逢坂は胸のみつねに走り井の
みつくる人やあらむと思へば
この章段も何だかぼんやりしている感じですが、前段と同じく橘則光との思い出のようです。
つまり、男女の逢瀬に神経を使っている少納言さまと、そのあたりのことに無頓着な則光との関係を描いているようです。
和歌が全く苦手だという則光に対して、技巧に満ちた和歌を詠んでいるのも、いかにも少納言さまらしいといえます。
なお、この和歌には、「逢坂」と「走り井」は歌枕で、それぞれ「逢う」と「はしる(痛む)」の掛け詞になっており、「みつ」と「水」も同様で、技巧が加えられています。
便なきところにて、人にものをいひけるに、胸の、いみじうはしりけるを、
「など、かくある」
といひける人に、
逢坂は胸のみつねに走り井の
みつくる人やあらむと思へば
都合の悪い所で、男と逢っていたのですが、気がかりで、胸騒ぎがひどくしたのを、
「どうして、そんなにそわそわするのか」
なんて言う男に、
逢坂は胸のみつねに走り井の
みつくる人やあらむと思へば
この章段も何だかぼんやりしている感じですが、前段と同じく橘則光との思い出のようです。
つまり、男女の逢瀬に神経を使っている少納言さまと、そのあたりのことに無頓着な則光との関係を描いているようです。
和歌が全く苦手だという則光に対して、技巧に満ちた和歌を詠んでいるのも、いかにも少納言さまらしいといえます。
なお、この和歌には、「逢坂」と「走り井」は歌枕で、それぞれ「逢う」と「はしる(痛む)」の掛け詞になっており、「みつ」と「水」も同様で、技巧が加えられています。