雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

閻魔王の仰せを受ける ・ 今昔物語 ( 13 - 13 )

2018-12-18 12:56:44 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          閻魔王の仰せを受ける ・ 今昔物語 ( 13 - 13 )

今は昔、
出羽の国に竜花寺(リュウゲジ・所在不詳)という寺があった。その寺に妙達和尚(ミョウタツカショウ・伝不祥)という僧が住んでいた。その寺の住職であったようだ。生活態度は清らかで、心は正直であった。また、常に法華経を読誦して長い年月が経っていた。

さて、天暦九年(955)という年に、特に病気ということではなかったが、手に経を持ったまま突然死んでしまった。ところが、日次(ヒナミ・お日柄)が良くないということで、弟子たちはそれを忌みて七日の間葬儀をしなかった。
すると、七日目によみがえって、弟子たちにこう話した。
「私は死んで閻魔王の宮殿に行き着いた。閻魔王は玉座よりお下りになって、私を礼拝してから、『寿命が尽きていない者はここに来てはならない。お前は未だ寿命は尽きていないが、わしはお前を呼んだのだ。そのわけは、お前はひたすら法華経を信奉して、濁世(ジョクセ・濁って汚れた世界。人間界。現世。)において仏法を護る人だと見ている。それで、わしはお前に直接、日本国中の衆生の行う善悪のことを説き聞かせよう。お前は忘れずにもとの国に帰り、よく善を勧め悪を止めさせて、衆生を救うように』と仰せられて、私を帰してよこしたのである」と。

このことを聞いた人は、多くが悪心を止めて出家入道した。あるいは、仏像を造り、経巻を写し、あるいは塔を立て堂舎を造る者が限りなかった。
妙達和尚は、その在世中は法華経を読誦することを怠ることがなかった。
遂に命終る時に臨み、手に香炉を取り仏を廻り奉って、礼拝すること百八へん、その後、顔を地につけて合掌して亡くなった。
必ず極楽に生まれる人だ、
となむ語り伝へたるとや。

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法華経ひとすじ ・ 今昔物語 ( 13 - 14 )

2018-12-18 12:55:47 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          法華経ひとすじ ・ 今昔物語 ( 13 - 14 )

今は昔、
加賀の国に翁和尚(オキナカショウ・伝不祥)という者がいた。心が正直で、永く諂曲(テンゴク・自分の心をまげて、人にこびへつらうこと)と無縁であった。日夜、寝ても覚めても法華経を読誦して余念を抱くことがなかった。俗人の姿をしていたが、所業は尊い僧と変わらなかった。それで、その国の人は彼のことを翁和尚と名付けていた。

衣食を得る手立てがなくて、人の布施に頼っているので、常に貧しいこと限りなかった。
もし、食べ物が手に入った時には、すぐに山寺に持って行き、それを食料として籠って、法華経を読誦した。食べ物がなくなると、里に出て行って住んだが、経を読むことを怠ることがなかった。
このようにして十余年が過ぎたが、その貧しさは塵ほどの貯えもなかった。持っている物といえば、ただ法華経一部だけであった。そして、山寺と里を往復して、住処も定まっていない。

このように、和尚は法華経を少しのひまもなく読誦していたが、心の中で、「私は長年法華経を信奉し奉ってきた。現世の幸せを願ってではない。ひとえに後世の菩提のためである。もしこの願いが叶うのであれば、その霊験をお示しください」と請い願った。
すると、ある時、経を誦していると、口の中から歯が一つ欠けて経文の上に落ちた。驚いて手にしてみると、歯が欠けたのではなく、一粒の仏の舎利(シャリ・火葬にした遺骨)であった。これを見て、和尚は涙を流して喜び尊んで、安置して礼拝した。その後、また経を誦している時に、前のように、口の中から舎利で出ること二度三度に及んだ。
そこで、和尚は大いに喜び、「これはひとえに、法華経読誦の力によって、私が菩提を得るべき瑞相(ズイソウ・不思議な前兆)なのだ」と知って、いよいよ怠ることなく読誦を勤めた。

