雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

羅刹女と交わった僧 ・ 今昔物語 ( 7 - 15 )

2022-08-20 13:01:10 | 今昔物語拾い読み ・ その2

        『 羅刹女と交わった僧 ・ 今昔物語 ( 7 - 15 ) 』


今は昔、
震旦の外国(中国周辺の国を指す。)に一つの山寺があった。その山寺に年若い一人の僧が住んでいた。常に法華経を読誦していた。
ある日の夕暮れ時、寺の外に出て、遊行(ユギョウ・行や礼拝のため出歩くこと。)していたが、その途中で羅刹女(ラセツニョ・人を喰う鬼。羅刹鬼とも。)に出会った。
鬼はたちまちのうちに女の姿に変えた。その姿は、まことに美麗である。その女は、僧に近寄り、戯れかかった。
僧は、たちまちのうちに惑わされて、すぐにその女と性交に及んだ。通じてのち、僧の心は呆けてしまい、もとの心を失ってしまった。

そこで、その女は、「僧を自分の住処に連れていって喰ってやろう」と思って、僧を背負って空を飛んで行ったが、初夜(午後八時頃)になった頃にある寺の上を飛び過ぎた。
僧は鬼に背負われていたが、その寺の内から法華経を読誦する声が微かに聞こえてきた。それによって、僧の心は少しばかり覚めて、もとの心が戻ってきたので、心の内で法華経を暗誦した。
すると、女が背負っている僧の体がたちまち重くなり、次第に下がって行き地面に近付いた。遂に背負いきれなくなり、女は、僧を捨てて去って行った。
僧の心は覚めたが、自分がどこに来ているのか分からなかった。その時、寺の鐘の音が聞こえてきた。その音を頼りに寺まで行き門を叩いたところ、門が開いた。
僧は中に入り、詳しく事の次第を語った。その寺の大勢の僧は、この事を聞くと、「この人は、すでに犯した罪は重い。我等と同じ席に着くことは出来ない」と言った。

その時、一人の上座の僧が出て来て、「この人は、きっと鬼神のために惑わされていたのだ。決して本心からのものではない。いわんや、法華経の験力を明らかに
した人なのだ。すぐにこの寺に留めて、宿を貸しなさい」と言って、僧に女鬼と犯した咎を懺悔させたのである。
僧は、もと住んでいた寺のことを話すと、今いる所からの距離を推量すると、二千余里(一里の長さは諸説あるが、ここでは羅刹女の力を表現するためのもの。)もあった。
僧は、この寺に住んでいたが、たまたまもと住んでいた里からやってきた人と出会い、その由を聞いて、僧をもとの所に連れ帰った。

これを以て思うに、法華経の霊験は不可思議である。女鬼が現れて、僧を自分の住処に連れていって喰らうために、背負って二千余里の距離を一気に飛び渡ることが出来るといえども、法華経を暗誦することによって、たちまち体が重くなって、棄てて去って行ったということは、全く希有のことだ、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆ 

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神が逃げ去る ・ 今昔物語 ( 7 - 16 )

2022-08-20 13:00:44 | 今昔物語拾い読み ・ その2

        『 神が逃げ去る ・ 今昔物語 ( 7 - 16 ) 』


今は昔、
震旦の上定林寺(ジョウジョウリンジ)という寺に一人の僧が住んでいた。名を普明(フミョウ・460 頃に没したらしい。)といい、臨渭(リンイ・甘粛省にある。)の人である。
幼少にして出家し、心は清く、仏道を広く修した。常に懺悔(サンゲ・右肩を脱ぎ右膝を地につけ合掌し犯した罪を言う、といった修業方法らしい。)を行ずることを日課としていた。また、寺の外に遊行する事もなかった。もっぱら法華経を読誦してそれ以外念ずることがなかった。また、維摩経(ユイマキョウ)を転読した。法華経の普賢品(フゲンボン)を読誦する時には、普賢菩薩が六牙(ロクゲ)の白象に乗って、光を放ってその所に姿を現わした。維摩経を読誦する時には、妓楽(ギガク・雅楽にあたる。)や歌詠が大空に満ちて、その音(コエ)が聞こえた。また、神呪(ジンジュ・真言、陀羅尼と同意。)を以て祈願すると、ことごとくその験(シルシ)はあらたかであった。

