枕草子 第二百六十段 関白殿二月廿一日に ・ その1
関白殿、二月廿一日に、法興院の積善寺といふ御堂にて、一切経供養せさせたまふに、女院もおはしますべければ、二月朔のほどに、二条の宮へ出でさせたまふ。
ねぶたくなりにしかば、何ごとも見入れず。
つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに、起きたれば、白うあたらしう、をかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日かけたるなめり、御室礼・獅子・狛犬など、「いつのほどにか入りゐけむ」とぞ、をかしき。
(以下割愛)
関白藤原道隆殿が、二月二十一日に、法興院の積善寺という御堂で、一切経の供養をなさいますのに、女院(東三条女院藤原詮子。一条天皇母。道隆の妹、当時三十三歳)もいらっしゃる予定なので、二月の初め頃に、中宮さまは二条の宮へお出ましになる。
私は眠たくなってしまったので、何も注意して見ていませんでした。
翌早朝、日がうららかに差し出た頃に、起きて見ると、御殿は木肌も白く真新しく、洗練された造りであるうえに、御簾をはじめとして、昨日掛け替えたらしく、室内の装飾や調度は、獅子や狛犬など、「いつの間に入って来て坐り込んだのかしら」と思われて、面白い。
桜が、一丈くらいの高さで、ほとんど満開のように咲いているのが、御階のもとにあるので、「随分早く咲いたものだ。梅がちょうど今盛りなのに」と思われましたが、実は造花だったのです。何もかもよく出来ていて、花弁の色具合など、全く本物と変わらず、造るのがどんなに大変だったことでしょう。でも、「雨が降れば、しぼんでしまうだろう」と思われるのが、残念です。
小さな家がたくさんあった一画を取り払って、新しく造らせた御殿なので、木立など、大して趣があるわけではありません。ただ、御殿の様式が、親しみやすく、しゃれているのです。
関白殿がお越しになられました。
青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣に紅の御衣三枚ばかりを、じかに御直衣に引き重ねてお召しになっていらっしゃる。
こちらは、中宮さまを始めとして、紅梅の濃いのや薄い織物、固紋、無紋などを、伺候している者全員が着ているので、ただもう部屋中が光り輝いて見えます。そして、唐衣では、萌黄や柳や紅梅などがあります。
関白殿が中宮さまの御前にお坐りになって、いろいろお話しかけになられるのに、中宮さまの御返答の申し分のないすばらしさを、「実家の人たちに、そっと見せてやりたい」と思いながら、私は見ておりました。
関白殿は、女房たちを見渡されて、
「宮は、何のご不満もございますまい。多勢のすばらしい人々を控えさせてご覧になるとは、羨ましいことだ。誰一人として、劣った容貌の人はいない。この人たちは皆ご大家の御娘たちですぞ。大したものだ。よくいたわって、お側仕えをさせねばならない。
それにしても、皆さんは、この宮の心の内を、どんな風にご理解されて、こうもたくさんお側に上がられたのですかな。どれほど欲張りで、物惜しみの激しい宮だといったら、全くひどいもので、私は、宮がお生まれになった時から、一生懸命お仕えしてきましたが、未だに、おさがりの御衣一枚賜っていないのですぞ。なんの、陰口なんかじゃないですぞ」
などと、仰られるのが可笑しくて、女房たちが笑いますと、
「本当ですぞ。私を馬鹿だと思って、かくもお笑いになるのが恥ずかしい」
などと、ご冗談を申されているうちに、宮中より、式部丞某という者が参上しました。
天皇からの御手紙は、大納言殿(伊周コレチカ、中宮の兄で二十一歳)が受け取って、関白殿に差し上げますと、関白殿は上包を引き解いて、
「結構な御手紙でございますなあ。お許しがいただければ、開けて拝見いたしましょう」
などと、おっしゃりながらも、
