第五章 ( 二十五 )
姫さまは、夢の中で亡き御父上の鮮明なお姿とお逢いになられました。
それも、とても夢の中とは思われないようなお話があり、久我家の誉れを様々に語られたそうでございます。
姫さまが和歌の道に秀でていることは、御所にある頃は広く知られておりましたし、墨染の姿になっての旅路においても、お会いする方々の多くが姫さまの御歌に感銘されたことが数多くございました。
さらに、今回の亡き御父上とのことがあってからは、姫さまはこれまで以上に歌の道に深く心をこめられるようになられたのです。
そのようなことから、この機会に人丸(人麻呂)のお墓を参拝することを思い立たれました。
姫さまは、早速に大和国の柿本人麻呂の歌塚に向かわれ七日間参籠なされ、その七日目にあたる夜は、夜通し参籠なさっておりました。
『 契りありて竹の末葉にかけし名の 空しき節にさて残れとや 』
( 前世からの因縁があって、柿本の御神は竹園(親王家)の子孫につながるわたくしに、願っても虚しいと思われる歌の道に残れと思し召しなのでしょうか。)
このような姫さまのご心境が届いたのでしょうか、その七日目の通夜の時に、一人の老翁が夢の中に現れたそうでございます。
そして姫さまは、この老翁の面影を絵に写し留めて、お示しになられた言葉を記され、これを『人丸講の式』と名付けられました。
「先師(柿本人麻呂を指す)のお心にかなう所があるならば、歌の道に精進するという宿願は成就することでしょう。宿願成就のその時には、この講式を用いて、写し留めた御影の前で供養を執り行いましょう」
と、姫さまは思い定められました。
姫さまは、この御影を大切に箱に納めておいででしたが、しばらくはそのままになり、宿願成就というわけではないのでしょうが、次の年の三月八日、この御影を供養なさいまして、ささやかではございましたが歌会などの御影供というものを執り行われたのでございます。
☆ ☆ ☆
姫さまは、夢の中で亡き御父上の鮮明なお姿とお逢いになられました。
それも、とても夢の中とは思われないようなお話があり、久我家の誉れを様々に語られたそうでございます。
姫さまが和歌の道に秀でていることは、御所にある頃は広く知られておりましたし、墨染の姿になっての旅路においても、お会いする方々の多くが姫さまの御歌に感銘されたことが数多くございました。
さらに、今回の亡き御父上とのことがあってからは、姫さまはこれまで以上に歌の道に深く心をこめられるようになられたのです。
そのようなことから、この機会に人丸(人麻呂)のお墓を参拝することを思い立たれました。
姫さまは、早速に大和国の柿本人麻呂の歌塚に向かわれ七日間参籠なされ、その七日目にあたる夜は、夜通し参籠なさっておりました。
『 契りありて竹の末葉にかけし名の 空しき節にさて残れとや 』
( 前世からの因縁があって、柿本の御神は竹園(親王家)の子孫につながるわたくしに、願っても虚しいと思われる歌の道に残れと思し召しなのでしょうか。)
このような姫さまのご心境が届いたのでしょうか、その七日目の通夜の時に、一人の老翁が夢の中に現れたそうでございます。
そして姫さまは、この老翁の面影を絵に写し留めて、お示しになられた言葉を記され、これを『人丸講の式』と名付けられました。
「先師(柿本人麻呂を指す)のお心にかなう所があるならば、歌の道に精進するという宿願は成就することでしょう。宿願成就のその時には、この講式を用いて、写し留めた御影の前で供養を執り行いましょう」
と、姫さまは思い定められました。
姫さまは、この御影を大切に箱に納めておいででしたが、しばらくはそのままになり、宿願成就というわけではないのでしょうが、次の年の三月八日、この御影を供養なさいまして、ささやかではございましたが歌会などの御影供というものを執り行われたのでございます。
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