雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

仏教震旦に渡る ・ 今昔の人々

2025-02-28 07:59:26 | 今昔の人々

     『 仏教震旦に渡る ・ 今昔の人々 』


震旦(シンタン・中国)の後漢の明帝(メイテイ・第二代皇帝。西暦 75 年没。)の御代の事である。
ある日、皇帝は「身の丈が一丈(約 3 m )余りの金色の人がやって来た」という夢をご覧になった。。
夢から覚めた後、知識が豊かな大臣を呼んで、この夢の話をしてその意味するところを尋ねた。大臣は、「他国より、大変優れた聖人がやって来たというお告げでしょう」とお答えした。

皇帝はこれを聞いて、心に留めて注意していると、天竺(印度)から僧がやって来た。名前を、マトウガと言った。
仏舎利(ブッシャリ・釈迦の遺骨)や経典などをたくさん持参していて、それを皇帝に献上した。皇帝は、この人たちを心待ちにしていたので、歓迎し崇拝なさった。

しかし、皇帝のこうした行いを快く思わない大臣や公卿も大勢いた。いわんや、五岳(ゴガク・道教の五つの霊山。)の道士たちの不満の声は大きかった。
「我らが信奉する道教(来世の救済より現世での不老不死を理想とした。)を尊いものとして、古より今に至るまで、国を挙げて崇拝してきた。それを今さら、異国からやって来た、姿も服装も変っている訳の分からぬ者たちが持ってきた物を、皇帝が崇められるのは極めて危ういことだ」と言って歎きあったが、世間の人の大方も同じ気持ちであった。

しかし、皇帝はこのマトウガ法師を丁重に崇められ、すぐに新しい寺を建てて、白馬寺と名付けられた。
皇帝は、この寺に仏舎利ならびに経典を納められ、マトウガ法師を住まわせ、熱心に帰依されようとなさったが、ある道士が強く諫言した。
「極めて良くない事です。極めて歪んだ行いです。異国からやって来た禿(カムロ・頭を剃っている姿を軽蔑しての表現。)が持ってきたつまらない書物や仙人の屍(仏舎利を指す)などを崇めるのは、まことに奇怪なことです。我らが信奉している『道』は、過ぎ去った過去や、今やって来ている事などを占って示し、人の容貌を見てその人物の将来の善悪を見通し、霊験あらたかな神のような存在です。ですから、古から今に至るまで、皇帝をはじめとして国中の上中下の人々は、この『道』こそ大切にして、崇めてきたのです。それなのに、この『道』を棄てようとされているように見えますので、あの禿と験力を競って、勝った方を尊び、負けた方を棄てるべきです」と申し上げた。

皇帝はこの申し出を聞いて、心中不安を感じて、「この道士等が信奉する『道』は、天の事も地の事も良く占って知ることが出来る。異国からやって来た僧は、未だ能力の良し悪しを知らないので極めて心配だ。術競べをして、もし天竺の僧が負けると、大変悲しいことだ」と思われた。
そこで、「速やかに競うべし」とは仰せにならず、マトウガ法師を呼んで、「この国において昔から崇められている五岳の道士という者どもが、妬みの心を起こして、これこれの事を言ってきている。どうすれば良いか」と尋ねられた。
マトウガ法師は、「私が信奉しております法は、古より術競べをして人に崇められてきました。されば、この度も術競べをして、勝負をご覧に入れましょう」と申し上げたので、皇帝は頼もしく思われた。

さて、早速に宮殿の前の庭で術競べが行われることになった。
その日になると、国中の人々が集まってきて見物した。
東の方には、錦の天幕を張り巡らして、その内に優れた道士が二千人ばかり居並んだ。気高く年老いた者もいる。若くて血気盛んな者もいる。また、大臣や公卿や百官などもほとんどが道士の側に集まっている。
また、飾り立てた台に、宝玉の箱に信奉する経典などを入れて数多く並べられている。
西の方にも、同じように錦の天幕を張っているが、その内にはマトウガ法師とわずかな弟子、そして大臣が一人だけ加わっている。
また、台の上には、瑠璃の壺に仏舎利を入れて奉っており、装飾した箱に皇帝に奉った経典が入れてある。その数はわずか二、三百巻ほどである。

こうして、それぞれが術を待っていると、互いに経典などに火を放つと伝え合った。
マトウガ法師の陣営からは、弟子が一人現れると、火を現出させ道士方の経典に火を付けた。ほぼ同時に、道士の陣営からも道士が一人出てきて、マトウガ法師方の経典に火を放った。すると、仏舎利が光を放って空に昇っていった。経典も仏舎利に付き従うように空に昇っていき、虚空に留まっている。その間、マトウガ法師は香炉を手に取って、瞬くこともなく静観していた。
一方の道士の陣営では、経典などが激しく燃え上がり、すべてが灰になってしまった。
その時、多くの道士は慌てふためき、ある者は舌を噛み切り、ある者は眼から血の涙を流し、ある者は鼻から血を流し、ある者は息絶えてしまった。また、ある者は座を立って走り去り、ある者はマトウガ法師の陣営に走り込んで弟子になり、ある者は衝撃のあまり気絶している。
惨劇のあと、皇帝は涙を流して感動し、座を立ってマトウガ法師を礼拝した。

これから後、経典や仏の教えは漢土に広がって行き、今も盛んだという。
それにしても、いつの世も、勢力を争う惨劇は絶えないようである。

       ☆   ☆   ☆   

     ( 「今昔物語 巻第六の第二話」を参考にしました )



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