「『大変だ』と、宮が思し召しのようだ。恐れ多いことでもあるし」
と言って、差し上げましたが、中宮さまはお受け取りになられても、すぐにひろげられるご様子もなくふるまっていらっしゃるお心配りが、とてもご立派なものです。
御簾のうちより、女房が御使いに対して、敷物をお出しして、三、四人が御几帳のもとに座っている。
「向こうに参って、御使いへの祝儀の品を用意しましょう」
と、関白殿がお起ちになられた後で、中宮さまはお手紙をご覧になられる。
御返事は、紅梅の薄様にお書きになられましたが、御衣と色合いがぴったりと合っているのが、「何といっても、中宮さまのこれほどのご趣向を、十分お察し申し上げる人はいないのでないか」と思われるのが、残念です。
「今日の御使いには、格別に」
ということで、関白殿より、ご祝儀をお出しになられる。女の装束に紅梅の細長が添えられている。
(この場合、御使いへの祝儀は、中宮が出すべきであるが、出向き先で用意されていないため、父である関白が用意したもの。なお、祝儀に女の装束を用いるのは、ごく一般的であった)
「酒肴を」
などと、関白殿よりご指示があったので、御使いを酔わせたいところですが、
「今日は、大切な行事がございます。わが君、どうぞお許しください」と、大納言殿にも申し上げて、帰っていった。
姫君たちは、とてもきれいにお化粧をされて、紅梅の御衣などを「ひけはとらない」とばかりにお召しになっておられるが、三の君は、御匣殿(ミクシゲドノ・役職名であるが、妹の四の君のこと)や、中姫君(姉の二の君のことで、淑景舎原子)よりも、大きく見えて、「奥方」などと申し上げた方が、似合いそうです。
奥方様(関白夫人、貴子)もこちらにお越しになられました。御几帳を引き寄せて、新しく出仕した女房たちには顔をお見せにならないので、不愉快な気がします。(清少納言も新参の頃で、目通り出来なかった。貴子も、漢学等の素養の高い人で、清少納言には張りあう気持ちがあったのか、定子の母でありながら枕草子には全部で二度しか登場していない)
女房たちが寄り集まって、供養当日の装束や扇などについて、話し合っている女房もいるし、また、相手を意識して秘密にして、
「私は、何も用意しません。ありあわせのものにするわ」
などと言って、
「また、いつものあなたの手ね」
などと、相手に憎まれている。
夜になると、実家へ退出する人も多いが、こういう晴れの行事の準備のためであれば、中宮さまも無理に引きとめることはされません。
奥方様は、毎日お越しになり、夜もいらっしゃいます。姫君たちもいらっしゃるので、中宮さまの御前は多くの人が伺候していて、とても良い。宮中からの御使いは、毎日参上する。
御前の造花の桜は、露に濡れても色が濃くなるわけでもなく、日などにあたってしぼみ、汚くなっていくだけででも残念なのに、雨が夜に降った翌朝は、全く形なしです。
たいそう早く起きて、
「『泣きて別れ』といった『顔』に比べると、雨に濡れた桜は、ずっと見劣りするわ」
(古歌、「桜花露に濡れたる顔見れば 泣きて別れし人ぞ恋しき」からの引用)
と私が言うのを、中宮さまはお耳になさって、
「ほんとに、昨夜は雨の気配がしていたわねえ。桜はどうかしら」
と、お目覚めになられたちょうどその時に、関白殿の御屋敷の方から、侍所の者や下仕えの者たちが多勢やって来て、桜のもとに、どんどん近付いたかと思うと、引き倒し、担いでこっそりと帰って行く。
「『まだ暗いうちに』と、仰せられたではないか。明るくなってしまっている。不都合なことだ。早く早く」
と、侍が下の者に言いつけながら、持っていくものですから、とても滑稽です。
「『咎めるのなら咎めろ』ですか」(古歌を引用しているという説もあるが、その歌がよく分からない)
とか、
「鼠の真似でもしているのですか」
とでも、私が上臈女房でもあれば、咎めたいところでしたが、他の女房が、
「かの花を盗むのは誰か。けしからんではないですか」
