第五章 ( 二十六 )
そうこうしているうちに五月の頃になりました。
亡き御所さま(後深草院)の御命日が近付いてきたこともあり、姫さまはかねてからの宿願のことをお気にされておりました。宿願である五部の大乗経書写供養は、すでに三部は終えられていて、あと二部残っておりました。
姫さまは、「明日が必ずあるわけでもない」などと申されて、残りの二部の完成を急がれるご様子でございました。
ただ、まことにおいたわしいことではございますが、御布施の掛りなどが不如意で、その準備が必要となっておりました。
姫さまの大切な御形見のうち、御母上の手箱は昨年手放されていますので、残る宝物らしきものといえば、御父上から頂かられた硯が残されているだけだったのです。
「二つあった形見の品の一つを供養し奉り、父上からの物を残しておいてもどうしようもありますまい。幾世残したとて、あの世への旅に伴うことなど出来ますまい」
などと姫さまは申されて、この御硯を手放す覚悟を固められたのでございます。
そうとは申せ姫さまは、やはり、赤の他人の物にするよりも、近縁の者に引き取ってもらうことを考えられたようでございますが、思案なされているうちに、ご自分の心の内を知らないで、この世を渡って行く資力も尽き果てて、大切な形見の品まで手放すのかと思われるのもつまらないことだと考え直されたりしておりました。
ちょうどその頃、筑紫の小卿(太宰府少弐であった者か。氏名不詳)という者が、鎌倉から筑紫へ下るということで京に居りましたのが、聞き伝えて求めて参られました。
御母上の形見はすでに東国へ下っており、この度は、御父上の形見が西海をさして下って行くことになり、姫さまは悲しくも複雑な御気持ちであるかに見えました。
『 する墨は涙の海に入りぬとも 流れむ末に逢ふ瀬あらせよ 』
( する墨はわたくしの涙の海に入っていったとしても、流れていった先でいつか廻り合うことがあるようにしてほしい。・なお、「するすみ」には「無一物である身」といった意味もある)
この時のご心境を詠まれたものでございます。
そして、宿願の経供養は、五月の十日過ぎに思い立たれ、この度は河内国の聖徳太子の御墓の近くのお知り合いのもとに参られ、そこで大般若経二十巻を書写されまして、御墓に奉納されたのでございます。
☆ ☆ ☆
そうこうしているうちに五月の頃になりました。
亡き御所さま(後深草院)の御命日が近付いてきたこともあり、姫さまはかねてからの宿願のことをお気にされておりました。宿願である五部の大乗経書写供養は、すでに三部は終えられていて、あと二部残っておりました。
姫さまは、「明日が必ずあるわけでもない」などと申されて、残りの二部の完成を急がれるご様子でございました。
ただ、まことにおいたわしいことではございますが、御布施の掛りなどが不如意で、その準備が必要となっておりました。
姫さまの大切な御形見のうち、御母上の手箱は昨年手放されていますので、残る宝物らしきものといえば、御父上から頂かられた硯が残されているだけだったのです。
「二つあった形見の品の一つを供養し奉り、父上からの物を残しておいてもどうしようもありますまい。幾世残したとて、あの世への旅に伴うことなど出来ますまい」
などと姫さまは申されて、この御硯を手放す覚悟を固められたのでございます。
そうとは申せ姫さまは、やはり、赤の他人の物にするよりも、近縁の者に引き取ってもらうことを考えられたようでございますが、思案なされているうちに、ご自分の心の内を知らないで、この世を渡って行く資力も尽き果てて、大切な形見の品まで手放すのかと思われるのもつまらないことだと考え直されたりしておりました。
ちょうどその頃、筑紫の小卿(太宰府少弐であった者か。氏名不詳)という者が、鎌倉から筑紫へ下るということで京に居りましたのが、聞き伝えて求めて参られました。
御母上の形見はすでに東国へ下っており、この度は、御父上の形見が西海をさして下って行くことになり、姫さまは悲しくも複雑な御気持ちであるかに見えました。
『 する墨は涙の海に入りぬとも 流れむ末に逢ふ瀬あらせよ 』
( する墨はわたくしの涙の海に入っていったとしても、流れていった先でいつか廻り合うことがあるようにしてほしい。・なお、「するすみ」には「無一物である身」といった意味もある)
この時のご心境を詠まれたものでございます。
そして、宿願の経供養は、五月の十日過ぎに思い立たれ、この度は河内国の聖徳太子の御墓の近くのお知り合いのもとに参られ、そこで大般若経二十巻を書写されまして、御墓に奉納されたのでございます。
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