雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

かわいい勝負師

2019-01-23 19:04:33 | 日々これ好日
        『 かわいい勝負師 』

     なんともかわいい囲碁棋士が 登場してきたものだ
     小学生ながら 四月から プロの女流棋士になるとか
     今日は 世界のトップクラスの 韓国の女流棋士と対戦した
     勝負は かなり差があったようだが 勝負を云々するのは無理な話だ
     ただ お人形さんのようなかわいい顔が 対局となると 勝負師の顔に変わる
     囲碁界にも 楽しみな棋士が登場してきたようだ

                        ☆☆☆ 
       
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お年玉

2019-01-22 19:15:55 | 日々これ好日
        『 お年玉 』

     年賀状の お年玉抽選
     よくもこれほど見事に 外れるものだと
     感心してしまった
     僅かに頂戴できたお年玉は 切手シール
     それも 確率からすれば さんざんな状態
     まあ 「運」を先延ばししたのだと 考えますか

                  ☆☆☆  
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此の君にこそ

2019-01-22 08:07:14 | 麗しの枕草子物語
          麗しの枕草子物語
              此の君にこそ

五月の初め、月もなくとても暗い夜のことでございました。

「どなたか、女房はおいでですか」
などと、殿上人たち大勢が口々に言うものですから、中宮さまが、
「出てみなさい。いつになく案内を乞うとは、誰がお目当てかしら」
なんて仰せになられるものですから、私が御簾近くに寄り、
「どなたでしょうか。随分と大げさに、大声をお出しになるのは」
と問いかけました。
相手の人たちは、私の呼び掛けにこたえようともしないで、御簾の裾を少し持ち上げて、さらさらと音を立てて差し入れた物は、呉竹でした。


「これはこれは、此の君でございましたか」
と、私が申し上げますと、
「さあ、さあ、まずはこのことを、殿上の間に戻って話そう」
と言いながら、源中将や蔵人たち、詰めかけてきていた人たちは皆去って行きました。
ただ、頭弁であられる行成殿だけがお残りになられました。

「どうも妙な具合になって、連中は帰って行ったものですなあ。
実は、『御前の竹を折ってきて、歌を詠もう』ということになったのですが、『どうせ歌を詠むのであれば、職の御曹司へ伺って、女房方を呼び出して詠もう』ということで勇んで参ったのですが、呉竹のことを、いきなり『此の君』などと言われてしまったのでは、すごすご引き下がることしかなかったのでしょう。
いったいあなたは、誰からそのようなことを教えてもらったのでしょうね」
などと仰いますので、
「いえいえ、『此の君』が竹の名前だなど知りませんわ。皆さん『失礼だ』とでも、思われたのでしょうか」
と申しますと、
「なるほど、なるほど。あなたは、ご存じなかったと・・・」
と仰る。


そのあと、頭弁殿と事務的なお話などしておりますと、
「植えて此の君と称す・・・」
と、吟唱しながら先ほどの人たちが集まってきましたので、
「歌を作る約束だったのに、何もしないで引きあげるとは変だと思っていましたよ」
と頭弁殿が仰られますと、源中将殿は、
「あんな言葉を聞かされたのでは、何と返事をすればよいのですか。下手な対応はかえってまずいでしょう。殿上の間でも大変な評判で、天皇もお聞きになられて、たいそう興味をお持ちでしたよ」
などと話すのです。
そのあとも、頭弁殿まで一緒になって同じ詩を吟唱し、女房たちも集まってきて、夜通しこの話題で盛り上がったうえ、帰る時にも殿上人たちはこの詩を吟じながら引きあげて行ったのです。

翌朝、天皇のお使いの女房が御文を持参なされたときに、この事を中宮さまに申し上げたらしく、自室に下がっていた私をわざわざお呼びになられ、
「そんなことがあったの」
と、おたずねになられますので、
「そのようなことは存じません。行成の朝臣がうまく取り繕って下さったのでしょうか」
と申しますと、
「取り繕うといってもねぇ・・・」
と言って、お笑いになられる。

中宮さまという御方は、誰のことであってもお側の女房が「殿上人に褒められた」などということをお聞きになりますと、わがことのように喜んで下さるお人柄なのですよ。


(第百三十段・五月ばかり、月もなう・・、より)
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伊藤美誠選手 快挙

2019-01-21 19:22:37 | 日々これ好日
        『 伊藤美誠選手 快挙 』

     卓球の全日本選手権
     伊藤美誠選手が 二年連続の三冠達成
     見事 風格さえ感じられた
     同時に 卓球界は 若い選手が続々登場してきている
     さらなるレベルアップが 期待できそう

                   ☆☆☆
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大寒

2019-01-20 18:31:22 | 日々これ好日
        『 大寒 』

     今日は大寒
     当地は 午前中は雨だったが 温かな大寒であった
     もっとも 大寒の期間は 立春前日までの半月ばかりなので
     最も寒い期間に入ったことになる
     テレビでは 各地から 寒の行事が伝えられていた
     当方は とてもそんな元気はなく コタツの中・・・

