雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

仙人となる ・ 今昔物語 ( 13 - 3 )

2018-12-18 14:01:27 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          仙人となる ・ 今昔物語 ( 13 - 3 )

今は昔、
陽勝(ヨウジョウ)という人がいた。能登国の人である。
俗称は紀氏。年十一歳にしてはじめて比叡山に登り、西塔の勝蓮花院(ショウレンゲイン)の空日律師(クウニチリッシ・出自等不詳)という人を師として、天台の教えを学び、法華経を受持するようになった。
聡敏にして一度聞いたことは二度と問うことがなかった。また、幼い頃から道心があり他のことに興味を示すことがなかった。また、長時間睡眠をとることがなく、無駄に休息することもない。 また、諸々の人に対する哀れみの心が深く、裸の人を見ると自分の衣を脱いで与え、飢えている人を見ると自分の食物を与えたが、これはいつものことである。また、蚊や虱が身を刺したり噛んだりしても、厭うことがなかった。
また、自ら法華経を書写して日夜に読誦した。

やがて、道心が強く起こり、比叡山を去ろうと思うようになった。そして、遂に山を出て、金峰山(ミタケ・きんぶさん)の仙人が前に住んでいた庵にやって来た。また、南京(奈良。ここでは吉野の古京を指す。)の牟田寺に籠って仙人の法を学んだ。
始めは穀物を断って山菜だけ食べた。次にはその山菜を断って木の実だけを食べた。後には全く食を断ってしまった。但し、一日に粟一粒を食べた。身には藤の蔓の皮で織った粗末な衣を着た。最後には完全に食を離れてしまった。そして、長く衣食の欲望を断ち、ひたすら菩提心にすがった。
そこで、人間らしい生活から長く去って、現世の跡を消し去った。着ていた袈裟を脱いで、松の木の枝に懸けて置いたまま姿を消してしまった。その袈裟は、経原寺の延命禅師(エンミョウゼンジ・出自等不詳)という僧に譲ると言い残していた。
禅師は袈裟を譲り受けて、陽勝を恋い悲しむこと限りなかった。そして、禅師は山々谷々を歩き回って、陽勝を捜し求めたが、その消息を掴むことは出来なかった。

その後、吉野山で苦行を修めている僧の恩真(オンシン・出自等不詳)らが、「陽勝はすでに仙人になって、身には血も肉もなくなって、怪しげな骨と毛だけになっている。その身には二つの翼が生えており、空を飛ぶこと麒麟か鳳凰のようであった。竜門寺の北の峰でそれを見たことがある。また、吉野の松本の峰で比叡山の仲間の僧に会い、長年抱いていた仏法の不審について話し合った」と語った。

また、笙の石室(ショウノイワムロ・奈良県吉野郡にある)に籠って修業する僧がいたが、食を断って数日が経っていた。何も食べずに、般若経を読誦していた。その時、青い衣を着た童子がやって来て、白い物を僧に与えて、「これを食べなさい」と言った。
僧がそれを貰って食べてみると、とても甘くて飢えがたちどころに癒えた。僧は童子に、「あなたはいったいどなたでしょうか」と尋ねた。童子は、「私は、比叡山の千光院の延済和尚(エンサイカショウ)に仕える童子でしたが、山を離れ、長年苦行して仙人になった者です。このところの師僧は陽勝仙人です。この食物は、その仙人がわざわざお与えになった物です」と話して、去っていった。

その後、また、東大寺に住む僧に会って語ったという。「私は、この山に住むようになって五十余年が経った。年は八十を過ぎた。仙人の道を修得して、自在に空を飛ぶことが出来るし、空に昇ることも地にもぐることも自在にできる。法華経の力によって、仏にお会いして仏法をお聞きするのも思いのままである。世の中を救い、衆生に恵みを与えることにも事欠くことがない」と。

また、陽勝仙人の親が、生国(能登国)で病にかかって苦しんでいて、その親が歎いて、「私にはたくさんの子がいるが、その中でも、陽勝仙人は最愛の子だ。もし、私のこの気持ちを知ることが出来るなら、やって来て私を看取ってほしい」と言った。
陽勝は、神通力によってこの事を知り、親の家の上に飛んできて、法華経を読誦した。ある人が外に出て、屋根の上を見たが、読経の声は聞こえるが姿は見えない。すると、仙人は親に、「私は長く娑婆世界を離れているので、人間界に来ることは出来ないが、孝養のために強いてやって来て、経を誦し言葉を交わすのです。毎月十八日に、香をたき花を散らして私を待っていてください。私は香の煙を尋ねてここに下りてきて、経を誦し法を説いて、父母のご恩に報じたいと思います」と申し上げて、去っていった。