こうして、ついに最期の時に臨んで、和尚は往生寺(オウジョウジ・所在不詳)という寺に行って、木の下に一人座り、身体に苦痛を覚えることなく、心を乱すこともなく、法華経を誦し続けた。命が終わる時には、寿量品の偈の終わりの「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」(「マイジサゼネン イカリョウシュジョウ トクニュウムジョウドウ ソクジョウジュブッシン」・・「仏は常に自ら念じている いかにして衆生を 無常の悟りの道に導き 速やかに成仏させたいものだ、と」といった意味。)という所を誦していて、心静かに世を去ったのである。
これを見聞きした人は、「この和尚は、ひとえに法華経を長年読誦してきた力によって、浄土に往生された人である」と言い合った。

されば、たとえ出家者でなくても、ただ心のおもむくままに法華経を読誦すべきである、
となむ語り伝へたるとや。

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兜率天に昇る ・ 今昔物語 ( 13 - 15 )

2018-12-18 12:54:59 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          兜率天に昇る ・ 今昔物語 ( 13 - 15 )

今は昔、
東大寺に仁鏡(ニンキョウ・伝不祥)という僧がいた。その父母は、はじめ寺の近くに住んでいたが、子がいなかったので子を授かりたいと請い願って、その寺の鎮守(チンジュ・寺の境内に勧請した守護神。)に祈請して、「もし私が男子を儲けることが出来れば、その子を僧にして仏の道を学ばせます」といった。
その後、程なく妻は懐妊して生まれた子が仁鏡である。

仁鏡が九歳になると、父は自分が願を立てたように、寺の僧について仏道を学ばせた。
最初は法華経の観音品を習ったが、習うと共に習得してゆき、すぐに全巻を習い終った。そこで、その他の経典に移り法文を学んだが、それも皆習得してしまった。また、戒律を守って破るようなことはなかった。また、深山に籠って一夏(イチゲ・九十日間一定の場所に集まって修行する。安居とも。)の勤めを行うこと十余度に及んだ。
このようにして八十歳となり、もはやいくらも生きられない。そこで、「清浄な地を探して、最後の住処にしよう。愛宕山(アタゴヤマ・京都市北西部。東北部の比叡山と対峙して、王都鎮護の聖地。)は地蔵菩薩・竜樹菩薩がおいでになる所だ。震旦(シンタン・中国)の五薹山(ゴダイサン・信仰の聖地)と同じだ。されば、そこを最後の場所にしよう」と思って、愛宕山に行き、大鷲の峰という所に住みついた。日夜に法華経を読誦して、六時(ロクジ・・僧が念仏・読経などの勤行をする時刻。具体的には、午前六時から四時間ずつ、晨朝(ジンチョウ)・日中・日没・初夜・中夜・後夜とし、その総称。)に懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を行った。

その間、衣服を求めることなく食べ物も選ぶことがなかった。破れた紙衣(カミギヌ・紙製の衣服。紙子。)と目の荒い布の衣を着ていた。あるいは、破れた蓑をかぶり、あるいは鹿の皮を身にまとっていた。
人に見られても恥じることはない。寒さを忍び暑さに堪えて、その日の食事を気にすることもない。粥一杯だけで、二、三日を過ごすこともある。
ある時には、夢の中に師子(シシ・獅子のこと。獅子は文殊菩薩の乗物。)が現れて[ 欠字あり。不明 ]近付いてきた。ある時には、夢の中に白象(ビャクゾウ・白象は普賢菩薩の乗物。)が現れて、彼に仕える[ 欠字あり。不明 ]。「これは、きっと普賢菩薩・文殊菩薩がお護りくださっているのだ」と思った。
このように修行を続けているうちに、遂に百二十七歳にして、心乱れることなく法華経を誦しながら亡くなった。

