マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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福貴畑ジョウサン池の龍神祭

2013年11月03日 09時01分55秒 | 平群町へ
平群町福貴畑の水がめであるジョウサン池。

農業にとって大切な池は地域の貴重な水源地でもある。

村の鎮守社である杵築神社より北西500m先の山の上だ。

大阪県境になる十三峠はそれより向こう側になる。

6月22日に通りがかった十三峠の道筋。

そこでは村の男性たちが集まって道造りをしていた。

村の道にはびこる樹木や草を刈っていた。

いつもこうしていると話すS宮総代。

正月初めに行われた勧請縄掛けでお世話になった。

この日はジョウサン池に鎮座する龍王神社のマツリである。

龍王の名が示すとおりの水の神さんは池の南東畔にある。

この地はかつて雨乞いの場であった。

干ばつともなれば杵築神社にお参りをして松明に火を点けて山道を登っていった。

十三塚を左回りに巡ってから火を点けた松明を池に投げ込んだ。

そうすることで慈雨を乞うたのである。

龍神を怒らせて雨を降らせたという説もある雨乞いの様相はかつてのこと。

ジョウサン池に向かう村の人たちが抱える雨乞い松明の写真がある。

平群町が平成11年9月発行の422号に発行した『ふるさとへぐり再発見』に掲載された写真は奈良県教育委員会提供である。

ありしの姿を復元した松明行列の写真である。

その写真は先日まで県立民俗博物館で開催されていた企画展の「お米作りと神々の祈り」で展示されていた。

龍王神社下の広場に斎場を設けた。

シバを燃やして湯を沸かす御湯釜は他所では見たこともない茶釜であった。

年代を示す刻印もない湯釜。

ぶんぶく茶釜のような突起物は見られないが、御湯をされる三郷町の巫女さんも間違いないと話す。

湯釜の前に置いた蓆に座った巫女さん。

一拝して小幣を左右に降る。

ポン、ポンと柏手を打つ。

祓えの祝詞を奏上する。

そして湯の上から撒き散らすキリヌサ。

立ちあがって幣を振る。

その幣を湯に浸けて掻き混ぜる。

「この釜はひとかまなれどなるかまとおぼしめし・・・きこしめしかしこみかしこみ申す」。

「・・・東では三十三国、西でも三十三国、併せて六十六国」などを述べて湯を掻き混ぜる。

福貴畑の龍神さんに神さんを呼び起こして勧請する。



勧請した幣を左手に、右手は鈴を手にしてシャンシャンと鳴らしながら左、右、左にそれぞれ一回転する神楽を舞う。

笹の葉を執って「この手に笹をもちまねき いずくの国より 天より降りたもう」と告げて、上下に動かす湯に浸けた笹の葉。

もうもうと立ちあがる湯のけむり。

「祓えたまえ きよめたまえ」と掻き混ぜた笹を拝みながら「東では天照皇大明神、南は多武峰大権現、西では住吉大明神、北では春日若宮大明神」。

それぞれ「お受け取りください」と四柱の神々の名を告げて捧げまつる。



そうして湯に浸ける笹の葉。

何度も、何度も繰り返す。

まるで湯を焚きあげるような作法である。

そうして四神に向かってそれぞれ「元のおやしきに送りそうろう おさめそうろう おんなおれ」と告げる。

先ほどと同じように左、右、左に一回転する神楽を舞う。

そして龍神さんの祠の前に進みでて同じように神楽を舞う。



下って、「水難、盗難、家内安全、もろもろの穢れを祓えたまえ きよめたまえ」と参拝した神社役員一人、一人に御湯の笹を鈴で祓い清めるありがたい身体堅固を受ける。



御湯の儀式を終えれば一人ずつ龍神さんに玉串を奉奠する。

御湯に使った笹の葉と幣は祠に残して立ち去る。

龍神祭を終えたジョウサン池は静けさを取り戻す。



ちなみにジョウサン池を充てる漢字は何であろうか。

池の向こうは十三峠。

もしかとすればと思って、宮総代に伺った。

「ジュウサン」が「ジョウサン」に訛ったのでは・・・。

「そうかもしれん」と返答する宮総代であった。

雨乞いの御湯を終えたころにはぽつぽつと雨が降り出した。

雨乞いが叶った祈りの祭典を終えた氏子たちは杵築神社に戻って直会をする。

かつては秋のマツリにおいても御湯をしていた。

境内に設えた御湯の行事は今では見られない。

(H25. 4.27 SB932SH撮影)
(H25. 7.13 EOS40D撮影)