また、陽勝仙人は毎月八日に本山(モトノヤマ・比叡山を指す)にやって来て、不断念仏を聴聞し、慈覚大師(不断念仏の創始者)の遺跡を礼拝申し上げた。他の日には来なかった。
ところで、西塔の千光院に浄観僧正(ジョウガンソウジョウ・正しくは静観。千光院座主。第十代天台座主。)という人がいた。常のお勤めとして、夜ごとに尊勝陀羅尼を夜もすがら読誦する。長年の修行の功徳が積もって、聞く人は誰もがこれを尊んだ。
ある時、陽勝仙人が不断念仏の聴聞に参るため空を飛んでいたが、この僧房の上を過ぎる時、僧正が声高く尊勝陀羅尼を誦すのを聞いて、たいそう尊び感じ入って、僧房の前の杉の木に下りて聞くと、ますます尊く感じられて、木より下りて僧坊の高欄の上に座っていた。
すると、僧正がその気配を怪しんで、「あなたはどなたですか」と尋ねた。
それに答えて、「陽勝でございます。空を飛んでおりましたが、尊勝陀羅尼を読誦される声をお聞きして、やって来たのです」と言った。
すると僧正は、妻戸を開けて呼び入れた。仙人は、鳥が飛び入るかのように入って僧正の前に座った。二人は、これまでの事を夜もすがら語り合って、暁になって仙人が、「お暇しましょう」と言って立ち上がろうとしたが、人間世界の気を受けて身が重くなり、飛び立つことが出来なかった。そこで仙人は、「香の煙を近くに寄せてください」と言った。僧正は、言われたように香炉を近くに寄せると、仙人はその煙に乗って空に昇って行ってしまった。
この僧上は、これから後は、いつも香炉に火をおこし煙を断たぬようにしているのである。

この仙人は、西塔に住んでいた時は、この僧正の弟子であった。
それゆえ、仙人が帰って行った後は、僧正はたいそう恋しがり悲しんでいた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛欲に勝てず ・ 今昔物語 ( 13 - 4 )

2018-12-18 14:00:37 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          愛欲に勝てず ・ 今昔物語 ( 13 - 4 )

今は昔、
下野(シモツケ)の国に一人の僧がいた。名を法空(ホウクウ・出自等不詳)という。法隆寺に住んで顕教・密教の法文を学んでいた。また、法華経を受持(ジュジ・教えや戒律を受けてそれを守ること。)して、日ごとに三部、夜ごとに三部読誦して、怠ることがなかった。

ところが、法空はある時突然を世を厭い、仏の道を求めようという心が生じ、本の寺(法隆寺)を棄てて生国に帰り、東国の山々を廻って修業を重ねていたが、「人跡絶えた山の中に古い仙人の洞がある」と伝え聞いて、その場所を尋ねていき、その祠を見ると、五色の苔で祠の上を葺き、また扉とし、また部屋の仕切りとし、板敷や敷物としていた。
法空はその祠を見て、「これは私が仏道を修行するのにふさわしい所だ」と喜び、この洞に籠居して、長年にわたってひたすら法華経を読誦していた。
そうした間に、ある時、突然端正美麗の女人が現れて、すばらしい食物を捧げて持経者(法空を指す)に供養した。法空はこれを怖れ怪しんだが、恐る恐るこれを食べると、その味は甘美なることこの上なかった。
法空は女人に尋ねた。「あなたは、どういうお方ですか。どこから来られたのですか。ここは世間から遥かに離れた所です。全く不思議なことです」と。
女人は答えた。「私は人ではありません。羅刹女(ラセツジョ・法華経受持者を擁護する十人の羅刹女。羅刹は、もとは古代インドにおける悪鬼で、後に仏法の守護神となる。)です。あなたの法華経読誦が長年の功徳を積んだものなので、自然に私はやって来て供養させていただくのです」と。
法空はこれを聞いて、限りなく尊いことと思った。やがて、諸々の鳥・熊・鹿・猿等がやって来て、前の庭で常に経を聞くようになった。

その頃、一人の僧がいた。名を良賢(ロウゲン・出自等不詳)という。[ 欠字あり。寺院名等が入ると思われるが不明。]の僧である。一つの陀羅尼(ダラニ・原語である梵語のまま読誦する呪文)をひたすら誦して、諸国の霊験所を廻り歩いて、住居を定めることなく修行していたが、たまたま道に迷ってこの洞にやって来た。
法空は良賢をみて、「不思議なことだ」と思い、「あなたはどなたで、どこから来たのでしょうか。ここは山は深く人里から離れています。たやすく人が来ることができる場所ではありません」と尋ねた。
良賢は、「私は山林に入って仏道を修行していますが、道に迷っていつの間にかここに来てしまったのです。それにしても、聖人は、どういうお方で、どうしてここにおいでなのですか」と言った。
法空は、良賢にこれまでの事を詳しく話した。

