雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

蜂を使う水銀商 ・ 今昔物語 ( 29 - 36 )

2021-06-14 08:21:34 | 今昔物語拾い読み ・ その8

        『 蜂を使う水銀商 ・ 今昔物語 ( 29 - 36 ) 』


今は昔、
京に水銀を商う者がいた。長年の間、商売に励んだので、多くの財産を蓄えて、生活も豊かであった。
その男は、伊勢国に長年行き来していたが、馬百頭余りに絹・布・糸・綿・米など諸々の物を乗せて、常に下り上りしたが、ただ年少の童に馬を追わせていくだけであった。
こうしているうちに、男も次第に年老いた。しかし、このような道中を繰り返しても、盗人に紙一枚盗られることがなかった。そのため、ますます富み栄え、財物を失うことがなかった。また、火事に遭ったり水に溺れたりすることがなかった。

なかでも伊勢という国は大変な所で、父母の物でも奪い取り、親しいとか親しくないとかに関係なく、貴賤も選ばず、互いに隙を窺い、相手をたぶらかして、弱い者の持ち物を平気で奪い取って、自分の蓄えにしてしまう所である。
けれども、この水銀商は、このように昼夜に行き来しても、どういうわけか、この者の物だけは取ろうとしなかった。

ところで、どういう盗人だったのか、八十余人の一味が鈴鹿の山で、諸国の行き来する人の物を奪い、公私の財物を取り、それらの人を殺して年月を過ごしていたが、朝廷も国司も彼らを逮捕することが出来なかった。
そうした時、この水銀商が伊勢国より馬百頭余りに諸々の財物を乗せて、これまでと同じように年少の童に馬を引かせ、女たちを連れてそれに食事の世話をさせながら上っていたが、この八十余人の盗人たちは、「何と驚いた馬鹿者たちだ。あいつらの荷物を皆奪い取ってやろう」と思って、鈴鹿の山中で一行の前後に立って脅したので、童どもは皆逃げ散った。荷を乗せた馬は皆追いかけて奪い、女どもの着物は残らず剥ぎ取って追い払った。
水銀商は、浅黄色の打衣(ウチギヌ・絹を打って光沢を出したもので作った衣。)に青黒の打狩袴をつけ、練色(ネリイロ・薄い黄色)の綿の厚い着物を三枚ほど重ね、菅笠を被り、雌馬に乗っていたが、危うく逃げて小高い丘の上に登った。盗人たちも彼を見ていたが、「どうせ大したことも出来まい」と見下して、皆谷に入っていった。 


さて、八十余人の者どもは、それぞれ気に入った品物を先を争って分け取った。それを特にとがめ立てする者もいなかったので、のんびりしていると、水銀商は高い峰に突っ立って、まるで何事もなかったかの様子で、大空を見上げながら大声で、「どうした、どうした、遅いぞ、遅いぞ」と叫んでいると、半時(一時間ほど)ばかりすると、大きさ三寸(10cmほど)程もある恐ろしげな蜂が空に現れて、「ブーン、ブーン」と羽音を立てながら傍らの大きな木の枝に止まった。
水銀商はこれを見るとさらに心を込めて、「遅いぞ、遅いぞ」と言っているうちに、大空に二丈(6mほど)程の幅で遙か長く連なった赤い雲が突然現れた。

道行く人も、「一体どういう雲なのか」と見ているうちに、盗人たちが奪った品物を荷造りしていたが、この雲は次第に下りてきて盗人たちがいる谷に入っていった。
先ほどから木に止まっていた大きな蜂も、飛び立ってそちらの方に飛んでいく。何と、あの雲のように見えていたものは、多くの蜂が群れをなして飛んできていたのである。

こうして、無数の蜂が盗人一人一人に取り付いて、ことごとく刺し殺してしまった。
一人に一、二百の蜂が取りつこうものなら、どんな者でも助かるはずがない。それを一人に二、三石(一石は180リットル )取り付いたので、少々は打ち殺したとしても、全員が刺し殺されてしまったのである。
その後、蜂は皆飛び去ってしまったので、雲も晴れたように見えた。

そこで、水銀商はその谷に行き、盗人が長年奪い取って蓄えていた多くの財物、弓・胡録(ヤナグイ・矢を入れて背負う武具。)・馬・鞍・着物などに至るまで、皆奪って京に帰っていった。それで、いっそう裕福になったのである。
この水銀商は、家に酒を造っておき、他のことには使わず、もっぱら蜂に飲ませて大切にしていた。それで、この者の財物は盗人も奪わなかったのだが、事情を知らない盗人が奪い取ろうとして、刺し殺されてしまったのである。

されば、蜂さえも物の恩は知っているのである。人としての心を持っている人は、人から恩を受けたならば、必ず報いなければならない。
また、大きな蜂が現れたら、決して打ち殺してはならない。このように多くの蜂を引き連れてきて、必ず恨みを報いるものである。
この話は、いつの頃のことであったのだろうか、
此(カク)なむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

 

 


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