ところで、その頃、王遁(オウトン・伝不詳)という人がいた。その妻は、重い病にかかっていて、苦しみ痛むこと堪えがたい状態で、急いで普明を招いて病気回復を祈願させようとした。
普明は、王遁の依頼によって、その家に向かったが、その門に入ろうとした時、すでにその妻は気を失っていた。その時、普明は、一つの憑き物を見たが、狸(ネコ・ネコと読ませるらしいが、タネキよりネコを指しているらしい。)に似ていた。長さ数尺ほどである。それが、犬の穴から出て来たのだ。
すると、王遁の妻の病が癒えた。王遁は喜び、普明を礼拝した。

また、普明は、昔、道を歩いていると、川のほとりで神を祭る行事をしている人がいた。カムナギ(シャーマンのような人)がその場にいて、普明を見て言った。「神が、普明を見て皆逃げてしまった」と。
これは、土着の神が、普明に備わった仏の験力を恐れて逃げていったのである。

普明は、臨終の時に臨んで、身に病を得てはいたが痛む所は少なく、端座して仏に向かい奉って、香をたき仏を念じ奉って息絶えた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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流浪の行者 ・ 今昔物語 ( 7 - 17 )

2022-08-20 13:00:16 | 今昔物語拾い読み ・ その2

        『 流浪の行者 ・ 今昔物語 ( 7 - 17 ) 』


今は昔、
震旦の会稽山(カイケイザン・浙江省にあり故事で名高い。)という所に一人の僧が住んでいた。名を弘明(グミョウ・486 年没)という。
幼少にして出家して、戒律をよく守り、禅定(ゼンジョウ・雑念を払い絶対の境地に至るための瞑想。)を修した。山陰県(今の浙江省の一部)の雲門寺という所に住んで、昼夜に法華経を読誦して、六時(勤行の定められた時間で一日に六回。)に礼懺(ライサン・仏を礼拝して懺悔すること。)を行ずることを欠かすことがなかった。

このような話がある。誰も水を汲み入れていないのに、瓶の水が毎朝一杯になっていたが、これは、諸天童子(護法童子、天童とも。)が奉仕したものである。
また、弘明が以前に雲門寺という寺に住んでいたが、仏の御前において、静かに経を読誦していると、虎がやってきて堂の内に入ってきて床に臥した。弘明はその虎を見たが、座にすわったまま動かなかった。虎は弘明が経を読誦するのを聞いていたが、しばらくすると立ち去った。

また、ある時、弘明がふと見ると、一人の小児が現れて、弘明が法華経を読誦するのを聞いていた。
弘明はその小児に尋ねた。「そなたは、一体どなたか」と。小児は、「私は、昔、この寺にいました沙門です。私は、帳台の下の食べ物を盗んだ罪のため、今は厠(カワヤ)の中に堕とされました。ところが、聖人の行状を耳にしましたので、やってきて法華経を読誦し給うのを聞かせていただいております。願わくば、聖人、慈悲を垂れ給いて、私のこの苦しみをお救い下さい」と言った。
弘明は、即座に、法を説き小児を教化した。小児は、法を聞いて悟りを開き、姿を消した。

その後、弘明は永興(エイコウ・不詳)に至り、石姥巌(シャクムガン・未詳)にして入定(ニュウジョウ・死ぬこと。即身仏を意味する場合もある。)する。
その時、そこに山の精である鬼がやって来て弘明を悩ました。弘明はその鬼を捕らえて、縄で括った。鬼は、自分の咎を謝って、逃してくれるように頼み、「私は、決して聖人の所に来ることはいたしません」と言った。弘明はこれを聞いて哀れに思い、その鬼を許し解き放った。
その後は、鬼は行方を断って姿を見せることはなかった。