それから後のこと、その場所に一人の老僧が住んでいた。その老僧が夢の中で、亡き仁鏡聖人が手に法華経を捧げ、虚空に昇って、「私は今、兜率天(トソツテン・極楽の一つで、内院は弥勒の浄土)の内院に生まれて、弥勒菩薩にお会いしようとしているのである」と告げて空に昇って行った、という夢を見た。

これを聞く人は皆尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。

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愚鈍なれど ・ 今昔物語 ( 13 - 16 )

2018-12-18 12:53:35 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          愚鈍なれど ・ 今昔物語 ( 13 - 16 )

今は昔、
比叡山の東塔にある千手院という所に、光日(コウニチ・伝不祥)という僧が住んでいた。
幼くして比叡山に登り出家して、師について法華経を習おうとしたが、愚痴(グチ・本来は、「煩悩に惑わされて理非を悟らないこと」という仏教語であるが、ここでは単純に、「あまり賢くない」といった意味か。)にして習得することが出来なかった。
そこで、三宝(サンポウ・「仏・法・僧」の総称であるが、ここでは単純に「仏に祈願した」程度の意味か。)に強く祈請して、何とか一部を習得することが出来た。その後、梅谷という所に籠居して、長年にわたり法華経を読誦して、ひたすら仏道を修業した。そうしているうちに、霊験あらたかなことがしばしば起こるので、しだいに評判が高くなった。
その評判が、中関白(ナカノカンパク・藤原道隆)殿の北の政所(キタノマンドコロ・正妻貴子)がこの光日聖人に帰依なさって、毎日の供え物や衣服をお与えになった。

やがて、光日聖人は老境に臨んで、愛宕護の山に移り住んだ。そこで日夜に法華経を読誦して修業を怠ることがなかった。そして、かねての宿願を果たすべく八幡宮(石清水八幡宮)に参詣した。社前において、夜、法華経を読誦していると、その傍らに一人の人がいたが、その人が夢の中で、「社殿の中から天童が八人出てきて、その人の側で経を誦している僧を礼拝して、香をたき花を散らして舞い遊んでいる。また、社殿の中から声が聞こえてきて、『如是聖者 必定作仏 昼夜光明 冥途耀日 』 (ニョゼショウジャ ヒツジョウサブツ チュウヤコウミョウ メイドヨウニチ・・「このような聖者は 必ず成仏して 昼も夜も光を放ち 冥途に輝く日となるであろう」といった意味。)と申された」と見たところで目が覚めた。
その人が我に返って見てみると、その僧が傍らで法華経を誦している。その人は、僧に夢のことを話して礼拝した。
光日もこれを聞いて、涙を流して礼拝し、愛宕護に帰って行った。

その後、さらに年齢を重ね、いよいよ命が終わろうとする時に臨み、完全に法華経一部を誦し終わってから世を去った。
これを思うに、光日聖人は必ず浄土に往生を遂げた人だ、
となむ語り伝へたるとや。

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毒蛇に襲われる ・ 今昔物語 ( 13 - 17 )

2018-12-18 12:52:43 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          毒蛇に襲われる ・ 今昔物語 ( 13 - 17 )

今は昔、
雲浄(ウンジョウ・伝不祥)という持経者(ジキョウシャ・常に経を信奉し読誦する僧)がいた。若い時から長年にわたり、日夜に法華経を読誦し続けていた。

ある時、「諸国を廻って、あちらこちらの霊場を拝もう」と思い立って、熊野に詣でることになったが、志摩の国を過ぎる途中で日が暮れてしまい、あいにく泊まる所がない。見渡すと、大海に面して高い崖があり、そこに大きな洞穴があった。
その洞穴に入って宿ることにした。そこは人里を遠く離れた場所で、洞穴のある崖の上には、多くの木がすき間なく生い茂っている。
雲浄は洞穴の中に座り、一心に法華経を誦した。洞穴の中は、非常に生臭かった。それで、その臭いが気味悪いと思っていると、夜半頃に微かな風が吹いてきて、どうも様子がおかしい。生臭い臭いがますます強くなる。
雲浄はとても怖ろしくなったが、すぐに逃げ出すことも出来ない。全くの暗闇で、東西を見分けることも出来ない。ただ、大海原の波の音だけが聞こえてくるだけである。

