雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

関白殿二月廿一日に・その3

2014-05-18 11:00:10 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
(その2からの続き)

積善寺にお着きになられましたところが、大門のそばで、高麗や唐土の音楽を奏して、獅子や狛犬が踊り舞い、乱声(ランジヤウ・笛、鉦、太鼓などの合奏)の音や鼓の声に、何が何だか分からなくなってしまいます。「これは、生きたままで仏の国などに、来てしまったのかしら」と、楽の音と共に天に昇っていくように感じました。
門内に入ってみると、いろいろな色の錦の幕を張った幄(アゲバリ・仮屋)に、御簾をたいへん青々とかけわたし、幔幕を引きまわしてある様子などは、何もかもすべて、とても「この世」のこととは感じられません。

中宮さまの御桟敷に、車を差し寄せますと、乗車の時の君達方(伊周と隆家)がお立ちになっていて、
「早く下りて下さい」
と、おっしゃいます。乗った所でさえ大変だったのに、ここはもう少し明るく丸見えなので、かもじを入れて整えてある私の髪も、唐衣の中でぶかぶかになり、みっともないことになっていることでしょう。その髪の色の、黒さ、赤ささえ見分けられそうなほど明るいのが、とてもやりきれなくて、急には下りられません。
「どうぞ、あとの方からお先に」
などと私が言いますと、その人も同じ思いなのか、
「お下がりくださいませ。もったいのうございます」
などと、大納言殿たちに言っている。
「恥ずかしがるものですね」
と、大納言殿はお笑いになり、お下がりになられたので、やっとの思いで下りますと、大納言殿たちは近寄られて、
「『むねたか(未詳。少納言が見られると都合が悪いと思う、と中宮が考えた人物らしい)などに見せないで、隠して下すように』と宮が仰せになるので来ましたのに、下がれとは察しの悪いことですね」
と大納言殿は、私を車から引き下して、連れて中宮さまのもとに参上なされる。
中宮さまが大納言殿に「そのように、お話になられたのか」と思うにつけても、大変もったいないことです。

中宮さまの御前に参上しますと、先に下りた女房たちが、よく見物できそうな端の所に、八人ばかり座っていました。中宮さまは、一尺余り、二尺くらいの長押の上においでになられる。
「私が衝立になって隠して連れて参りました」
と、大納言殿が中宮さまに申し上げますと、
「どうだったか」
と、御几帳のこちら側へお出ましになられた。まだ、御裳や御唐衣(天皇の母である女院に敬意を表して臣従の衣装をしていた)をお召しになったままでいられるのが、すばらしい。紅の御衣なども、(誰もが用いるが)決して平凡などというものではありません。中に、唐綾の柳襲の御袿、葡萄染の五重(イツヘ)がさねの織物に、赤色の御唐衣、地摺りの唐の薄絹に象眼を重ねてある御裳などをお召しになって、それぞれの色合いなどは、まったく一般の人とは比べようがありません。

「私の様子は、どう見える」
と、中宮さまが仰せられる。
「それはそれは、すばらしいものでございました」
などと申し上げるのも、口に出してしまうと、月並みになってしまいます。
「随分長く感じたであろう。そのわけは、大夫(ダイブ・藤原道長。この時、従二位権大納言兼中宮大夫で二十九歳)が、女院の御供の時に着て行って、皆に見られた同じ下襲を着たままでは、『皆がよろしくないと思うだろう』といって、別の下襲を縫わせになっていたらしいので、遅くなったらしい。随分おしゃれでいらっしゃるわね」
とおっしゃって、お笑いになられる。
そのご表情はとても明るくて、晴れがましい場所柄、いつもより今少し際立ってすばらしい。御額の髪をお上げになっている御かんざしのために、分け目の御髪が少し片寄っているのが、はっきりお見えになることまでが、申し上げようもなくすばらしい。