と咎めたので、侍たちは大慌てで逃げて、桜を持っていってしまった。
やはり、関白殿のご配慮は、すばらしいものでございます。そのままだと、枝などに濡れた花びらがまつわりついて、「どれほど、みっともない格好になるだろう」と思います。
掃部司(カモンヅカサ)の女官が参上して、御格子をお上げする。主殿(トノモ)の女官が、お掃除などに参り、それが終わってから中宮さまは起きていらっしゃいましたが、桜の木がないので、
「まあ、あきれた。あの花たちは、どこへ行ったのか」
と、仰せられる。
「暁に、『花盗人あり』と咎めるようだったが、それも、『枝などを少しばかり取ったのだ』とばかり聞いていた。誰がしたことなのか、見たかえ」
と、仰せられる。
「見届けは致しません。まだ暗くて、よくは見えませんでしたが、白っぽいものがおりましたので、『花を折るのか』と気がかりなので、咎めたのでございます」
と、女房の一人が申し上げました。
「されど、こうもきれいに、どうして盗めるのか。関白殿がお隠しになったのであろう」
といって、お笑いになられますので、
「さあ、まさかそうではございませんでしょう。『春の風』が致したことでございましょう」(『春の風』は和歌の引用と考えられるが、春の風を詠った歌は数多い)
と、私が申し上げますと、
「『こんな素敵なことを言おう』と思って、黙っていたのね。それじゃあ、盗みではなくて、随分としゃれたことだったのね」
と仰せになるが、いつものことではあるが、本当にすばらしいお方だと思いました。
関白殿がいらっしゃったので、「寝乱れた朝の顔をお見せするのも、時節外れのものとご覧になられるだろう」と思って、私は皆さんの後ろに引っ込みました。関白殿はお見えになるとすぐに、
「あの桜がなくなっているぞ。どうして、まんまと盗まれてしまったのだ。ほんとにだらしない女房たちなんだ。寝坊していて、気がつかなかったんだな」
と、わざと驚いておられるものですから、私は、
「でも、私は『われよりさきに』起きている人がいる、と思っておりましたわ」
(「桜見に有明の月に出でたれば 我よりさきに露ぞおきける」を引用)
と、小声で言いますと、関白殿は素早く聞きつけられて、
「そうだと思っていたよ。『まさか他の女房たちは、出て来て見はすまい。宰相の君とそなたぐらいだろう』と推察していたんだよ」
と、たいそうお笑いになられる。
「そのようなわけだったのに、少納言は、春の風のせいにしたのですよ」
と、中宮さまも、たいそうお笑いになられるのが、とても微笑ましい。
「少納言は、いい加減なことを言ったものだ。『いまは山田も作る』という季節だろうに」
(「山田さへ今は作るを散る花の かごとを風に負わせざらなむ」という紀貫之の歌を引用して、桜が盗まれたのを少納言は春風のせいにした、という中宮の言葉を受けたもの)
と言って、関白殿がその歌を吟詠される様子は、実に優雅なものでした。
「それにしても、見つけられてしまってしゃくなことだ。あれほどやかましく言っておいたのに。こちら様には、こういううるさい番人がいるのだからなあ」
などと、関白殿はなおおっしゃいます。
「『春の風』とは、さらりと、実にうまいことを言うものだ」
と、先ほどの歌をふたたび吟詠なさいます。
「ただの話し言葉にしては、何かいわくありげに力が入っていましたわ。それにしても、今朝の桜はどんな風だったのかしら」
などと、中宮さまはお笑いになられる。すると小若君(中宮の上臈女房らしいが出自未詳。文脈から「かの花盗むは・・・」と言ったのは、この人物らしい)が、
「それは、少納言はその桜をいち早く見つけて、『「露に濡れたる」と詠まれるのが、これでは恥ずかしい』と言っておりましたよ」
と申し上げますと、中宮さまがたいそう残念がっているのが、とても可笑しい。
(この部分、「清少納言が言った言葉を、中宮が聞けなくて残念がった」としましたが、「関白が折角の配慮を見られてしまったことが残念がった」という解釈もされているようです)