その時、洞穴の上の方から何か大きな者がやって来た。驚き怪しみながらよく見ると、大きな毒蛇であった。それが、洞穴の入り口まで来て、雲浄を呑もうとしていた。雲浄はそれを見て、「私は今ここで毒蛇のために命を落とそうとしている。だが、私は法華経の力によって、悪趣(悪道。地獄・餓鬼・畜生の三道を指す。)に 堕ちることなく浄土に生まれたいものだ」と思って、心をこめて法華経を誦した。すると、毒蛇はたちまちのうちに見えなくなった。その後、雨が降り風が吹き、稲光が光って、崖の上の山は洪水となった。しばらくすると、雨は止み、空が晴れ上がった。

すると、その時、一人の男が現れ、洞穴の入り口から入ってきて、雲浄に向かい合って座った。
それが誰なのか分からず、人がやって来るはずもないのに来たのだから、「これは、きっと鬼神か何かなのだろう」と思ったが、暗くてその姿はよく見えない。ますます怖ろしく思っていると、その人が雲浄に礼拝して言った。「私は、この洞穴に住んでいて、生き物を殺し、ここにやって来る人を食って、すでに長い年月が経った。今もまた、聖人を呑み込もうとしたのですが、聖人が法華経を誦するのを聞いて、たちまちその悪心が消えて、善心に立ち返りました。今夜の大雨や雷は本当の雨ではありません。私の二つの眼から流れ出た涙なのです。罪業を消し去るために、懺悔の涙を流したのです。これからは、私は決して悪心を起こすことはありません」というと、掻き消すように姿を消した。

雲浄は、毒蛇の難を逃れて、ますます心をこめて法華経を誦して、あの毒蛇のために回向した。毒蛇もきっとこれを聞いて、善心を起こしたことであろう。
夜が明けると、雲浄はその洞穴を発って熊野に参詣した。その夜の雨風や雷電は、その洞穴の外には全く何の気配もなかった。

これを思うに、このような、様子の分からない所に宿ってはならないのだ。雲浄が語ったのを聞いて、
語り伝へたるとや。

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祈り続ける ・ 今昔物語 ( 13 - 18 )       

2018-12-18 12:51:51 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          祈り続ける ・ 今昔物語 ( 13 - 18 )

今は昔、
信濃の国に両目とも見えない僧がいた。名を妙昭(ミョウショウ・伝不祥)という。盲目(メシイ)ではあるが、日夜に法華経を読誦した。
さて、この妙昭が七月十五日(この日は夏安居が終わる日。四月十六日から三か月間、一定の場所に集まって修行した。)に金鼓(コング・金属製の鉦鼓。僧が布教や法会の際に用いる楽器。)を打つために外に出て行ったが、深い山に迷い込んでしまい、ある山寺に辿り着いた。
その寺に一人の住持の僧がいた。住持はこの盲目の僧を見て哀れんで、「お前さんはどうしてこんな所に来たのか」と尋ねた。盲目の僧は、「今日、金鼓を打つために、ただ足にまかせて歩いているうちに迷ってここに来てしまったのです」と答えた。住持は、「お前さんは、この寺にしばらく居りなされ。私は用事があって、今から里に出て、明日帰って来る。私が帰ってきてから、お前さんを里に送りつけてやろう。もしその前に一人で出て行くと、また迷ってしまうからな」と言って、米を少し預けておいて出て行った。

