『 ほどろほどろに降り敷けば ・ 万葉集の風景 』
沫雪の ほどろほどろに 降り敷けば
奈良の都し 思ほゆるかも
作者 大宰帥大伴卿
( 巻8-1639 )
あわゆきの ほどろほどろに ふりしけば
ならのみやこし おもほゆるかも
歌意は、「 あわ雪が ほんのうっすらと 降り積もると 遙かなる奈良の都が 思い出されるなあ 」
* 作者の大宰帥大伴卿(ダザイノソチ オオトモキョウ)とは、大伴旅人(オオトモノタビト・ 665 - 731 )のことです。
大伴氏は、古くからの軍事を専らとする名族ですが、旅人も軍事を中心に官職を勤め順調に昇進を重ね、従二位大納言にまで昇っています。
一方、歌人としても優れていて、万葉集には78首が採録されていますし、漢詩も堪能であったようです。また。万葉集の編纂に関わったとされる大伴家持は旅人の実子です。
* 710 年には左大将に任じられ、720 年には征隼人持節大将軍を勤めています。
そして、727 年頃、太宰帥(太宰府の長官)として筑紫に赴任しました。妻の大伴郎女(オオトモノイラツメ)やまだ幼い家持も同行しています。この人事については、旅人の防衛上の手腕を買ったものだという説と、後に長屋王の変と呼ばれる政変が起っているように、政情不安の中、藤原氏が旅人を遠のけたという説もあるようです。
* 太宰府に赴いて間もなく、妻の郎女が亡くなりました。旅人自らも大病を患ったようで、掲題の歌は、そうした頃に詠まれたものです。
まさに、望郷の歌といえます。
730 年 11 月に大納言に昇り、帰京を果します。しかし、翌年 7 月に病により亡くなりました。
上記しましたように、旅人は万葉集に78首の歌を残していますが、その多くは太宰府時代に詠まれた物のようです。
武人として卓越し、公卿の地位にまで上り詰めていても、妻を亡くし自らも病がちな身にとって、遙かなる奈良の都を偲ぶ気持ちは、堪え難いほどのもだったのかも知れません。
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