このようにして、数日の間この洞で一緒に住んでいたが、あの羅刹女がいつもやって来て法空に供養するのを見て、良賢は法空に尋ねた。「ここは、人里から遥かに離れています。どうしてあのような端正美麗な女人がいつもやって来て世話をされているのでしょうか。あの女はどこから来ているのですか」と。
法空は、「私もあの女がどこから来ているのか知りません。法華経を読誦するのを心から有難がって、このようにいつもやって来るのです」と答えた。
ところが良賢は、女の端正美麗な姿を見ているうちに、「あの女は、近くの里から法空を尊んで食物を運んできているのだ」と思ったのであろうか、急に女に対して愛欲の心を起こしたのである。

その時、羅刹女はたちどころに良賢の心を察知して、法空に告げた。「破戒無慚(ハカイムザン・戒律を破っても心に恥じないこと)の者が寂静清浄の所にやってきました。すぐに罰を与えてその命を断ちましょう」と。
法空は、「この場所で罰を与えて殺してはなりません。命だけは助けて、人間界に帰してやるべきです」と答えた。
すると、羅刹女はたちまち端正美麗の姿を棄てて、本来の忿怒慕悪(フンヌボアク・怒りの表現であるが、慕悪は暴悪が正しいようだ。)の姿になった。良賢はその姿を見て怖れまどうことこの上なかった。すると、羅刹女は良賢を宙に引っさげて、数日かかる道を一息で人里に連れて行って、棄て置いて返ってきた。
良賢は死んだようになっていたが、しばらくして気が付くと、「自分は凡夫の身から離れていないから法華経守護の羅刹女に愛欲の心を起こしてしまったのだ」と自分の罪を悔い悲しんで、たちまち道心を起こした。
身も心も傷ついて、僅かに命だけ助かったという状態であったが、何とかもとの里に帰り着いて、これまでの事を人に語り伝えて、改めて法華経を信じ学んで、心を込めて読誦するようになった。

これを思うに、良賢の愚痴(グチ・無明と同意。煩悩に惑わされて理非を悟らないこと。)が招いた結果である。
それゆえに、羅刹女は法華経守護の善神であることを知るべきである、
とぞ語り伝たるとかや。 (本稿は、最終部分が少し違う形になっている。)

     ☆   ☆   ☆


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖人の生き様 ・ 今昔物語 ( 13 - 5 )

2018-12-18 13:59:21 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          聖人の生き様 ・ 今昔物語 ( 13 - 5 )

今は昔、
摂津国に慶日(キョウニチ・出自等不詳)という僧がいた。幼くして比叡山に登って出家し、顕教・密教の法文を学びいずれも十分習得し、外典(ゲデン・内典に対する語で、仏教経典以外の典籍。主に道教、儒教の書籍を指す。)についても精通していた。

ところが、いつしか道心が強く起こり、すぐさま本山(モトヤマ・比叡山を指す)去り生国に戻って、菟原(ウバラ・芦屋市付近?)という所に籠居して、方丈(ホウジョウ・一丈四方。約3m四方。)の庵室を造って、その中で日夜に法華経を読誦し、三時(早朝・日中・日没の三回)には懺法(センポウ・六根の罪過を懺悔する修法)を修行し、その合間には天台の止観(シカン・摩訶止観の略。法華経注釈書の一つ。)を学んでいた。
庵の内には、経典以外の物はなく、三衣(サンエ・僧の個人所有が許された三種の袈裟)よりほかに着る物はない。また、庵の辺りに女人が来ることがなかった。まして女人と会って話をすることなどあるはずがなかった。もし、食物を与え衣服を進呈しようとする人があると、貧しい人を捜し出してそれを与え、自分のために用いようとはしなかった。

ところで、この聖人(慶日)のいる所には、時々不思議なことがあった。雨が降ってとても暗い夜、聖人が庵を出て厠へ行こうとすると、庵の中には誰もいないはずなのに、聖人の前には灯を持った人がおり、後ろには笠を差しかける人がいる。これを見た人が誰なのかと思って近寄って見ると、灯もなく笠もない。聖人にはお供はなく、一人で歩いている。
ある時には、美しく飾り付けた馬に乗った長老の上達部(カンダチメ・三位以上の公卿と四位の参議の総称。)と思われる人が聖人の庵にやって来た。いったいどなただろうと行ってみると、馬もなく人もいない。きっとこれは、天界の諸天や冥界の神仏などが、聖人守護のために来られたのか、と人々は疑うのであった。

やがて、聖人は最期に臨んで、身に病なく、ただ一人庵の内で西に向かって声高く法華経を読誦した。その後で、定印を結んで定(ジョウ・禅定。一切の雑念を払い、瞑想して悟りの境地に入ること)に入るが如くに命が絶えた。
しかし、近所の人々は聖人が死んだことを知らず、ただ、庵の中で百千人の声がしていて、聖人を慕い悲しんで泣き合っている声がしていた。近隣の人たちはこれを聞いて驚き怪しんで、庵に行ってみると、人ひとりいなかった。ただ、聖人が、定印を結んだままで死んでいた。庵の内には、かぐわしい香りが満ちていた。
そこで、聖人がいつになく高い声で法華経を読誦しているのに合わせて、庵の内で多くの人の泣き悲しむ声が聞こえていたのは、護法童子たちが聖人の死を惜しんで悲しみ泣いていたのかと、人々は疑ったのである。
聖人が亡くなった時には、空には音楽が聞こえていた。

