『 小寺の小僧 ・ 今昔の人々 』
一条の摂政殿(藤原伊尹)が住んでいた桃園というのは、今の世尊寺である。
摂政殿は、その御邸で大きな法事を催されたが、比叡山・三井寺・奈良の寺々などから優れた学僧を選んでお招きになった。
招かれた学僧たちは、夕方の講座が始まるのを待っている間、それぞれに集まって、経を読んだり、世間話をしたりしていた。
御読経所は、寝殿の南面に設けられていたので、僧たちはその辺りに集まっていたが、そこからは、南面の庭の築山や池などがたいへん美しく見えていた。
すると、山階寺(法隆寺)の僧である中算(チュウザン・935 - 976 、仲算とも。経典に通じていた。)が、いかにもその趣きに感じ入ったように、
「ああ、何とすばらしいことか。この御邸の木立(きだち)は、他所の物とは比べものにならない」と呟いたが、そばにいた木寺(きでら)の基僧(キゾウ)という僧がそれを聞くと、
「奈良の法師というものは、何と物を知らないことか。言葉遣いがまことに賤しい。『木立(コダチ)』と言うべき物を『木立(キダチ)』とか言っているようですなぁ。実に心もとない言葉遣いだ」と中算の学識の高さや奈良の僧に対抗心でも抱いていたのか皮肉たっぷりに言って、いかにも軽蔑したかのように爪をバチバチとはじいた。
中算は、こうあざ笑われると、「いやいや、これは言い損ないました。つまり、貴僧のことは、『小寺(コデラ)の小僧(コゾウ)』と申さねばなりませんなぁ」と言ったので、その辺りにいた僧たち全員が大笑いをした。
その時、摂政殿がこの笑い声を聞きつけられて、「何を笑っておられるのか」とお尋ねになったので、僧たちがありのままをお答えすると、摂政殿は、
「それは、中算がそう言おうと思って、基僧のいる前でわざと「木立(キダチ)」などと言ったのを、基僧は気がつかず、まんまと計略にはまって、『小寺の小僧』などと言われたのは、実に情けないことだ」と仰せられたので、僧たちはますます大笑いして、これから後は、基僧には『小寺の小僧』というあだ名がついたという。
さて、中算は、本当に摂政殿が申されるように、たくらんで『小寺の小僧』という言葉を導き出したのであろうか。もしそうだとすれば、大変な知恵者とも言えるし、大変腹黒いとも言えるような気もする。
いずれにしても、京と奈良の間に宗派の争いなどもあったようだが、高僧同士でも他愛もない争いをしていたようだ。
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