また、元嘉(424 - 453)の間のことであるが、平昌の郡守であるモウギ(宋の人)が弘明の人柄を重んじて、新安(シンアン・浙江省の都市)に出てくるように求めた。弘明は新安に出かけ、道樹精舎(ドウジュショウジャ・不詳)に留まった。
後に、済陽の江斉という人(伝不詳)は、永興村に昭玄寺(不詳)を建立し、弘明は招かれてそこに行き住んだ。
また、大明(457 - 464 )年間の末に、陶里の董氏(トウリのトウシ・伝不詳)は、弘明のためにその村に栢林寺(不詳)を建てた。弘明は、そこに留まり禅戒(ゼンカイ・禅定と戒律といった意味か?)を修行した。そして遂に、その栢林寺において命を終えたのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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経典の文字が消える ・ 今昔物語 ( 7 - 18 )

2022-08-20 12:59:49 | 今昔物語拾い読み ・ その2

        『 経典の文字が消える ・ 今昔物語 ( 7 - 18 ) 』


今は昔、
震旦の河東 ( カトウ・山西省の黄河東部 ) という所に熱心に修行する尼がいた。その身は清浄にして、常に法華経を読誦して長年が過ぎた。
ある時、法華経を書写しようと思う気持ちが強まり、人に頼んで書写させることになった。書く者を一人熱心に誘って、その者の手当をふつうの二倍与えた。特に清浄な所を造り、書写する部屋にした。
書写する者は、一度立って部屋の外に出ると、沐浴して香をたいた上で、部屋に入ってまた書写を続けた。その部屋の壁に穴を開け、竹の筒を通して、書写する者が息を吐こうとする時には、その穴から外に出させた。
このようにして、清浄な状態で法華経を正確に書写し奉り、八カ年の間に七巻を書写し終った。その後、真の心を尽くして供養し奉った。供養のあとは、熱心に恭敬礼拝し奉ること限りなかった。

ところで、竜門という寺に法端(ホウタン・伝不詳)という僧がいた。その寺において、寺の衆徒を集めて法華経を講じようとしたが、かの尼が受持し奉っている経を借りて講じようと思って、法端は尼に借りたい旨申し出たが、尼は大変惜しんで法端に貸そうとしなかった。
法端はぜひとも貸して欲しいと、その必要性を熱心に説明したので、尼も渋々ながら貸す気持ちになり、使いに来ていた者には渡さず、自ら持って竜門寺に行き、経を法端に渡して、自分の住処に帰った。

法端は、経を得て喜んで衆徒を集めて講を開こうとした。そこで、借り受けた経巻を開いて見奉ると、ただ黄色の紙があるだけで文字は一つもない。これを見て不思議に思い、他の経巻を開いて見奉ると、最初のものと同じだった。借り受けた七巻すべて同様に、文字は一字も存在していない。
法端は、奇異の思いを抱いて衆徒にも見せた。衆徒たちもこれを見たが、誰もが法端が見たのと同じである。そこで、法端ならびに衆徒は怖れ恥じて、経巻を尼の許に送り返し奉った。
尼は、これを見て泣き悲しみ、貸したことを後悔したが、今さらどうすることも出来ない。

そこで、尼は、泣く泣く香水で以て経巻の箱を濯ぎ、自ら沐浴して経巻を戴き奉って、花を散らし香をたいて、仏を廻り奉ること七日七夜、少しの間も休むことなく、真の心を尽くして祈請した。
その後、経巻を開いて見奉ると、文字がもとのように顕われていた。尼はそれを見て、泣く泣く恭敬供養し奉った。

これを以て思うに、僧といえども、経典の文字が隠れ給うは、真の心がなかったからではないだろうか。尼であっても、経典の文字をもとのように祈りによって顕わすことが出来るのである。真の心が深かったからであろう、と当時の人々は言った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