されば、聖人は疑いなく極楽に往生した人である、
とぞ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閻魔王庁より蘇る ・ 今昔物語 ( 13 - 6 )

2018-12-18 13:58:34 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          閻魔王庁より蘇る ・ 今昔物語 ( 13 - 6 )

今は昔、
摂津国の豊島郡(テシマノコオリ・大阪と兵庫の境辺り)に多々院(タダノイン)という所がある。その所に一人の僧が住んでいた。その僧は山林に入って仏道を修行していた。また、法華経を長年にわたり日夜読誦していた。
ところが、その傍らに一人の世俗の男がいた。この持経者(ジキョウシャ・法華経を常に読誦し信奉している者)の勤めを尊び、心を寄せ常に供養していた。

そうしていたが、この俗世の男が病を受けて、数日患ったのち、遂に死んでしまった。家の人は、死人を棺に入れて木の上に置いていた。
その後、五日経って、死人は生き返って棺をたたいた。人々は恐れて近寄らなかった。
けれども、死人の声を聞くと、「さては生き返ったのだ」と思って、棺を下ろして開けて見ると、やはり死人は生き返っていた。
「不思議なことだ」と思って家に連れて帰った。

男は妻子に語った。「私は死んで閻魔王の所に行った。閻魔王は帳面を繰って、前世の善悪の行いが書かれた札を調べ、『お前は罪業が重いので地獄に遣るべきであるが、この度だけは罪を赦して速やかにもとの国に帰してやる。そのわけは、お前はこの数年、誠の心を起こして、法華経の持者を供養した。その功徳は限りなく大きいからである。お前はもとの国に戻って、ますます信仰心を高めてあの持者を供養すれば、三世(サンゼ・過去、現在、未来の総称。)の諸仏を供養するよりも優れたことになるのだ』と言った。
私はこのいましめを受けて、閻魔王の庁を出て人間界に帰ることになったが、途中、野山を通る時に見てみると七宝の塔があった。それは実に立派に飾られたものだった。すると、私が供養している持経者が、その宝塔に向かって口より火を吹いて、その宝塔を焼いていた。
その時、空から声があって、私に告げた。『お前、よく聞け。この塔はあの持経の聖人が法華経を読誦する時、宝塔品のところまで読んで出現した塔である。ところが、あの聖人は、瞋恚(シンイ・激しく怒り恨むことで、善根を損なう三毒の一つ。)の心をもって弟子や童子を叱りつけることがある。その瞋恚の火がたちまち現れて宝塔を焼いているのである。もし瞋恚の心を止めて経を読誦するなら、麗しい宝塔が世界に充満するであろう。お前は、もとの国に帰ると、すぐにこの事を告げるべし』と。
私は、この言葉を聞くと同時に帰って来たのだ」と。

妻子や一族の者たちは、この男が生き返ったことをたいそう喜んだ。近所の人々は、この聖人(「この男」の方が正しいように思われるが?)のことを聞いて不思議に思った。
その後、この男は聖人のもとに行って冥途でのことを語った。聖人はそれを聞いて、恥じそして悔いて、弟子を帰し童子を棄てて、一人になって、一心に法華経を読誦するようになった。
男も、ますます持経者を熱心に供養した。
やがて、数年が経って、聖人は命が終わろうとする時、身に病なく、法華経を読誦しながら死んでいったという。

されば、聖人といえども、瞋恚を起こしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写経の功徳 ・ 今昔物語 ( 13 - 7 )

2018-12-18 13:57:47 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          写経の功徳 ・ 今昔物語 ( 13 - 7 )

今は昔、
比叡山の西塔に道栄(ドウエイ・出自等不詳)という僧が住んでいた。もとは、近江国[ 欠字あるも、不詳 ]の郡の人である。
幼くして比叡山に登り、出家して法華経を受持し日夜読誦して、十二年間を修行期間として山を出ることがなかった。
花を摘み、水を汲んで仏に供養し奉って、経を読誦することますます怠ることがなかった。

いつか十二年が過ぎ、はじめて故郷に帰ったが、心の中で、「自分は比叡山に住んでいたが、顕教・密教の立派な教えにおいて、何も学ぶことがなかった。今生はいたずらに過ぎようとしている。後世(来世)のための善根を積まなければ、自分は今の世でも来世でも成仏できない身となる。されば、法華経を書写し奉ろう」と思って、一部を書き終えて後、智者(知識・徳行の優れた僧)の僧五人を招いて供養した後、その僧たちに経の深い教義を説かせ、教義を明らかにするための問答を行わせた。
このようにして、ひと月に一度二度、もしくは五度六度、書写し供養していた。

