マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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新庄町鉾立地蔵寺の地蔵会式

2013年11月16日 08時36分14秒 | 大和郡山市へ
この日は県内各地で地蔵盆が行われる。

なかでも気になっていたのは大和郡山市の新庄町。

新庄町本村から北東外れにある村の出垣内は「鉾立(ほこたて)」と呼ぶ地区。

江戸時代は鉾立が本村で新庄本村が枝村であった。

後世に逆転した珍しい地域である。

その鉾立に地蔵寺がある。

8戸からなる鉾立住民が代々に亘って、本尊の石造地蔵仏を守ってきた。

普段は無住寺で扉は閉まっているが、この日は村人のための地蔵会式に同市小林町在住の真言宗新福寺住職が来られる。

朝から本堂や境内を奇麗に清掃してきた村人たち。

境内墓地にも花を立てて会式に供える。

地蔵寺は、享保元年(1716)、蔵之庄村出身の山口直友(やまぐちなおとも)の菩提寺として建立されたと伝わる。

蔵之庄村は現在の天理市蔵之庄町。

鉾立より北東に向かった3kmほどの地である。

山口直友は戦国時代から江戸時代初期まで活躍したとされる武将で徳川家康の家臣だったそうだ。

山口駿河守と呼ばれた山口直友は豊臣秀長の家来だった。

伝聞によれば鳥羽伏見の戦いで戦死したようだ。

たしか位牌があったと云って住職とともに探してみたが判別できなかった。

地蔵寺境内に立つ燈籠に「奉書願成就之所 延享二年(1745)」らしき刻印がある。

天文十三年(1544)に生まれ、元和八年(1622)に没した山口直友年代より後年の建之された燈籠である。

石造地蔵仏は端正なお姿で、立派な光背もある。

地蔵会式に供えた大きなスイカ。

カボチャやトマトもある。

8戸の人たちが供えた御供はキュウリもある採れたての地産野菜だ。



本村の代表者とともに手を合わせる地蔵会式の法要を勤めるのは新福寺のご住職。

先々代より引き継いだ。

当時は地蔵寺に住まいしていた。

今でも住めるようにしていると云う。

「なむだいしへんんじょうそんこんごう」とご真言を唱えて焼香をする村人たち。

先祖代々供養に菩提を弔う塔婆回向。

一年に一度の村の会式に身体堅固、家内安全、諸願成就を願う。

ご真言を終えれば村人とともに般若心経一巻を唱えた。

昭和29年に嫁入りしたY婦人はお姑さんに連れられてお参りしていたと云う。

そのときにはアイスキャンデーを売りにきた商売人も来たそうだ。

会式の日にはダイカグラもあったぐらいに賑わっていたが、昭和31年に嫁入りしたⅠ婦人のころはアイスキャンデーもなかったと話す。

わずか数年間で賑わいに変化があったようだ。

(H25. 7.23 EOS40D撮影)