* 最後の部分は、僧より尼を低く見ている表現で、男女差別ともいえますが、当時としては一般的な考え方で、仏教説話の多くの場面で見られることです。

     ☆   ☆   ☆

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神と僧の語らい ・ 今昔物語 ( 7 - 19 )

2022-08-20 12:59:20 | 今昔物語拾い読み ・ その2

        『 神と僧の語らい ・ 今昔物語 ( 7 - 19 ) 』


今は昔、
震旦の随の大業( 605 - 616 )の時代に、一人の僧がいたが、仏法の修行をするために、あちらこちらに遊行していたが、そのうちに太山(タイザン・太山(泰山)
府君のこと。道教の神で、陰陽道でも重視され、わが国にも伝えられている。)の廟(ビョウ)に行き着いた。
その所に宿泊しようとしたが、廟令(ビョウリョウ・番人のような者か?)という者が出て来て、「此処には泊まれる部屋はない。されば、廟堂の廊下の床下で泊まるとよい。ただし、これまでこの廟にやって来て宿泊した人は、必ず死んでいる」と言った。
僧は、「死ぬことは、遂の道です。私にとって、苦しむことではありません」と答えた。
廟令は、僧に床(椅子のような物)を与えた。されば、僧は床下に宿泊した。

夜になると、静かに座って経を読誦した。すると、堂の内に環(タマキ・神が顕われる予兆らしい。)の音がした。僧は、「何事か」と恐れを感じていると、気高くて身分ありげな人が姿を見せた。そして、僧に礼をされた。
僧は、「聞くところによりますと、『長年、この廟に泊まる者は大勢死んでいる』とのことです。どうして、神が人を害されるようなことがありましょうか。願わくば神よ、私を守り給え」と言った。
神は、僧に仰せられた。「我は、決して人を害することなどない。ただ、我がやって来ると、人は、その音を聞くと、それに恐れて勝手に死んでしまうのだ。願わくば、師よ、我を恐れないでくれ」と。
僧は、「そうであれば、神よ、近くにお座り下さい」と言った。
神は僧の近くに座り話をしたが、人と変わらなかった。

僧は神に訊ねた。「世間の人が言っていることを聞くと、『太山は人の魂を納めている神だ』と言っております。これは、本当のことでしょうか」と。
神は仰せられた。「全くその通りです。あなたは、もしや前に死んだ人で見たい人がいますか」と。
僧は答えた。「前に死んだ、二人の同学(一緒に学んだといった意味か)の僧がおります。願わくば、私は彼らに会いたいと思います」と。
神は仰せられた。「その二人の姓名は何と言われるか」と。僧は、詳しく二人の姓名を申し上げた。
神は、「その二人、一人はすでに人間に生まれ変わっています。もう一人は地獄にいます。極めて罪が重く見ることは出来ません。ただし、我と共に地獄に行けば見ることが出来ます」と答えた。

僧は、喜んで神と共に門を出て、いくらも行くことなく、ある場所に至った。見てみると、火炎が激しく燃えさかっている。神は僧をその近くに連れて行った。僧が遙か向こうを見てみると、一人の人が火の中にいた。何も言うことが出来ず、ただ叫んでいる。その姿からその人と見分けることは出来なかった。ただ、血だらけの肉の塊であった。見るほどに心が乱れ怖ろしいこと限りなかった。
神は僧に告げられた。「あれが、もう一人の同学の者です」と。
僧はそれを聞いて、哀れみ慈悲の心が起きたが、神は、それ以外の所を見て回ることはせずに引き返されたので、僧も同じように返った。
もとの廟に戻ると、また、神と近い距離で座った。
僧は神に申し上げた。「私は、あの同学の者を苦しみから救いたい」と。
神は仰せられた。「速やかに救ってやりなさい。彼のために法華経を書写し奉りなさい。そうすれば、きっと罪を許されることが出来るでしょう」と。

