『 深刻さ増す 』
中国で発生した新型肺炎
深刻さを増している
すでに 中国各地や 他国にも広がりを見せている
わが国でも一人帰国者が発病しているし
現地でも 日本人に疑わしい人が出ているようで
500~600人ともいわれる他の日本人も心配される
折から 中国では春節が始まる
発生した都市は1千万人を越える大都市
完全封鎖が可能とは思われず
中国当局はもちろん 世界の英知が必要になりそうだ
☆☆☆
『 菜種梅雨?? 』
当地は すでに雨が降り出している
予報では 当分の間 雨が続きそう
テレビでは 菜種梅雨との発言も
「菜種梅雨」は 春の季語であり 三、四月のことだと思うが
梅の開花や タンポポの開花まで 見られたそうだ
やはり 少し 暖かすぎるのかな・・・
☆☆☆
『 水際作戦は大切だが 』
新型コロナウイルスによる肺炎が 深刻さを増している
中国で発生した新型肺炎は どうやら
一地域に封じ込めることは 困難な様子だ
わが国にも すでに感染者が入国しているし
これだけ 人の行き来が激しい中で
水際作戦だけで防ぐのは 無理だろう
もちろん水際作戦は大切だが
パニックになることなく 発生後の対応に
万全を期したいものだ
☆☆☆
『 あたたかな大寒 』
今日は大寒
当地ばかりでなく ほぼ全国的に
暖かい日が続いている
過ごしやすいし 野菜などは安いようだが
良いことばかりでなく スキー場は大変なようだし
夏の水不足が すでに心配されているようだ
寒すぎるのもつらいが
季節相応が 良いのかもしれない
☆☆☆
『 有るか無いかの知識を振り回して、自己主張を他人に迫ることだけは慎みたいものです。 』
「無私無欲、自然体であれ」というのは、『老子』の思想の一貫した柱だと思われます。
私たちは、ついつい前に出てしまいます。誰かが行動しなければ解決しないなどと、正義の味方とばかり、主義主張を展開する人も少なくありません。
しかし、私たちが聖人のような行動をとることも至難の業といえるでしょう。
せめて、有るか無いかの知識を振り回して、自己主張を他人に迫ることだけは慎みたいものです。自戒を込めてですが。 ( 『老子』第七章より )
( 「ちょっぴり『老子』」第12回 より )
『 シューズが気になって 』
全国都道府県対抗男子駅伝
長野県チームが8度目の優勝
わが県チームも大健闘
最終区まで接戦のすばらしい大会だった
ただ 厚底シューズが気になって
選手の足もとにばかり目がいって・・・
早く何とかして欲しい
☆☆☆
『 健闘を祈る 』
センター試験始まる
首都圏は少し冷え込んだようだが
全国的には 比較的穏やかな天候だったようだ
指導者層の不手際が目立つ昨今だが
惑わされることなく あと一日 精一杯の健闘を祈る
☆☆☆
『 忘れたいけれど 』
阪神淡路大震災から 25年
報じられるテレビの映像は 今もなお 辛い
忘れたい出来事は 山ほどあるが
辛いものほど 忘れられない
忘れてはならない という教えかもしれないが・・・
☆☆☆
麗しの枕草子物語
別れの理由
私が里に戻っていた時のお話でございます。
里に帰っていても、殿上人などが訪ねてくることも少なくないのです。それも、さしたる用事もないのに寄って下さったりするものですから、それをいかにも物ありげな噂をする女房たちがいるのです。
ですから、このたびの宿下がりでは居所を明かさずにしていたのです。
まあ、そうは言いましても、ごく一部の方、経房の君や済政の君などだけには伝えておきました。
さて、私とは特別な関係にありました左衛門尉則光殿が参りましてね、
「昨日、宰相の中将殿が参内なさいましてね、『妹のいる所を教えよ』とそれはそれはしつこく訊ねられました。
いやいや、知っていることを知らない素振りをし続けることは大変なことですよ。すぐそばに、左の中将経房殿もいたのですが、あの方は全く知らん顔をしているのですよ。もし、あの方と目を合わせたりしていたら笑い出していたことでしょうね。
私の方は、宰相の中将殿に責められて耐えきれないほどになっていたのですが、ちょうど食卓の上に若芽が乗っていたものですから、それを取ってむしゃむしゃ食べることで、何とか耐えきることが出来ましたよ」
などと話しますので、
「絶対に、教えないで下さいよ」
と念を押しておきました。
則光殿とのことは、宮中では兄妹のような関係だと思っておいでの方が多かったのです。
それから少し日が過ぎてからのことですが、夜遅くに門を激しくたたく者があります。
こんな遅くに何者かと召し使っている者に確かめさせますと、滝口の武者が、「左衛門尉殿からの使い」だと文を届けて来たのです。
「明日、宰相の中将殿が御物忌で籠られます。また『妹の居所を教えよ』と責められるに違いありません。もう、とても耐えられそうもありません。教えてもいいでしょうか。あなたが言われるようにしますから返事をしてください」
と書いてありました。
私は返事は書かず、若芽を一寸ばかり切り取って紙に包み、使いの者に持って帰らせました。
そして、そののち則光殿がやってきて、
「あの後は大変でした。宰相の中将殿をあちこち連れまわしてごまかしましたが、とても耐えられませんよ。
ところで、あの時は返事の文もくれないで、つまらぬ若芽の包をくれたが、どこか他所へ渡すのと間違えたのではないか」
などと言うのです。
「全然伝わっていないんだ」
と思いますと、とても腹立たしく、口もきかずに紙を取り寄せて、
『 かづきする 海女のすみかを そことだに ゆめいふなとは めを食わせけん 』
(身を隠している私の住処を、そこだとさへ決して言うなと若芽を食べさせたでしょう)
と書いて、渡しましたところ、
「歌を書いたんですね。絶対に見ませんからね」
と言って、扇であおいでその紙を返し、逃げ帰ってしまいました。
このようなこともあって、これまで親しくし、兄妹のようだと世間に知られもし、互いに助け合ってもきていましたが、何とはなく仲が悪くなってきていた頃、則光殿から手紙がありました。
「何とはなく隙間風を感じるようになったが、兄妹(実質は夫婦)という深い仲だったんだから、世間的には今まで通りにしていただきたいと思っている」
と書いてありました。
常々則光殿は、「私は和歌が大嫌いだから、私に好意を持つ女性は和歌など詠んで寄こしてはならない。『別れよう』と思った時にだけ詠めばよい」と言っていたのです。
私はこの手紙の返事として、
『 崩れよる いもせの山の 中なれば さらに吉野の かはとだに見じ 』
(崩れかけた いもせの山<妹山と兄山>の仲ですから、崩れた山が川を塞いでしまって、誰も かは<彼>とは見ないでしょう)
という和歌を送ってやりましたが、その和歌も本当に見なかったのか、返事もありませんでした。
ほどなくして、則光殿は遠江の介として赴任し、二人の仲はそれまでとなりました。
(第七十九段 里にまかでたるに・・、より)
『 何を伝えに来たのか 』
深海魚のリュウグウノツカイが 相次いで見つかっている
岸辺にまで打ち上げられてきたらしいが
本来 そうそう発見される魚ではないらしい
竜宮城から よほど大切なことを伝えに来たのか
単なる異常気象からくる現象なのか
珍しがるのも良いが 耳を傾ける必要がありそうだ
☆☆☆