業平は和歌の上手 ・ 今昔物語 ( 24-36 )
今は昔、
右近衛の馬場で五月六日に騎射が行われたが、在原業平(アリハラノナリヒラ)という人は中将であったので、大臣屋(オトドヤ・公卿などの観覧席)に着席していると、女車がその大臣屋の近くに止まって見学していた。
その時、風が少し吹いて、車の下簾(シタスダレ・牛車の簾の内側に垂らした布)がひるがえったので、その隙間から見えた魅力的な女の顔に心引かれて、業平中将は小舎人童(コドネリワラワ・宮中に仕える小童)を使いとして、このような歌を詠んで届けさせた。
『 みずもあらず みもせぬ人の こひしくは あやなくけふや ながめくらさむ 』 と。
( ちらっと見ただけで よく見たわけでもない人が 恋しく思われて わけもなく物思いに暮らした今日は 一体どういう事なのでしょう。)
女からの返歌は、
『 しるしらぬ なにかあやなく わきていはん おもひのみこそ しるべなりけれ 』
( 顔を知っているとかいないとか あなたはうるさく言われますが 恋というものは思いの深さだけが 道しるべではありませんか。)
と、書かれていた。
また、この業平中将は、惟喬親王(コレタカシンノウ・文徳天皇の第一皇子。弟(清和天皇)との皇位争いに敗れ小野に隠棲した)と申される方が住んでいた山崎に狩りをしに行ったが、天の河原(大阪府枚方市)という所で馬から降りて、酒など飲み交わしている時、親王が「天の河原ということを題材に歌を詠んで、杯を差せ」と仰せになったので、こう詠んだ。
『 かりくらし たなばたつめに やどからむ あまのかわらに われはきにける 』 と。
( 一日中狩りをして日が暮れました たなばた姫よ 今夜の宿を貸してください せっかく天の河原まで来たのですから。 なお、「タナバタツメ」は「七夕つ女」で織女星のこと。)
これに対して、親王は返歌をなさることが出来なかったので、お供していた紀有常(キノアリツネ・親王の伯父に当たり、娘の一人は業平の妻)という人が、このように詠んだ。
『 ひととせに ひとたびきます きみまてば やどかす人も あらじとぞおもふ 』 と。
( わたくし(たなばた姫)は 一年にたった一度おいでになる お方(彦星)を待っていますから 他に宿をお貸しする人は ございません。)
その後、親王はお帰りになり、中将と終夜(ヨモスガラ)酒を飲み、話などされていたが、やがて二日の月(二日の月は夕方には没してしまうので、十一日との誤記か?)が山の端に隠れようとした。親王はすっかり酔って寝所に入ろうとなされたが、業平中将が、
『 あかなくに まだきも月の かくるるか 山のはにげて いれずもあらむ 』
( もっと月を眺めていたいのに もはや隠れるというのか 山の端よ お前の方が逃げて 月を入れないようにしてくれ。)
と詠むのを聞くと、親王はおやすみにならず、そのまま夜を明かされた。
中将はこのようにたえず親王の所に参上して、遊びなどのお相手をされていたが、親王は思いもかけず出家されて小野(京都の八瀬・大原辺りの古名)という所に籠られた。業平中将は親王にお目にかかろうと、二月の頃に出かけられたが、雪がたいそう深く降り積もり、もの寂しげな様子であったのを見て、中将は、
『 わすれては ゆめかとぞおもふ おもひきや ゆきふみわけて きみをみむとは 』
( 現実であることを忘れていて すべてが夢ではないかと 思い疑うのです このような山里の雪を踏み分けて あなたにお会いするとは。)
と詠んで、泣く泣く帰って行った。
この中将は、平城天皇の皇子である安保親王の御子であるので、家柄もたいそう良い方である。しかし、この世に背を向けて、心を澄まして、このように振る舞って、すばらしい和歌を詠んだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
右近衛の馬場で五月六日に騎射が行われたが、在原業平(アリハラノナリヒラ)という人は中将であったので、大臣屋(オトドヤ・公卿などの観覧席)に着席していると、女車がその大臣屋の近くに止まって見学していた。
その時、風が少し吹いて、車の下簾(シタスダレ・牛車の簾の内側に垂らした布)がひるがえったので、その隙間から見えた魅力的な女の顔に心引かれて、業平中将は小舎人童(コドネリワラワ・宮中に仕える小童)を使いとして、このような歌を詠んで届けさせた。
『 みずもあらず みもせぬ人の こひしくは あやなくけふや ながめくらさむ 』 と。
( ちらっと見ただけで よく見たわけでもない人が 恋しく思われて わけもなく物思いに暮らした今日は 一体どういう事なのでしょう。)
女からの返歌は、
『 しるしらぬ なにかあやなく わきていはん おもひのみこそ しるべなりけれ 』
( 顔を知っているとかいないとか あなたはうるさく言われますが 恋というものは思いの深さだけが 道しるべではありませんか。)
と、書かれていた。
また、この業平中将は、惟喬親王(コレタカシンノウ・文徳天皇の第一皇子。弟(清和天皇)との皇位争いに敗れ小野に隠棲した)と申される方が住んでいた山崎に狩りをしに行ったが、天の河原(大阪府枚方市)という所で馬から降りて、酒など飲み交わしている時、親王が「天の河原ということを題材に歌を詠んで、杯を差せ」と仰せになったので、こう詠んだ。
『 かりくらし たなばたつめに やどからむ あまのかわらに われはきにける 』 と。
( 一日中狩りをして日が暮れました たなばた姫よ 今夜の宿を貸してください せっかく天の河原まで来たのですから。 なお、「タナバタツメ」は「七夕つ女」で織女星のこと。)
これに対して、親王は返歌をなさることが出来なかったので、お供していた紀有常(キノアリツネ・親王の伯父に当たり、娘の一人は業平の妻)という人が、このように詠んだ。
『 ひととせに ひとたびきます きみまてば やどかす人も あらじとぞおもふ 』 と。
( わたくし(たなばた姫)は 一年にたった一度おいでになる お方(彦星)を待っていますから 他に宿をお貸しする人は ございません。)
その後、親王はお帰りになり、中将と終夜(ヨモスガラ)酒を飲み、話などされていたが、やがて二日の月(二日の月は夕方には没してしまうので、十一日との誤記か?)が山の端に隠れようとした。親王はすっかり酔って寝所に入ろうとなされたが、業平中将が、
『 あかなくに まだきも月の かくるるか 山のはにげて いれずもあらむ 』
( もっと月を眺めていたいのに もはや隠れるというのか 山の端よ お前の方が逃げて 月を入れないようにしてくれ。)
と詠むのを聞くと、親王はおやすみにならず、そのまま夜を明かされた。
中将はこのようにたえず親王の所に参上して、遊びなどのお相手をされていたが、親王は思いもかけず出家されて小野(京都の八瀬・大原辺りの古名)という所に籠られた。業平中将は親王にお目にかかろうと、二月の頃に出かけられたが、雪がたいそう深く降り積もり、もの寂しげな様子であったのを見て、中将は、
『 わすれては ゆめかとぞおもふ おもひきや ゆきふみわけて きみをみむとは 』
( 現実であることを忘れていて すべてが夢ではないかと 思い疑うのです このような山里の雪を踏み分けて あなたにお会いするとは。)
と詠んで、泣く泣く帰って行った。
この中将は、平城天皇の皇子である安保親王の御子であるので、家柄もたいそう良い方である。しかし、この世に背を向けて、心を澄まして、このように振る舞って、すばらしい和歌を詠んだ、
となむ語り伝へたるとや。
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