(その2へ続く)
関白殿、二月廿一日に、法興院の積善寺といふ御堂にて、一切経供養せさせたまふに、女院もおはしますべければ、二月朔のほどに、二条の宮へ出でさせたまふ。
ねぶたくなりにしかば、何ごとも見入れず。
つとめて、日のうららかにさし出でたるほどに、起きたれば、白うあたらしう、をかしげに造りたるに、御簾よりはじめて、昨日かけたるなめり、御室礼・獅子・狛犬など、「いつのほどにか入りゐけむ」とぞ、をかしき。
(以下割愛)
関白藤原道隆殿が、二月二十一日に、法興院の積善寺という御堂で、一切経の供養をなさいますのに、女院(東三条女院藤原詮子。一条天皇母。道隆の妹、当時三十三歳)もいらっしゃる予定なので、二月の初め頃に、中宮さまは二条の宮へお出ましになる。
私は眠たくなってしまったので、何も注意して見ていませんでした。
翌早朝、日がうららかに差し出た頃に、起きて見ると、御殿は木肌も白く真新しく、洗練された造りであるうえに、御簾をはじめとして、昨日掛け替えたらしく、室内の装飾や調度は、獅子や狛犬など、「いつの間に入って来て坐り込んだのかしら」と思われて、面白い。
桜が、一丈くらいの高さで、ほとんど満開のように咲いているのが、御階のもとにあるので、「随分早く咲いたものだ。梅がちょうど今盛りなのに」と思われましたが、実は造花だったのです。何もかもよく出来ていて、花弁の色具合など、全く本物と変わらず、造るのがどんなに大変だったことでしょう。でも、「雨が降れば、しぼんでしまうだろう」と思われるのが、残念です。
小さな家がたくさんあった一画を取り払って、新しく造らせた御殿なので、木立など、大して趣があるわけではありません。ただ、御殿の様式が、親しみやすく、しゃれているのです。
関白殿がお越しになられました。
青鈍の固紋の御指貫、桜の御直衣に紅の御衣三枚ばかりを、じかに御直衣に引き重ねてお召しになっていらっしゃる。
こちらは、中宮さまを始めとして、紅梅の濃いのや薄い織物、固紋、無紋などを、伺候している者全員が着ているので、ただもう部屋中が光り輝いて見えます。そして、唐衣では、萌黄や柳や紅梅などがあります。
関白殿が中宮さまの御前にお坐りになって、いろいろお話しかけになられるのに、中宮さまの御返答の申し分のないすばらしさを、「実家の人たちに、そっと見せてやりたい」と思いながら、私は見ておりました。
関白殿は、女房たちを見渡されて、
「宮は、何のご不満もございますまい。多勢のすばらしい人々を控えさせてご覧になるとは、羨ましいことだ。誰一人として、劣った容貌の人はいない。この人たちは皆ご大家の御娘たちですぞ。大したものだ。よくいたわって、お側仕えをさせねばならない。
それにしても、皆さんは、この宮の心の内を、どんな風にご理解されて、こうもたくさんお側に上がられたのですかな。どれほど欲張りで、物惜しみの激しい宮だといったら、全くひどいもので、私は、宮がお生まれになった時から、一生懸命お仕えしてきましたが、未だに、おさがりの御衣一枚賜っていないのですぞ。なんの、陰口なんかじゃないですぞ」
などと、仰られるのが可笑しくて、女房たちが笑いますと、
「本当ですぞ。私を馬鹿だと思って、かくもお笑いになるのが恥ずかしい」
などと、ご冗談を申されているうちに、宮中より、式部丞某という者が参上しました。
天皇からの御手紙は、大納言殿(伊周コレチカ、中宮の兄で二十一歳)が受け取って、関白殿に差し上げますと、関白殿は上包を引き解いて、
「結構な御手紙でございますなあ。お許しがいただければ、開けて拝見いたしましょう」
などと、おっしゃりながらも、
「『大変だ』と、宮が思し召しのようだ。恐れ多いことでもあるし」
と言って、差し上げましたが、中宮さまはお受け取りになられても、すぐにひろげられるご様子もなくふるまっていらっしゃるお心配りが、とてもご立派なものです。