長年にわたって、このような善根を修め、命の終わる時を待っていたが、ある時、道栄は夢を見たが、比叡山西塔の宝幢院(ホウドウイン・西塔の中心的寺院)の前の庭に、金の多宝塔が立っていて、その美しさは表現できないほどであった。道栄はそれを見て、心をこめて敬い礼拝していると、そこに一人の気高い男がいた。その姿は並の者には見えない。人体を見ると、梵天や帝釈天に似ている。その男が道栄に「お前はこの塔が何だか知っているか否か」と尋ねた。道栄は、「存じません」と答えた。男は、「これはお前の経蔵である。すぐに戸を開いて見るがよい」と言った。道栄は男の言葉に従って、塔の戸を開けて見ると、塔の中には多くの経巻が積み置かれていた。男はさらに、「お前はこの経巻を知っているか否か」と尋ねた。道栄は、「存じません」と答えた。また男は、「この経はお前が今生で書写した経をこの塔の中に積んで満たしたものである。お前は、速やかにこの塔を持って、兜率天(トソツテン・天界の一つで、弥勒の浄土がある。)に生まれるがよい」と告げたところで夢が覚めた。
その後、いよいよ心をこめて書写供養を続けた。

ところが、大変な老齢になって、歩行もままならぬ状態になっていたが、ある縁があって下野国に下って住みつき、いよいよ最期になった時、普賢品(フゲンボン・法華経の最終品)を書写供養し奉り、その経文を読誦しながら命を終えた。
夢のお告げのように、疑いなく兜率天に生まれた人である、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒りの心を諫める ・ 今昔物語 ( 13 - 8 )

2018-12-18 13:56:51 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          怒りの心を諫める ・ 今昔物語 ( 13 - 8 )

今は昔、
法性寺の尊勝院(京都にあった)の供僧(グソウ・供奉僧の略。供養や法会の寺務をする僧。)をしている道乗(ドウジョウ・出自等不詳)という僧がいた。比叡山の西塔の正算僧都(ショウザンソウツズ・のちに第十一代法性寺座主になる。)の弟子として、はじめは比叡山に住んでいたが、後には法性寺に移り長年経っていた。
若い時から法華経を読誦して、老齢になるまで怠ることがなかった。但し、たいそうひねくれていて、時々、弟子の童子を口汚く怒鳴りつけることがあった。

ある時、道乗は夢を見た。
「法性寺を出て比叡山に行く途中、西坂の柿の木の所までやって来て、遥かに山の上を見上げると、麓の坂本から頂上の大嶽に至るまで、多くの堂舎や楼閣が重なるように造られていた。屋根は瓦で葺き金銀で飾られている。その中には多くの経巻が安置し奉っている。黄色の紙に朱色の軸(経文は黄色の紙に墨で書写し、朱の軸を用いることが多い。)、あるいは紺色の紙に玉の軸である。いずれも金や銀で書かれている。道乗はこれを見て、『いつもと様子が違う。いったいどういうことか』と思って、そこにいた老齢の僧に向かって、『この経は極めて多く数え尽くすことが出来ません。これはどなたか置かれた物でしょうか』と尋ねた。老僧は、『これは、お前が長年読誦してきた法華大乗の経である。大嶽から水飲(ミズノミ・湧き水があった所)に至るまでに積まれている経は、お前が西塔に住んでいる時に読誦した経である。水飲から柿の木のもとまで積み置かれている経は、法性寺に住んで読誦した経である。この善根により、お前は浄土に生まれることが出来るだろう』と答えた。道乗はこれを聞いて、『不思議なことだ』と思っていると、にわかに火が出て、一部の経が焼けてしまった。道乗はこれを見て老僧に尋ねた。『どういうわけで、この経は焼けてしまったのですか』と。老僧は、『これは、お前が瞋恚(シンイ・激しく怒り恨むこと)を起こして童子をどなりつけた時に、読誦した経を瞋恚の火が焼いたのだ。されば、お前が瞋恚を断てば、善根はますます増えて、必ず極楽に参ることが出来よう』と答えた」
そこで、道乗は夢から覚めた。

その後、道乗は悔い悲しんで、仏に向かい奉り、長く瞋恚を断ち、心を励まして法華経を読誦して、余念を交えることはなかった。
されば、瞋恚はこの上ない罪である。善根を修める時には、絶対に瞋恚を起こしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞い上がる経典 ・ 今昔物語 ( 13 - 9 )

2018-12-18 13:55:54 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          舞い上がる経典 ・ 今昔物語 ( 13 - 9 )

今は昔、
理満(リマン・出自等不詳)という法華の持者がいた。河内の国の人である。吉野山の日蔵(ニチゾウ・金峯山椿山寺の僧。一度死んでから蘇生したという伝説がある。)の弟子である。
仏道心を起こした初めの頃に、日蔵の身近に仕え、その意に背くことがなかった。