僧は、神の御教えに従って廟堂を出た。朝、廟令がやって来て、僧の姿を見て、死ななかったことを怪しく思った。僧は廟令に神との事を詳しく語った。廟令はそれを聞いて、「不思議なことだ」と思いながら返っていった。
その後、僧はもとの住処に返り、すぐさま法華経一部を書写して、あの同学の僧のために供養し終った。

その後、その経を持って、また廟に行き、前と同じように泊まった。
その夜、また前と同じように、神が姿をお見せになった。
神は、歓喜なさり、僧を礼拝して、またやって来た理由を尋ねられた。僧は、「私は、同学の僧の苦しみを救うために、法華経を書写し供養し奉りました」と答えた。
神は、「あなたが、あの同学のために、最初に経の題目を書いた時点で、彼は、すでに苦しみを免れています。今は、別の所に生まれ変わって、まだそう時間が経っていません」と仰せられた。
僧はそれを聞いて大変喜び、「この経を、廟に安置し奉ります」と申し上げた。
すると神は、「此処は、清浄な所ではありません。されば、経を安置すべきではありません。願わくば、師よ、もとの所に持ち帰って、経を寺に贈り奉りなさい」と仰せられた。
このように、しばらく語り合った後、神はお返りになったので、僧ももとの所に返って、神のお言葉のように、経を寺に贈り奉った。

これを以て思うに、高貴な神といえども、僧を敬っていらっしゃるのである。
以前は、この廟に行き着いた人は、確かに生きて返ることがなかったが、この僧だけは、神にも敬われ、同学の僧の苦しみを救い、尊敬されて返ってきたのである、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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失われた二文字 ・ 今昔物語 ( 7 - 20 )

2022-08-20 12:58:53 | 今昔物語拾い読み ・ その2

        『 失われた二文字 ・ 今昔物語 ( 7 - 20 ) 』


今は昔、
震旦の秦郡(シングン・江蘇省の町)の東寺(未詳)に住んでいる一人の沙弥がいた。その姓名は未だ詳らかではない。
その人は、法華経を読誦することに秀でていた。ただ、薬草喩品(ヤクソウユホン)の靉靆(アイタイ・経の一節で、雲がたなびくさまのこと。)二字まで来ると、いくら教えられても忘れてしまう。そのように忘れてしまうことが、すでに千度に及んだ。
彼の師僧は、これを厳しく責めて、「お前は、法華経を一部読誦することは優れている。それなのに、どうして靉靆の二字を覚えることが出来ないのか」と言った。

そうした時、師僧の夜の夢に、一人の僧が現れて、「汝、あの沙弥に、靉靆の二字が覚えられないことを責めてはならない。あの沙弥は、前世において、この寺のほとりの東の村に住んでいて、その時は女の身であったが、法華経一部を読誦していた。ただ、その家にあった法華経の薬草喩品の靉靆の二字を、紙魚(シミ)が食い破っていた。されば、その経には、この二字が存在していなかったのだ。それ故に、今、生まれ変わった身であるとしても、法華経を受け習うに、靉靆の二字を忘れて覚えることが出来ないのだ。その時の姓名、また、その経も、今もなおその所にある。もしこの事を信ずることが出来ないのであれば、その所に行って、見てみるがよい」と教えられたところで、夢から覚めた。

明くる朝、師僧は夢で教えられたその村に行き、その家を尋ねて、主人に会って言った。「この家に、何か供養すべき事はありませんか」と。
主人は、「ございます」と答えた。師僧がさらに、「それは、経典のような物ですか」と尋ねると、主人は、「はい、法華経一部でございます」と答えた。 (このあたり、文意が繋がらない所があり、一部推定しました。)
師僧は、頼んでその経典を取り寄せ、開いて薬草喩品を見ると、夢の教えの通り靉靆の二字が欠けていた。
主人は、「この経は、私の妻の物でございました。早くに亡くなってしまいましたが、生前、大切にいつも受持していた経でございます」と言った。
師僧はこれを聞いて、その人が亡くなってからの年月を数えてみると、十七年であった。あの沙弥の生まれた年月と合致する。
その後は、この二文字をしっかりと覚えることが出来るようになった、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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鬼を救う ・ 今昔物語 ( 7 - 21 )