御簾のうちより、女房が御使いに対して、敷物をお出しして、三、四人が御几帳のもとに座っている。
「向こうに参って、御使いへの祝儀の品を用意しましょう」
と、関白殿がお起ちになられた後で、中宮さまはお手紙をご覧になられる。
御返事は、紅梅の薄様にお書きになられましたが、御衣と色合いがぴったりと合っているのが、「何といっても、中宮さまのこれほどのご趣向を、十分お察し申し上げる人はいないのでないか」と思われるのが、残念です。
「今日の御使いには、格別に」
ということで、関白殿より、ご祝儀をお出しになられる。女の装束に紅梅の細長が添えられている。
(この場合、御使いへの祝儀は、中宮が出すべきであるが、出向き先で用意されていないため、父である関白が用意したもの。なお、祝儀に女の装束を用いるのは、ごく一般的であった)
「酒肴を」
などと、関白殿よりご指示があったので、御使いを酔わせたいところですが、
「今日は、大切な行事がございます。わが君、どうぞお許しください」と、大納言殿にも申し上げて、帰っていった。
姫君たちは、とてもきれいにお化粧をされて、紅梅の御衣などを「ひけはとらない」とばかりにお召しになっておられるが、三の君は、御匣殿(ミクシゲドノ・役職名であるが、妹の四の君のこと)や、中姫君(姉の二の君のことで、淑景舎原子)よりも、大きく見えて、「奥方」などと申し上げた方が、似合いそうです。
奥方様(関白夫人、貴子)もこちらにお越しになられました。御几帳を引き寄せて、新しく出仕した女房たちには顔をお見せにならないので、不愉快な気がします。(清少納言も新参の頃で、目通り出来なかった。貴子も、漢学等の素養の高い人で、清少納言には張りあう気持ちがあったのか、定子の母でありながら枕草子には全部で二度しか登場していない)
女房たちが寄り集まって、供養当日の装束や扇などについて、話し合っている女房もいるし、また、相手を意識して秘密にして、
「私は、何も用意しません。ありあわせのものにするわ」
などと言って、
「また、いつものあなたの手ね」
などと、相手に憎まれている。
夜になると、実家へ退出する人も多いが、こういう晴れの行事の準備のためであれば、中宮さまも無理に引きとめることはされません。
奥方様は、毎日お越しになり、夜もいらっしゃいます。姫君たちもいらっしゃるので、中宮さまの御前は多くの人が伺候していて、とても良い。宮中からの御使いは、毎日参上する。
御前の造花の桜は、露に濡れても色が濃くなるわけでもなく、日などにあたってしぼみ、汚くなっていくだけででも残念なのに、雨が夜に降った翌朝は、全く形なしです。
たいそう早く起きて、
「『泣きて別れ』といった『顔』に比べると、雨に濡れた桜は、ずっと見劣りするわ」
(古歌、「桜花露に濡れたる顔見れば 泣きて別れし人ぞ恋しき」からの引用)
と私が言うのを、中宮さまはお耳になさって、
「ほんとに、昨夜は雨の気配がしていたわねえ。桜はどうかしら」
と、お目覚めになられたちょうどその時に、関白殿の御屋敷の方から、侍所の者や下仕えの者たちが多勢やって来て、桜のもとに、どんどん近付いたかと思うと、引き倒し、担いでこっそりと帰って行く。
「『まだ暗いうちに』と、仰せられたではないか。明るくなってしまっている。不都合なことだ。早く早く」
と、侍が下の者に言いつけながら、持っていくものですから、とても滑稽です。
「『咎めるのなら咎めろ』ですか」(古歌を引用しているという説もあるが、その歌がよく分からない)
とか、
「鼠の真似でもしているのですか」
とでも、私が上臈女房でもあれば、咎めたいところでしたが、他の女房が、
「かの花を盗むのは誰か。けしからんではないですか」
と咎めたので、侍たちは大慌てで逃げて、桜を持っていってしまった。
やはり、関白殿のご配慮は、すばらしいものでございます。そのままだと、枝などに濡れた花びらがまつわりついて、「どれほど、みっともない格好になるだろう」と思います。