                      ☆☆☆ 
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快晴の一日

2019-01-19 19:12:26 | 日々これ好日
        『 快晴の一日 』

     当地は 朝から 快晴の一日
     明け方には 金星と木星が美しく
     日の出前の東の空は 茜色に染まる
     穏やかな日差しのもと 
     久しぶりに 鉢植えの草花などを じっくりと手入れした
     寒さは まだまだこれから本番だが 温かな一日だった

                        ☆☆☆
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よそにしのびし

2019-01-19 08:16:58 | 新古今和歌集を楽しむ
   昨日まで よそにしのびし 下荻の
              末葉の露に 秋風ぞ吹く


                    作者  藤原雅経

( No.298 巻第四 秋歌上 )
           きのうまで よそにしのびし したおぎの
                     すえばのつゆに あきかぜぞふく  


* 作者は、平安末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した貴族。蹴鞠、和歌に優れ、新古今和歌集の撰者の一人でもある。( 1170 - 1221 )享年五十二歳。

* 歌意は、「 (夏であった)昨日までは 密かに物陰に隠れていた 荻の末葉の露も姿を現し (立秋となり)今日は秋風が吹いている 」というのが、一般的な解釈と思われる。
もっとも、この解釈は、「よそにしのびし」を『露』とした場合で、『風』と受け取ると、少し変わってくる。
なお、「下荻」の「下」は物陰に隠れているさまを指す。「荻」は薄に似ているが別の植物で、穂先が白い。
さらに言えば、「よそにしのびし」を『男』と考えれば、下荻の『下』などが意味ありげに見えてくるが、「秋歌上」に分類されていることからも、邪推といわれそうである。

* 作者藤原雅経は、藤原北家花山院流難波家に属するれっきとした貴族である。父系・母系とも大納言を出しており、父の頼輔も蹴鞠と和歌に優れ、「飛鳥井」と号している。

* しかし、時は平安時代末期、平氏全盛から源氏の時代へと大きく動く激動期であった。
しかも、父の藤原頼経は筋金入りの源義経びいきであった。1185年、平氏が滅亡すると同時に、源頼朝と義経の対立は深まり、朝廷内の義経同盟者として、父頼経は安房国に配流された。翌年三月には、赦免となり帰郷しているが、その後も義経擁護の立場に変化はなかったらしく、1189年3月、今度は伊豆国への流罪となっている。義経が奥州で討たれるのは、この三か月後のことである。

* 雅経も、父の罪に連座して、鎌倉に護送されている。1185年のことであるから、十六歳の頃である。
ところが、和歌や蹴鞠のの才能を高く評価した頼朝に可愛がられ、頼朝の子である頼家・実朝とも親しく接したようで、その結果頼朝の猶子に迎えられている。よほど気に入られたようで、頼朝の重臣であり鎌倉幕府政所別当の大江広元の娘を正室に迎えている。
このまま、鎌倉で生涯を送る選択もあったのではないかと思われるが、1197年、罪が解かれ帰京している。二十八歳の時である。

* 帰京後は、後鳥羽上皇の近臣として仕えた。1218年に従三位、1220年に参議となり、鎌倉幕府の信任も厚い公卿の地位に昇っている。
この間、和歌所寄人となり、後鳥羽院歌壇の中核の一画を担い、新古今和歌集の撰者の一人に選ばれている。
雅経は、古代から中世へ、貴族政治から武家政治へと激しく動く時代を見事に生きた公家の一人ともいえるのではないだろうか。

     ☆   ☆   ☆

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海を臨む神社

2019-01-18 19:04:57 | 日々これ好日
        『 海を臨む神社 』

     海を臨む神社に詣でた
     創建は飛鳥時代までも遡り
     大門や能舞台は 江戸時代初期の建立である
     境内には 万葉歌人笠金村の歌碑もある
     ただ 正月行事などが一段落した 今日あたりは
     参拝者は少ない
     鳥居や建物が 一直線に海に向かっている境内で
     静寂のひとときを過ごす

                    ☆☆☆
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はや 24年

2019-01-17 19:52:07 | 日々これ好日
        『 はや 24年 』

     阪神・淡路大震災から
     はや 24年が過ぎた
     時が解決してくれるものも あるにはあるが
     24年では 消し去ることが出来ないものが多すぎる
     ただ 黙祷する

                     ☆☆☆
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これからの健闘を祈る

2019-01-16 19:06:13 | 日々これ好日
        『 これからの健闘を祈る 』

     稀勢の里 ついに引退
     残念ではあるが 懸命の頑張りは 十分伝わってきた
     引退会見も さわやかさが感じられた
     現役としては 胸が張れる立派なものだ
     これからは 荒磯親方としての
     力士時代より 遥かに長い時間がある
     これからの健闘を 応援し続けたい

                 ☆☆☆
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