その寺には他に人がいないので、盲目の僧一人っきりで寺に留まって住持を待っていたが、翌日になっても帰って来なかった。
「里でやむを得ない用事が出来て逗留したのであろう」と思って過ごしていたが、五日経っても帰って来ない。置いていった少しばかりの米は尽きてしまい、食べる物がない。それでも、「そのうちに帰って来るだろう」と思って待っていたが、三か月経っても帰って来ない。
盲目の僧はなすすべもなく、ただ法華経を読誦して仏前に座り、手探りで果物のなる木の葉を探り取って、それを食べて過ごしていたが、とうとう十一月になってしまった。大変寒い。雪が高く降り積もり、外に出て木の葉を探り取ることも出来なくなった。
飢え死にしてしまうと嘆きながら、仏前にて経を誦していると、夢のように一人の人が現れて、「汝、嘆くことなかれ。我が汝を助けてやろう」と言って、果物を与えてくれた、と思ったところで我に返った。

その後、にわかに大風が吹いて、大木が倒れたらしい音が聞こえた。盲目の僧は、ますます怖ろしくなって、一心に仏を念じ奉った。
風が止んだ後、盲目の僧は庭に出て手探りしてみると、梨の木と柿の木が倒れていた。大きな梨や柿を手探りでたくさん取ったようだ。これを取って食べてみると、その味は極めて甘く、一、二個食べただけで飢えの心は消えてしまい、それ以上何かを食べたいという気持ちがなくなった。
「これは、ひとえに法華経の霊験に違いない」と思い、その柿や梨をたくさん探り取って置いて日々の食事とし、倒れた木の枝を折り取って、それを燃やして冬の寒さを堪えて過ごした。

やがて年が明けて、春二月の頃にもなったと思われる頃、里の人たちがこの山に用があってやってきた。
盲目の僧は、「人がやって来た」と嬉しく思っていると、里人たちは盲目の僧を見て、「あなたはいったい何者ですか。どうしてここにおいでなのですか」と怪しんで尋ねると、盲目の僧はこれまでの事を漏らさず話し、住持の僧のことを尋ねると、里人たちは、「その住持の僧は、去年の七月十六日に里において急に亡くなった」と答えた。
盲目の僧はそれを聞いて、泣き悲しんで、「私はその事を知らずに、何か月も帰って来ないことを恨んでいました」と言って、里人と共に里に出て行った。

その後も、一心に法華経を読誦し続けた。
そうした時、病に苦しんでいる人がいて、この盲目の僧を招いて経を読誦させて聞くと、病はたちまち治った。そのため、多くの人が盲目の僧に深く帰依するようになった。
やがて、この盲目の僧はいつしか両目が見えるようになった。「これはひとえに法華経の霊験の為すところである」と喜び、あの山寺にも常に詣でて、仏を礼拝恭敬し奉った、
となむ語り伝へたるとや。

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瑞相が現れる ・ 今昔物語 ( 13 - 19 )

2018-12-18 12:50:24 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          瑞相が現れる ・ 今昔物語 ( 13 - 19 )

今は昔、
平願(ビョウガン・伝不祥)持経者という僧がいた。書写山(ショシャヤマ・兵庫県)の性空(ショウクウ・・平安時代の僧。花山法王・和泉式部・藤原道長などと親交・帰依があった。)の弟子である。
聖人が亡くなった後も、書写山に籠って、長年にわたって法華経を読誦し続けた。

ある時、大風がにわかに吹いてきて、平願の僧房を吹き倒してしまった。平願はその建物の中にいて、圧し潰されて死にそうになったが、その時、平願は一心に法華経を誦して、「助け給え」と祈ると、誰とも分からぬ強力の人が現れて、、倒れた僧坊の中から平願を引っ張り出して、「汝は前世の報いによって、このように押し潰されたのだが、法華経の力によって命を永らえることが出来たのだ。恨みの心を起こすことなく、さらに法華経を読誦せよ。この世において前世の報いを消し去って、来世には極楽に往生するよう願うべし」と教えると、掻き消すように姿を消した。
その人は気高い姿であったが、どうしても誰とは分からなかった。その後も平願の身体に痛む所はなかった。「これはひとえに法華経を読誦するゆえに、護法神がお護りくださったのだ」と知って、尊く思い喜ぶこと限りなかった。