三尺の御几帳一双を突き合わせにして、私たちの方との仕切りにして、その後ろに、畳一枚を横長にして、畳の縁を端にして、長押の上に敷いて、中納言の君というのは、関白殿の御叔父の右兵衛督忠君と申し上げたお方の御娘、宰相の君は、富の小路の右大臣の御孫、そのお二人が、長押の上に坐ってご覧になるのを、中宮さまは、あたりを見渡されて、
「宰相は、向こうへ行って、女房たちの坐っているところで見よ」
と、仰せになられると、宰相の君は中宮さまの気持ちを察して、
「ここでも、三人坐って十分に見ることが出来ましょう」
と申し上げられますと、
「それでは、入りなさい」
と言って、中宮さまが私をお呼び上げになられるのを、下段に坐っている女房たちは、
「昇殿をゆるされる内舎人(ウドネリ・中務省の官人。意味がはっきりしないが、身分も高くない新参の清少納言が高い席に呼ばれたことをからかったものらしい)といったところね」
と笑うけれど、
「私が、童選(ワラハセン・殿上童の選技のことという説あるも若干無理があるが、この説では、公卿の子息が殿上に上ることもあると反論しており、ダジャレにもなっていて面白い)の内舎人とでもお思いでしたか」
と言いますと、
「馬の口取りをする方の内舎人だわ」
などと言うが、そこに上り坐って見ることが出来るのは、とても晴れがましい。

こんなことがあったなどと、自分から言い出すのは、自慢話になりますし、それ以上に、中宮さまの御為にも軽率なことで、「この程度の人物を、それほどご寵愛だったのか」などと、自身にも見識があり、世の中のことを批判したりする人は、興ざめに思われるかもしれないが(このあたり分かりにくい文章)、
畏れ多い中宮さまの御事に御迷惑が及んでは申し訳ないとは思いますが、事実は事実として、書き残すしかありますまい。
まことに、身の程に過ぎた御寵愛が、いろいろとございました。

女院の御桟敷、お偉方の御桟敷など見渡しますと、いずれもすばらしいご様子です。
関白殿は、中宮さまがいらっしゃる御前より、女院の御桟敷に参上なさって、しばらくしてから、またこちらにおいでになられています。大納言殿お二人が御供として、また三位の中将殿は警護の陣に詰めていらっしゃるままの格好で、弓箭を身につけて、いかにもお似合いのすばらしい姿で御供にいらっしゃいます。そのほかに、殿上人や地下の四位・五位の人々が、多数うち揃って、関白殿の御供として並んで座っています。

関白殿が中宮さまの御桟敷にお入りになられて拝見なさいますと、中宮さまのご姉妹は、御裳や御唐衣を、一番下の御匣殿までが着ておられる。関白殿の奥方は、裳の上に小袿を着ていらっしゃる。
「絵に描いたような美しい皆さんのお姿ですな。あとのひと方は、今日ばかりは、何とか同じように見えますなあ」
と、関白殿が申されます。
「三位の君(奥方のこと。中宮の女房に見立てている)、中宮さまの御裳をお脱がせなさい。この中の御主君は、中宮さまですぞ。御桟敷の前に近衛の衛兵を置いていらっしゃるのは、かりそめのことではありませんぞ」
と言って、感激のあまりお泣きになる。「ごもっともなこと」と拝見して、座の者皆涙が出そうなのを察して、関白殿は、私の赤色に桜の五重の衣を御覧になられて、
「法服が、一着不足していたので、慌てて大騒ぎしていたのだが、そなたが着ていたのだね、お返し願うべきだったんだな。そうでなければ、もしかして、そういうものを独り占めなさったのかな」
と、仰せになられますと、少し下がって坐っておられた大納言殿がお聞きになって、
「もともと、清僧都(清少納言を清僧都としたもの。僧都の法服は赤色)の法服なんですよ」
と、助け船を出して下さった。
皆さんのお言葉は、一言として、すばらしくないものなどありません。