2022-08-20 09:20:57 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 鬼を救う ・ 今昔物語 ( 7 - 21 ) 』


今は昔、
震旦の予州に恵果和尚(エカワジョウ)と申す聖人がいらっしゃった。慈悲の心は広大にして、人に恩恵を与えること、仏のようであった。宋の代の初めに京師(ケイシ・都。宋の都は健康。)に入り、瓦官寺(ガカンジ)という寺に留まり住んで、法華経・十地経を読誦することを勤めとしていた。
「また、不空三蔵を師として、三密の大法を極めて、真言経を世に広められた。」(この部分、他の人物と誤認している)

ところで、この和尚は、かつて、厠(カワヤ)の前で、一匹の鬼に出会った。その姿はとても怖ろしいものだった。
鬼は、和尚を見て敬って言った。「我は昔、前の世において、多くの僧の為に維那(ユイナ・寺の事務職)になっておりました。ところが、少しばかり間違いを起こしたために、今は糞溜に住む鬼に堕とされました。聖人は、徳高くして業績は明らかで、慈悲広大にしてその恩恵は特に貴くあられるとお聞きしています。願わくば、我をこの苦しみからお救い下さい。我は昔、銭三千枚を、これこれの所の柿の木の根元に埋めました。その銭を掘り出して、我の為に功徳を修して下さい」と。
和尚はこれを聞いて、哀れみの心が強く起こり、すぐに寺の者たちに告げて、鬼が教えた所に行って、そこを掘ると、本当に鬼が言ったように三千枚の銭を掘り出すことが出来た。
そこで、ただちに法華経一部を書写して、かの鬼の為に法会を行って供養した。

その後、和尚の夢に、かの鬼が現れて、和尚を礼拝恭敬して言った。「我は、すでに聖人の徳に救われて、鬼の道を赦されて、住む世界を改めることが出来ました」と告げたところで、夢から覚めた。
その後、和尚は、いよいよ法華経の験力のあらたかなることを尊び、寺の衆にこの事を語り広められた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

* 本稿の主人公である「恵果」は優れた和尚ですが、この人は、宋(420 - 479
)時代の人です。
同名の著名な人物に、唐時代の密教僧で真言第七祖という高僧がいます。この人(746 - 806)は、空海(弘法大師)の師として知られている人物です。
本稿の最初の部分にある、「真言を広めた」といった部分は、この二人を誤認していると考えられます。

     ☆   ☆   ☆

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蘇って写経を供養する ・ 今昔物語 ( 7 - 22 )

2022-08-20 09:20:18 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 蘇って写経を供養する ・ 今昔物語 ( 7 - 22 ) 』
 
今は昔、
震旦の宋の時代に、瓦官寺(ガカンジ)という寺に一人の僧が住んでいた。名を恵道(エドウ・伝不詳)という。予州
の人である。
この人は、恵果和尚(エカワジョウ・前話に登場)の同母の弟である。この恵道は、一生の間、善行を積むような修行をすることがなかった。ただ、商売に精を出して世を渡り、それ以外のことは全く知らなかった。

やがて、恵道は重い病にかかり亡くなった。
ところが、三日を経て蘇(ヨミガエ)り、次のように語った。
「自分が死んだ時、冥官(ミョウカン・閻魔庁の役人
)に引き立てられて、暗く遠い道を進んだ。その途中、一人の僧が現れて、わしに話してくれた。『お前が閻魔王の所に連れて行かれ、王がもしお前に問いただすことがあれば、このように答えると良い。「私は、昔、法華経八部を書写しようという願を立てました」と』そう教えてくれると、たちまち姿を消した。その後、わしはすぐに王の御前に連れて行かれた。王はわしを見て訊ねられた。『お前は、どのような功徳を修めたか』と。わしは先ほどの僧が教えてくれたとおりに、『法華経八部を書写しようとの願いがあります』と答えた。すると、王はこれを聞くと、笑みを浮かべて仰せられた。『お前には、すでに願いが有るという。もし法華経を書写すること八部に及べば、必ず、八つの地獄を免除しよう』と仰せになられたが、そこでわしは蘇ったのだ。わしは、あの僧の一言の教えによって、人間界に返ることが出来たのだ」と。