平願はいつしか老いて、心に思うことは、「私のこの世での一生はいつしか過ぎて、次の世に行くのは間もないことだ。今、善根を積んでおかなくては、悪趣(悪道。地獄・餓鬼・畜生の三道を指す。)に堕ちるの違いない」と嘆き悲しんで、衣鉢(エハツ・衣と鉢という意味で、僧にとっての全財産を指す。)を投げ棄てて仏事を営んだ。
法華経を書写し、仏・菩薩の像を描き、広い川原に仮小屋を建てて、無遮の法会(ムシャノホウエ・・聖俗・貴賤・男女・老若などの差別なく営む法会)を行った。その供養の後、朝座、夕座の講会を行い、講師に説法を行わせた。また、朝暮に念仏を唱え、懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を行った。
このように善根を積み、自ら誓いを立てた。「私は、法華経を信奉して長年過ごしてきました。もし、そのお力によって極楽に生まれることが出来るならば、今日の善根に対して何か瑞(シルシ)をお示しください」と、涙を流して誓いを立て、礼拝してその場所から立ち去った。

明くる日、ある人が昨日法会が行われた川原に行ってみると、白い蓮華がその辺り一面に咲き乱れていた。それを見て、涙を流して尊んだ。これを伝え聞いて、集まってきた人々も尊び礼拝すること限りなかった。そして、人々は、「これは、平願聖人が極楽往生なさる瑞相に違いない」と言い合った。
平願もまたこれを聞いて、その場所にやって来て、喜び感激して、泣きながら礼拝して帰って行った。
その後、いよいよ年老いて、遂に臨終という時、身に痛む所はなく、何の余念を抱くことなく法華経を読誦して、西に向かって合掌して息絶えた。瑞相の如く、きっと極楽に往生した人であろう、と人々は言い合った。

これはひとえに、法華経のお力によるものだ、
となむ語り伝へたるとや。

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むやみに罰してはならない ・ 今昔物語 ( 13 - 20 )

2018-12-18 12:48:44 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          むやみに罰してはならない ・ 今昔物語 ( 13 - 20 )

今は昔、
石山寺(滋賀県大津市。観音霊場として著名。)に好尊(コウソン・伝不祥)聖人という僧がいた。若くして法華経を習い、日夜読誦していた。また、真言もよく学び、その行法(ギョウホウ・密教の修業)を断つことがなかった。

ある時、縁あって、丹波の国に下向したが、その国にいる間に病にかかり、歩くことが出来なくなった。そこで、その国の人に馬を借りて、それに乗って石山に帰ってきたが、その途中、祇園(ギオン・京都の祇園社。八坂神社の旧称。)の辺りで宿ることになった。
そこに一人の男が現れて、この乗ってきた馬を見て、「この馬は、先年、わしが盗まれた馬だ。その後、あちらこちらと捜しまわったが、未だに見つけることが出来なかった。ところが、今日ここで見つけることが出来たのだ」と言うと、馬を取り上げた。そして、好尊を「こいつは、馬盗人の法師だ」と言って、捕えて縛り打ち叩いて、その夜は柱に縛りつけて置いた。好尊は事情を詳しく説明したが、男は聞き入れようとしなかった。

持経者(ジキョウシャ・経を信奉し読誦する者)好尊は、無法な難儀に合い、自分の前世の因果を思って、涙を流して泣き悲しみ、嘆くこと限りなかった。
その夜、祇園の住僧の中の、年老いた僧三人が同時に夢を見たが、この持経者(好尊)を縛りつけた男の家に、普賢菩薩を縛って責め叩いて、家の柱に縛りつけて置いている、というものであった。夢から覚めて、驚き怪しんで、三人の僧が急いで男の家に行ってみると、僧を縛って柱に括り付けていたのである。
この夢を見た僧たちは、まず僧を解き放って、事情を尋ねると、好尊は詳しく事の次第を述べた。僧たちはそれを聞いて、尊び悲しんで、好尊を許したので、好尊は馬に乗ってその場所を去った。