僧都の君(中宮弟、隆円。この時十五歳)は、赤色の薄絹の御衣、紫の御袈裟、とても薄い紫のお召物何枚かに、指貫などをお召しになり、頭の恰好は青くてかわいらしくて、地蔵菩薩のようなお姿で、女房たちに混じって歩き回っているのが、とても可笑しい。
「僧官の中で、行儀よくしていらっしゃらないで、みっともないわ。女官の中に入ったりして」
などと、女房たちが笑う。

大納言殿の御桟敷から、松君(伊周の長子道雅、三歳)をこちらにお連れする。葡萄染の織物の直衣、濃い紅の綾の衵、紅梅の織物の指貫などを着ておられる。お供には、いつものように、家司の四位や五位の人がたいへん多い。
中宮さまの御桟敷で、女房の中にお抱き入れしますと、何が気に入らないのか、大声でお泣きになるのさえ、実に活気を感じさせます。

法会が始まって、一切経を蓮の造花の赤い花一つずつに入れて、僧、俗、上達部、殿上人、地下(四位、五位で昇殿を許されていない者)、六位、その他の者までが持って行列したのは、大層ありがたいことです。
導師が参って、行道が始まり、多勢の僧が読経しながら堂の周りを廻りなどする。一日中見ているので、目もだるくなり、疲れて苦しい。
勅使として、五位の蔵人が参上した。中宮さまの御桟敷の前に、胡床(アグラ・折りたたみの椅子)を立てて坐っている様子などは、全くすばらしい。

夕方頃、式部丞則理(シキブノジョウノリマサ)が参上されました。
「『法会がすめば、中宮は夜には参内なさるように。その御供をいたせ』と、仰せを承りまして」
と言って、帰参しょうともしない。中宮さまは、
「まず、二条の宮へ帰ってから」
と、おっしゃられるが、さらに、蔵人の弁(正五位下蔵人右少弁高階信順、中宮の叔父)が参上して、
関白殿にもその旨が伝えられましたので、ともかく、天皇の仰せ言に従うということで、中宮さまはここから直接宮中に参内されることになりました。

女院の御桟敷から、
「ちかの塩釜」(古歌の引用で、こんなに近くにいるのにお話も出来ませんね、の意。「みちのくの千賀の塩釜ちかながら 遥けくのみも思ほゆるかな」、他の歌とも)
などというお便りがやり取りされる。結構な贈り物などを、使者が持参して行き来しているのも、すばらしいご様子です。
法会が全て終わって、女院はお帰りになられる。院司や上達部などは、この度は、半分だけが御供申し上げたようです。

中宮さまが直接内裏にお入りになったことも気づかず、私たち女房の従者たちは「二条の宮へ行かれるだろう」と思って、そちらへ皆行っているので、いくら待っても私たちが姿を見せぬうちに、すっかり夜が更けてしまった。
内裏では、「夜着などを早く持ってくれば良いのに」と待っているのですが、従者たち全く音沙汰なしです。仕立てたばかりの晴れの衣装の体になじまない物を着たままで、寒くなるにつけて、あれこれ文句を言っても、そのかいもありません。
翌朝早く、やってきた従者たちに、
「どうして、こんなに気がきかないの」
などと言っても、従者たちの弁解も、もっともな言い分ではありますわね。

翌日、雨が降ったのを、関白殿は、
「この通りですよ。私の運の強いことがはっきりしましたよ。どんなものです」
と、中宮さまに申し上げられる得意げなご様子も、もっともなことでございます。
しかし、その時に、「すばらしい」と拝見いたしました御事も、現在の御身の上を見比べ申し上げますと、すべて、同じお方の身の上とは思えませんので、気が滅入ってしまい、まだまだたくさんあった事柄も、書くのはもうやめておきましょう。



少納言さまが出仕されて間もない頃の思い出です。
積善寺での一切経供養という大行事の様子が詳しく記されています。関白道隆の絶大な権力が伺えますし、少納言さまが新参でありながら中宮に寵愛されている様子が分かります。

ただ、最後の部分を見ますと、この長文の章段は、関白が亡くなり中関白家が凋落した後に書かれたことが分かり、切ない気がします。




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