この事を語り終ると、泣く泣く持っている限りの財産を投げ出して、法華経八部を書写して、心を尽くして供養し奉った、
となむ語り伝えたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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写経で友を救う ・ 今昔物語 ( 7 - 23 )

2022-08-20 09:19:49 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 写経で友を救う ・ 今昔物語 ( 7 - 23 ) 』


今は昔、
震旦の絳州(コウシュウ)に孤山(コザン・平地に孤立している山。)がある。
永徽(エイキ・唐時代の元号。650 - 655)の頃、二人の僧がその山にある同じ僧坊に住んでいた。一人の名は僧行(ソウギョウ・伝不詳)という。三階教(サンカイキョウ・随から宋にかけて興隆。法華や阿弥陀信仰を批判した。)の仏法を修行していた。もう一人の名を僧法(ソウホウ・伝不詳)という。法華三昧(ホッケザンマイ・法華信仰の内の懺悔滅罪の修法らしい。)を修行していた。
二人は共に仏法を修行して、出離の計(シュツリのハカリゴト・俗界を離れ解脱を求める方法)を求めていた。

やがて、僧行が先に亡くなった。
その後、僧法は、観世音菩薩に祈請して、僧行が生まれ変わった所を知りたいと思った。三年を経た後、僧法は夢の中で、突然、地獄に至り、見てみると猛火が激しくて近付くことが出来ない。鉄(クロガネ)の網が七重にその上を覆っている。鉄の扉が四面にあり、閉じられていてたいへん堅固である。その中に、百千の僧、浄戒(ジョウカイ・清浄で戒律を守る行い(?))を犯した者、心身の不調(フチョウ・仏の教えにそぐわないこと。)なる者、そうした者が皆堕ちて、苦しみを受けること量り知れない。

その時、僧法は獄卒に尋ねた。「あの中に僧行という僧はいるのでしょうか」と。獄卒は、「いる」と答えた。僧法は、「私は、その僧行を見たいのですが」と言うと、獄卒は、「彼の罪は重い。絶対に見ることは出来ない」と答えた。僧法は、「私は、仏を信奉する者です。どうして見せることを強く拒むのですか」と尋ねた。
すると、獄卒は、鉾でもって黒い炭の塊を貫き、「これが、僧行だ」と言って、僧法に見せた。僧法は、その真っ黒な炭を見て泣き悲しんで言った。「沙門僧行。なに故、仏子でありながらこのような苦しみを受けるのか。願わくば、私は昔の姿を見たいと思う」と。

それを聞いて、獄卒が「活(ヨミガエ)れ」と言うと、黒い炭は、たちまち変じて、昔の僧行の姿になった。ただ、体全体が激しく焼けただれていた。
僧法は、その姿を見て泣き悲しんだ。僧行は僧法に、「僧法よ、どうか私のこの苦しみを救ってくれ」と言った。僧法は「どのようにして救うことが出来るのか」と尋ねた。僧行は「私のために、法華経を書写してくれ」と言った。僧法は「どのように書写すればよいのか」と尋ねた。僧行は「一日のうちに一部を書写してくれ」と言う。僧法は「私は修行が未熟なので、どうして一日のうちに書き終わることなど出来ようか」と言った。僧行は「私のこの苦しみは堪えがたくして、一瞬の間も耐えられない。されば、一日の猛利の行(猛烈な行といった意味らしい。)でなければ、どうしてこの苦しみを取り去ることが出来ようか」と言うのを見たところで、夢から覚めた。