その後、翌日の朝に、京の方から多くの人が馬盗人を追いかけてやって来た。すると、例の男も、盗人を捕らえようと思って家から出たところ、追いかけて来た者たちが、逃げる盗人に矢を射かけたところ、過って例の男にあたってしまい、男は即死してしまった。
人々は例の男が射殺されたのを見て、「この男は、無道にも法華経の持者を捕えて縛り、責め叩いたので、たちどころに現世で報いを受けたのだ。日も経たないうちに、馬盗人のことで死んだのは、その報いに間違いない」と、好尊を尊び言い合った。
その後、好尊はますます信仰を深めて、法華経を誦することを怠ることがなかった。

されば、たとえ罪を犯しているように見えても、よく事情をただしてから罰を加えるべきである。まして、僧に対しては、罰を加えるのは遠慮しなければならない、
となむ語り伝へたるとや。

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不思議の数々 ・ 今昔物語 ( 13 - 21 )

2018-12-18 10:24:57 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          不思議の数々 ・ 今昔物語 ( 13 - 21 )

今は昔、
比叡の山に長円(チョウエン・伝不祥)という僧がいた。もとは、筑紫(ツクシ・筑前、筑後の両国。現在の福岡県。)の人である。幼くして生国を出て、比叡の山に登って出家して、法華経を習って、日夜読誦していた。
また、不動尊にも仕えて、苦行を修めた。

やがて、葛木の峰(葛城山)に入り、食を断って、二七日(ニシチニチ・十四日間)の間法華経を読誦していた。その時、夢の中に八人の童子が現れた。身体に三鈷・五鈷・鈴杵(サンコ・ゴコ・レイショ・・いずれも密教の法具。)などを着けて、おのおの合掌して長円をほめたたえて、
 「 奉仕修行者 猶如薄伽録 得上三摩地 与諸菩薩倶 」
 ( ブシシュギョウシャ ユウニョハクカロク トクジョウサンマジ ヨショボサツグ )(仏に奉仕する修行者は、世尊と同じように、悟りの境地を得て、諸菩薩と等しいであろう。)
と誦しながら、法華経を読誦しているのを聞いた、と思ったところで目が覚めた。長円は、大変尊いことだと思った。

またある時には、川の水が凍っていて、深い所、浅い所が見分けられず長円は川を渡ることが出来なかった。そのため、嘆きながら一人岸の上にたたずんでいると、突然大きな牛が深い山の奥からやってきて、この川を何度も渡った。このように何度も渡ったり戻ったりしているうちに、氷が割れて水面が見えた。すると、牛は掻き消すように消えてしまった。
そこで、長円は川を渡ることが出来た。
「これは、護法神が牛の姿になってお護りくださったのだ」と思った。

またある時には、熊野より大峰に入り、金峰山(ミタケ)に出ようとしたが、深い山の中で迷い、前後さえ分からなくなった。そこで、心をこめて法華経を誦して、助けを求めて祈請すると、夢に一人の童子が現れて、「天諸童子 以為給仕(テンショドウジ イイキュウジ・・天界の諸天が護法童子となって、奉仕し世話をする。)」と告げて、道を教えてくれたところで夢から覚めた。それで行くべき道が分かり、金峰山に出ることが出来た。