ところが、この理満聖人は、「自分は世を厭い仏道修行をしているが、凡夫の身で未だ煩悩を断つことが出来ない。もしかすると、愛欲の心を起こすかもしれない。それを止めるために、そういう心を起こさせない薬を飲みたいものだ」と思って願い出ると、師はその薬を求めてきて飲ませてやった。
すると、薬の効果があって、前以上に女人への思いを長く断つことが出来た。

そして、日夜に法華経を読誦しながら、住処を定めずあちらこちらと流浪して仏道を修行して歩くうちに、「渡し場で人を船で渡してやることこそ、この上ない功徳になることだ」と思いつき、大江(大きな入り江といった意味だが、大阪市天満辺りらしい?)に行き、そこに住みついて、船を手に入れて渡し守になり、多くの往来の人々を渡す仕事にたずさわった。
また、ある時には、京にいて、悲田院(ヒデンイン・孤児や病人を収用して保護救済する施設。)に行き、いろいろな病に煩い苦しむ人を哀れんで、願う物を捜しては与えてやった。
このように、あちらこちらへ行ったが、法華経を読誦することを怠ることはなかった。

そうした折、京にいたおいて、小屋に籠居して二年ばかり法華経を読誦し続けた。どういう事情から行ったかは分からない。ところが、その家の主が、「聖人の様子を見よう」と思い、密かに隙間から覗いてみると、聖人は経机を前に置いて、法華経を読誦している。見ていると、一巻を読み終えて机の上に置き、次の巻を取って読もうとすると、前に読み終わって置いていた経が一尺ばかり躍り上がって、軸のもとより表紙の所まで巻き返して机の上に置かれた。
家の主はこれを見て、「不思議なことだ」と思って、聖人の御前に出て、「ありがたいことです。お聖人さまは、ただのお人ではございません。この経を躍り上がらせ巻き返して机の上に置くこと、これはまことに不思議なことです」と申し上げた。
聖人はこれを聞いて驚き、家主に答えた。「それは、私にとっても思いがけないことだ。まったく有り得ないことだ。決してこの事を他の人に話さないようにしてほしい。もしこの事を他の人に聞かせたら、いつまでもあなたを恨みますぞ」と。
こう言われた家主は、聖人が生存中はこの事を口外することがなかった。

ある時、理満聖人は夢を見た。
「自分が死んで、その死骸が野に棄て置かれていて、百千万の犬が集まってきて、自分の死骸を喰っている。その傍に理満聖人本人がいて、自分の死骸を犬が喰うのを見ていて、『何ゆえに、百千万の犬が我が死骸を喰らうのか」と思った。その時、空に声があって、「理満よ、まさに知るべし。これは本当の犬ではない。これらは皆、仮の姿を現しているのだ。昔、天竺の祇園精舎において釈迦仏の説法を聞いた者たちである。今、お前と結縁するために犬の姿になって現れているのだ」と告げた。
そこで、夢から覚めた。
その後は、今まで以上に真心を込めて法華経を読誦し、「私がもし極楽に生まれるなら、二月十五日は釈尊(釈迦の尊称)の入滅の日であるから、私はその日にこの世から別れよう」という誓いを立てた。
聖人は、一生の間に読誦した法華経の数は二万余部である。悲田院の病人に薬を与えたのは十六度に及ぶ。

臨終に臨んでは、いささかの病はあったが、重病というほどではなく、長年の願いが叶って、二月十五日の夜半になり、口には宝塔品(ホウトウボン・法華経の一部分)の「是名持戒行頭陀者 速為疾得無上仏道」(ゼミョウジカイギョウズダシャ ソクイシットクムジョウブツドウ・・これを戒を保って頭陀{乞食修行}を行う者と名付ける、このような者は速やかに無上の仏の悟りを得る者である。)という文を誦して、入滅したのである。
実(マコト)に、入滅の時の様子を思うと、後世の極楽往生は疑いない。

あの、経典が踊り給うたことは、聖人の言いつけにより、家主は聖人生存中は他の人に語ることはなかった。入滅の後に、家主が語り伝えたのを人々が聞いて、
広く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髑髏となるも経を誦す ・ 今昔物語 ( 13 - 10 )

2018-12-18 13:55:02 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          髑髏となるも経を誦す ・ 今昔物語 ( 13 - 10 )

今は昔、
春朝(シュンチョウ・出自等不詳)という持経者がいた。日夜に法華経を読誦して、住処を定めずあちらこちらと流浪して、ひたすら法華経を読誦していた。
人を哀れむ心が深く、人が苦しむところを見ると自分の苦しみと思い、人が喜ぶところを見ては自分の楽しみと思う、というような人であった。