掃部司(カモンヅカサ)の女官が参上して、御格子をお上げする。主殿(トノモ)の女官が、お掃除などに参り、それが終わってから中宮さまは起きていらっしゃいましたが、桜の木がないので、
「まあ、あきれた。あの花たちは、どこへ行ったのか」
と、仰せられる。
「暁に、『花盗人あり』と咎めるようだったが、それも、『枝などを少しばかり取ったのだ』とばかり聞いていた。誰がしたことなのか、見たかえ」
と、仰せられる。
「見届けは致しません。まだ暗くて、よくは見えませんでしたが、白っぽいものがおりましたので、『花を折るのか』と気がかりなので、咎めたのでございます」
と、女房の一人が申し上げました。
「されど、こうもきれいに、どうして盗めるのか。関白殿がお隠しになったのであろう」
といって、お笑いになられますので、
「さあ、まさかそうではございませんでしょう。『春の風』が致したことでございましょう」(『春の風』は和歌の引用と考えられるが、春の風を詠った歌は数多い)
と、私が申し上げますと、
「『こんな素敵なことを言おう』と思って、黙っていたのね。それじゃあ、盗みではなくて、随分としゃれたことだったのね」
と仰せになるが、いつものことではあるが、本当にすばらしいお方だと思いました。
関白殿がいらっしゃったので、「寝乱れた朝の顔をお見せするのも、時節外れのものとご覧になられるだろう」と思って、私は皆さんの後ろに引っ込みました。関白殿はお見えになるとすぐに、
「あの桜がなくなっているぞ。どうして、まんまと盗まれてしまったのだ。ほんとにだらしない女房たちなんだ。寝坊していて、気がつかなかったんだな」
と、わざと驚いておられるものですから、私は、
「でも、私は『われよりさきに』起きている人がいる、と思っておりましたわ」
(「桜見に有明の月に出でたれば 我よりさきに露ぞおきける」を引用)
と、小声で言いますと、関白殿は素早く聞きつけられて、
「そうだと思っていたよ。『まさか他の女房たちは、出て来て見はすまい。宰相の君とそなたぐらいだろう』と推察していたんだよ」
と、たいそうお笑いになられる。
「そのようなわけだったのに、少納言は、春の風のせいにしたのですよ」
と、中宮さまも、たいそうお笑いになられるのが、とても微笑ましい。
「少納言は、いい加減なことを言ったものだ。『いまは山田も作る』という季節だろうに」
(「山田さへ今は作るを散る花の かごとを風に負わせざらなむ」という紀貫之の歌を引用して、桜が盗まれたのを少納言は春風のせいにした、という中宮の言葉を受けたもの)
と言って、関白殿がその歌を吟詠される様子は、実に優雅なものでした。
「それにしても、見つけられてしまってしゃくなことだ。あれほどやかましく言っておいたのに。こちら様には、こういううるさい番人がいるのだからなあ」
などと、関白殿はなおおっしゃいます。
「『春の風』とは、さらりと、実にうまいことを言うものだ」
と、先ほどの歌をふたたび吟詠なさいます。
「ただの話し言葉にしては、何かいわくありげに力が入っていましたわ。それにしても、今朝の桜はどんな風だったのかしら」
などと、中宮さまはお笑いになられる。すると小若君(中宮の上臈女房らしいが出自未詳。文脈から「かの花盗むは・・・」と言ったのは、この人物らしい)が、
「それは、少納言はその桜をいち早く見つけて、『「露に濡れたる」と詠まれるのが、これでは恥ずかしい』と言っておりましたよ」
と申し上げますと、中宮さまがたいそう残念がっているのが、とても可笑しい。
(この部分、「清少納言が言った言葉を、中宮が聞けなくて残念がった」としましたが、「関白が折角の配慮を見られてしまったことが残念がった」という解釈もされているようです)
(その2へ続く)
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