またある時には、蔵王権現の社前にて、終夜(ヨモスガラ)法華経を誦していたが、夜明け頃、長円は夢を見た。(夢を見ている状態か?) その夢の中で、一人の人が現れた。その様子を見ると、年功を積んだ俗人である。大変気高くわが国の人のようでない。「きっと、神様だろう」と思われた。
その人が、名符(ミョウブ・自分の姓名を記した名札で、貴人などと面談する際に差し出した。)を捧げて、長円に渡して、「私は五薹山(ゴダイサン・中国の霊山)の文殊の従者です。名をウデン王(釈迦在世中の古代インドの人物)といいます。あなたが法華経を読誦する功徳はまことに深いので、結縁(ケチエン・仏道に縁を結ぶこと)のために名府を差し出したのです。現世と来世に渡ってお護りお助けください」と言うのを聞いたところで目が覚めた。
長円は、涙を流して法華経の霊験を尊んだのである。

またある時には、清水に詣でて、終夜法華経を誦していると、夢の中に、端正美麗でたいそう気高い女人が、身をたいそう立派に装って現れ、長円に手を合わせて、
 「 三昧宝螺声 遍至三千界 一乗妙法音 聴更無飽期 」
 ( サンマイホウラショウ ヘンシサンゼンカイ イチジョウミョウホウオン チョウコウムボウゴ )(悟りの境地に誦する修行者の声は法螺貝のように、あまねく三千世界に響き渡り、法華経を誦する妙なる声は、いつまで聴いても飽きることがない。)
と誦している、と見たところで目が覚めた。
このように、長円には奇特(不思議)なことが多くあったが、いちいち記し尽くすことは出来ない。

まことに、法華経の功徳と、不動明王の霊験はあらたかなものである。長久年間の頃(1040~1044)、長円はついに世を去った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



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虻の子を育てる ・ 今昔物語 ( 13 - 22 )

2018-12-18 10:24:11 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          虻の子を育てる ・ 今昔物語 ( 13 - 22 )

今は昔、
筑前の国に蓮照(レンショウ・伝不祥)という僧がいた。若い時から法華経を習っていた。昼夜に読誦して、他事に心を移すことがなかった。また、道心が深く、人を哀れむ心が広かった。
裸の人を見ると自分の衣を脱いで与え、自分の寒さを嘆くことがなかった。飢えた人を見ると、自分の食べ物をさいて与え、自分の食べ物を求めることがなかった。
また、諸々の虫を哀れんで、多くの蚤や虱を集めて自分の身に付けて飼っていた。また、蚊や虻を追い払うことがなく、蜂や蛭が喰いついても嫌がらず、自分の身体を喰わせた。

ある時、蓮照聖人はわざと虻や蜂が多くいる山に入って、自分の肉や血を施そうと思って、裸になって動かず横たわっていた。すぐさま、虻や蜂がたくさん集まってきて、身体中にまとわりついた。身体を刺す間、痛さは堪え難いほどであったが、それを嫌がることはなかった。そうしている間に、身体に虻がたくさんの子を生みつけた。
山から下りた後、刺された跡が大きく腫れて、激しく痛み苦しんだ。それを見たある人が、「これはすぐに治療しなくてはいけない。そして、そこに灸を据えると良い。あるいは、薬を塗れば、虻の子が死んで、すぐに治るだろう」と教えた。
聖人は、「治療することは出来ない。治療すれば、多くの虻の子が死んでしまう。もしこの病で死んでも、私は悔やむことなどない。死ぬことは、逃れることが出来ない道なのだ。どうして、虻の子を殺すことが出来ようか」と言って、治療せず、痛みを耐え忍んで、ひたすら法華経を誦していたが、聖人の夢の中に、尊く気高い僧が現れて、聖人を称えて、「尊きかな、聖人。慈悲の心広くして、生き物を哀れんで殺そうとしない」と言って、手でこの傷を撫でられた、と思った時夢から覚めた。
その後、身に痛む所なく、傷口はたちまち開いて、その中より百千の虻の子が出てきて飛び散って行った。
そこで、傷は完治して痛みはなくなった。

聖人はますます道心を強めて、この後永く法華経を誦し続けて世を去った、
となむ語り伝へたるとや。

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