つい最近、万葉集の勉強を始めました。
と言っても、図書館にある万葉集に関係しているような本を、片っ端から読みあさっている程度ですが、これが、なかなか面白いのです。
万葉集は、そのほとんどが万葉仮名を用いて記されていますが、当然ながら私には手も足も出ませんので、ごくたまに私たちがよく目にする読み下しされた物と比べる程度です。
万葉集には4,500首以上もの歌が載せられていますが、そのうちの2,100首ほどは作者不明になっています。
まだ全部に目を通すことは出来ていませんが、パラパラと見ていくだけでも、よく知っている歌や、どこかで見た覚えのある歌が意外に多いような気がしました。実は、万葉集は私たちと案外近い所に存在しているのかもしれません。
それにしても、万葉仮名というのは、実にすばらしい知恵だと思いました。
正確な発生経緯などは勉強していないのですが、要は、古代の日本で使われていた言葉を表記するために、漢字の意味はまったく無視して、音だけを借用して当てはめて表記しているのです。
古事記や日本書紀は漢文が主体として用いられていますが、歌謡の部分などには万葉仮名が用いられています。その事から、当時は、上流階層に限られたのでしょうが、かなり広く用いられていたのかもしれません。しかし、現在の私たちが見ることが出来る文献としては、万葉集が突出している事から「万葉仮名」と名付けられたようです。
万葉集には、現在に伝えられている著名な歌人やドラマの一場面を彷彿とさせるような相聞歌などが数多く登場します。
その中に、柿本人麻呂と山部赤人という歌聖がおります。
この歌聖と称せられるようになったのは、古今和歌集の紀貫之による仮名序の中で、
『 かの御時、正三位柿本人麿なむ歌の聖なりける。
( 中略 )
また、山の辺赤人といふ人ありけり。歌にあやしく妙なりけり.
人麿は赤人が上に立たむことかたく
赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。 』
と記しており、これを以て後世の人は二人を歌聖と呼ぶようになったのです。
もっとも、貫之は、人麿は「歌の聖」と述べていますが、赤人は「人」と述べていて、歌の技量は同等としているだけで、歌聖は柿本人麿一人だという人もいるようです。
いずれにしても、二人は宮廷歌人として名高い存在であったことは確かのようです。また、貫之は人麿を正三位と述べていますが、実際は、人麿も赤人もその動静は万葉集にのみ残されていて、正史には見当たらないようなので、二人とも貴族ではなく六位以下の官人だったと考えられます。
しかし、二人とも教科書の定番といいたいような歌を詠んでいます。
人麿 『東(ヒムガシ)の野にかぎろひの立つ見えて かえり見すれば月傾きぬ』
赤人 『田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける』
(この歌は、新古今和歌集では「田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」となっていて、これが小倉百人一首に選ばれています。)
万葉集には、紀貫之が勝手に述べただけとはいえ、歌聖と称される歌人が二人もおり、天皇や皇族や貴族をはじめ、あらゆる階層の人々の歌が載せられています。特に、2,100首にも及ぶ作者不明の作品は、詠み手の俗姓は想像し放題なのです。
それぞれの作者がどのような思いで詠んだのか、その心境や目にした風景を想像することはとても楽しいものです。
『万葉集の風景』というカテゴリーで、出来るだけ多くの歌をご紹介していきたいと思っておりますので、ぜひ覗いてみて下さい。