そこで、僧法は、衣鉢(エハツ・僧の全財産)を投げ出して、書生(ショショウ・写経を仕事にする者)四十人を雇い、一日のうちに法華経一部を書写し終り、心を尽くして僧行のために供養した。
その後、ある人の夢で、僧行がすぐさま地獄の苦を離れて、忉利天(トウリテン・いわゆる天上界の一つで、帝釈天の居城がある。)に生まれ変わったのを見た、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆

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法華八講の誕生 ・ 今昔物語 ( 7 - 24 )

2022-08-20 09:19:14 | 今昔物語拾い読み ・ その2

      『 法華八講の誕生 ・ 今昔物語 ( 7 - 24 ) 』


今は昔、
震旦に恵明(エミョウ・伝不詳)という僧がいた。いずれの出身の人かは分からない。また、俗称も知らない。
この人、知恵明瞭なること人に勝っていた。熱心に人々を仏の教えに導き、常に法華経を唱えた。

ある時のこと、恵明は深い山に入り、石の
窟(ムロ)に座って法華経を唱えると、たくさんの猿が集まってきて法を聞いた。
その後、三月ばかり経った夜、石の窟の上に光明が現れた。その光明は次第に窟の前に近付いてきた。すると、その光の中から声があり、恵明に語りかけた。
「我は、師が法華経を唱えるのを聞いていた猿の中の、老いて失明した猿であります。師が法華経を唱えるのを聞いた功徳によって、命尽きたあと忉利天(トウリテン・いわゆる天上界の一つで帝釈天の居城がある。)に生まれ変わりました。本の身は、この窟より東南に七十余歩離れた所にあります。師の恩に報いようと思って、やって来ました。願わくば、また法華経を唱えて下さるのをお聞きしたいと思います」と。

恵明は、「どのように唱えればよろしいのか」と尋ねた。天からの声は、「我は、急いで天上に返ろうと思っています。されば、師よ、一部を八つに分けて唱えて下さい」と言った。
恵明は、「この経典は七巻から成っています。されば、七座(ザ・講説の席)に分けるべきです。どうして八座に分けることなど出来ましょうか」と言った。天からの声は、「法華経は、もとは八カ年の所説です。(法華経は釈迦入滅前の八年間に説かれた、ということに基づいているらしい。)もし、八年掛けて講ずれば、それはまことに長い。願わくば、八座に分けて講説を行い、八年の所説となさい」と言った。
そこで、すぐに七巻の経典を八軸(巻)に分け直して、天上の声のために講説した。
( このあたり、私の力ではうまく説明できませが、「法華八講」の誕生を示しているようです。「法華八講」とは、「法華経八巻を、朝座・夕座に一巻ずつ四日間に八人の講師により読誦・供養する法会」です。)

講説が終ると、天上の声の主は、八枚の真珠(枚は真珠を数える単位。)を恵明に布施し、偈(ゲ・韻文の形で、仏を賛嘆し教理を述べたもの。)を説いた。
『 釈迦如来避世遠 流伝妙法値遇難 雖値解義亦為難 雖解講宣最為難 云々 』
( シャカニョライヒセオン ルデンミョウホウチグナン スイチゲギヤクイナン スイゲコウセンサイイナン ウンヌン )
( 釈迦が世を去って長い年月が過ぎた 法華経は広まっているが巡り会うのは難しい 巡り会っても理解できない 理解できてもそれを講説するのはもっと難しい 云々・・ )

この偈を説き終ると、また言った。
「もし、この法を一句でも、ほんの少しの間でも聞くことが出来た者は、三世(サンゼ・・過去・現在・未来)の罪を皆滅して、自然のうちに仏道を達成できること疑いなし」と。そして、「我は、今、経を講ずるのを聞いて、畜生の身を棄てて、忉利天に生まれて、その威光は旧天(モトノテン・天上ー畜生道ー天上と流転しているらしい。)にも勝る。この事を話し回ってはならない」と言うと、忉利天の昇っていった。

恵明は、この事を詳しく記して、石に彫って残した。その石碑は今もある、
となむ語り伝へたるとや。

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