ある時、春潮は、京にある東の獄舎、西の獄舎を見て、悲しみ哀れむ心を起こして、「この囚人たちは、罪を犯して刑罰を受けているが、自分は何とかして、彼らのために仏の善根の種を植え付けて、苦しみから救ってやりたい。このまま獄舎で死ねば、後生においても三悪道(サンアクドウ・現世の悪行の報いとして堕ちるとされる、地獄・餓鬼・畜生の三道。)に堕ちることは間違いない。されば、自分はわざと罪を犯して、捕らわれて獄舎に入ろう。そして、心をこめて法華経を誦して罪人たちに聞かせてやろう」と思って、ある高貴な人の家に忍び込んで、金銀の器一組を盗んで、そのままばくち場へ行って双六をして、この金銀の器を見せた。
集まっていた人たちはそれを見て怪しみ、「これは某の殿が、最近紛失した物だ」と言って騒いだ。その噂は自然に広がって、春朝を捕らえて追及すると、盗んだことが分かり獄舎に入れられた。
春朝聖人は獄舎に入れられると喜んで、かねての願いを遂げるために、心をこめて法華経を誦して、罪人たちに聞かせた。
その声を聞いた多くの罪人たちは、皆涙を流して、頭を垂れて、尊ぶこと限りなかった。春朝は喜んで、日夜誦し続けた。

ところが、これを知った上皇や女院、あるいは皇族の方々から検非違使庁の長官に書簡を送って、「春朝なる者は、長年の法華経の持者である。決して、拷問などしてはならない」と伝えた。
また、検非違使庁長官の夢を見た。
普賢菩薩が白象(ビャクゾウ・普賢菩薩の乗物で、六本の牙を持っている。)に乗り光を放って、飯を鉢に入れて捧げ持って獄舎の門の前に立っておられる。ある人が、「何ゆえに立っているのですか」と尋ねると、「法華の持者である春朝が獄舎にいるので、それに与えるために、私は毎日このように持ってきているのだ」と仰せられた。
というもので、ここで夢から覚めた。
その後、長官は大いに驚き恐れて、春朝を獄舎から出した。
このようにして、春朝は獄舎に入ること五、六度に及んだが、いつも決して罪科を糾明されることはなかった。

そうした時、またまた罪を犯すことがあり、また春朝を逮捕した。その時、検非違使たちは庁舎に集まって相談の結果、「春朝は大変罪重い者であるが、捕らえるたびごとに処罰されずに放免されている。そのため、好き勝手に人の物を盗み取っている。この度は、最も重い刑罰に処すべきである。されば、彼の両足を切って、徒人(イタズラビト・役に立たない人)にすべきである」と決定して、役人たちは春朝を右近の馬場の辺りに連れて行き、二本の足を切ろうとすると、春朝は声高く法華経を誦した。
役人たちはそれを聞くと、涙を流して尊ぶこと限りなかった。そして、春朝を放免した。
すると、検非違使庁長官は、また夢を見た。
気高くて端正美麗な童子が、髪を鬟(ミズラ)に結い束帯姿で現れ、長官に告げた。「春朝聖人は獄舎の罪人を救わんがために、故意に罪を犯して、七度獄舎に入った。これは仏の方便のようなものである」と。
そこで、夢から覚めた。その後、長官は、ますます恐れたのである。

その後、春朝は宿る住処もなく、一乗の馬出(ウマダシ・馬場で馬を乗り出す場所)の家のもとで亡くなった。髑髏(ドクロ)はその辺りに放置されたままで、取り片づける人もいない。
その後、その辺りの人には、夜ごとに法華経を誦する声が聞こえた。その辺りの人は、それを聞いて尊ぶこと限りなかった。しかし、誰が誦しているのか分からず、不思議に思っていたが、ある聖人がやって来て、この髑髏を拾い、深い山に持って行って安置した。それから後は、その経を誦する声は聞こえなくなった。そこで、その辺りの人は、あれは髑髏が経を誦していたということを知ったのである。

当時の人々は、春朝聖人は、ただ人ではなく、権化(ゴンゲ・神仏が衆生を救うために仮の姿で出現すること。)の人である、と言っていた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

願を果たす ・ 今昔物語 ( 13 - 11 )

2018-12-18 12:58:52 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          願を果たす ・ 今昔物語 ( 13 - 11 )

今は昔、
一叡(イチエイ・出自不詳)という持経者(ジキョウシャ・常に経典を所持し読誦信奉する者。特に法華経の信奉者を指す。)がいた。幼い時から、法華経を受持し、日夜に読誦して長年を経た。
そうした時、一叡は帰依する心が起こり、熊野参詣に出たが、宍の背山(シシノセヤマ・和歌山県内)という所で野宿することになった。
夜になって、法華経を読誦する声が微かに聞こえてきた。その声は尊いことこの上なかった。「もしかすると、他にも誰かが野宿しているのだろうか」と思って、一晩中これを聞いていた。
明け方になり、法華経一部を誦し終わった。明るくなってからその辺りを見てみたが、野宿しているような人はいない。ただ、死骸(シカバネ)が一つあった。
近くに寄ってそれを見ると、骨はみな連なっていて離れていない。死骸の上には苔が生え、長い年月が経っているように思われた。髑髏(ドクロ)を見ると、口の中に舌がある。その舌は鮮やかにして生きている舌のようである。
一叡はこれを見て、「不思議なことだ」と思い、「さては、夜に経を読誦していたのはこの死骸だったのか。いかなる人がここで亡くなり、このように読誦するのだろう」と思うにつけ、哀れで尊くて、涙を流して礼拝し、この経の声をもう一度聞くために、[ 欠字あり。「その」か。]日はその場所に留まった。その夜、また聞いていると、昨夜のように経を誦した。

夜が明けてから、一叡は死骸の近くに寄って、手を合わせて、「死骸であるとはいえ、現に法華経を読誦し奉った。ということは、お心はあるはずです。私はその事情をお聞きしたいと思います。ぜひ、それをお示しください」とお願いして、その夜もまた、それを聞くためにその場所に留まった。
すると、その夜の夢に、一人の僧が現れて、こう言った。「私は、比叡山東塔の住僧で、名を円善(エンゼン)といいます。仏道を修行してるうちに、この場所に来て、思いがけず死んでしまいました。生きていた時に、六万部の法華経を読誦するという願を立てていましたが、半分を読誦し終わりましたが、あと半分を読誦することなく死んでしまいました。そこで、それを誦し終わらせるために、ここに住んでいるのです。すでに誦し終わろうとしています。残りはいくらでもありません。今年だけはここに住むことになります。その後には、兜率天(トソツテン・天上界の一つで、内院は弥勒菩薩の浄土。)の内院に生まれて慈氏尊(ジシソン・弥勒菩薩)にお会いしようと思っています」と。
そこで一叡は夢から覚めた。

その後、一叡は死骸を礼拝し、その場所を立って熊野に参詣した。
その翌年、その場所に行って死骸を探してみたが、どうしても見つからなかった。又、その場所で野宿をしたが、読経の声も聞こえなかった。
そこで一叡は、「夢のお告げのように、兜率天にお生まれになったのだ」と知って、泣きながらその跡を礼拝して帰って行った。
その後、この事が広く世間に語り伝えられたが、それを聞き継いで、
語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修行が無となる ・ 今昔物語 ( 13 - 12 )

2018-12-18 12:57:50 | 今昔物語拾い読み ・ その3
          修行が無となる ・ 今昔物語 ( 13 - 12 )

今は昔、
京の東山に長楽寺という寺があった。
そこに仏道修行をする僧がいた。花を摘んで仏に奉るために、山深く入って、峰々谷々を歩くうちに、日が暮れてしまった。そこで、とある樹木の下で野宿することにした。
亥の時(午後十時頃)の頃から、宿りしている木の側で、細く微かな尊い声で、法華経を読誦しているのが聞こえてきた。僧は、「不思議なことだ」と思いながら一晩中聞いていたが、「昼間はこの場所に人はいなかった。仙人でもいるのだろうか」と思うと不審であったが、尊いことだと聞いているうちに、ようやく夜も明けてきたので、この声がする方角にしだいに歩いて行くと、地面より少し高くなっているものが見えた。

「何者がいるのだろうか」と見ているうちに、辺りはすっかり明るくなった。見れば、それは巌(イワオ・岩)で、苔蒸していて茨が生いかぶさっていた。「さて、あの経を誦していた声はどこから聞こえてきたのか」と不思議に思って、「もしかすると、この巌に仙人が座って経を誦していたのではないか」と考え、まことに尊く思い、しばらく見守っていると、にわかにその巌が動く気配がすると高くなった。
「不思議だ」と見ていると、その巌は人の姿になり、立って走り出そうとした。見ると、年が六十ばかりの女法師である。立ち上がるにつれて、茨はばらばらになって切れてしまった。

僧はこれを見て、恐る恐る、「これはいったい何事でしょうか」と聞くと、その女法師は泣きながら答えた。「私は、長い年月の間この場所にいますが、これまで愛欲の心を起こしたことはありません。ところが、たった今、あなたが来るのを見て、『あれは男か』と思ったとたんに、本の姿になってしまったことは悲しい限りです。人間の身ほど罪深いものはありません。この上は、これまで過ぎ去った年月より、さらに長い年月をかけて本のようにならねばなりません」と言うと、泣き悲しんで、山の奥深くに向かって歩いて行った。

この話は、その僧が長楽寺に帰ってきて語ったのを、その僧の弟子が聞いて世間に語り伝えたものである。
これを聞くに、入定(ニュウジョウ・禅定に入ること。禅定とは、精神を統一して、静かに真理を観想すること。)の尼でさえこのようなのである。ましてや、世間の女はどれほど罪深いものであるか思いやることが出来よう、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 女性蔑視的な結論であるが、古い時代の仏教は、男尊女卑的な考えがあったので、念の為。

     ☆   ☆   ☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする