大和郡山市の長安寺町にある五輪塔覆堂(ごりんとうおおいどう)は筒井順慶墓。
国指定の重要文化財である。
それは筒井順慶歴史公園内にある。
そこには長安寺町の大神宮もあるが、知る人も多くない。
かつては注連縄を張ってソラマメ御供を供えていた。
いつしかその場での営みを止めて、南側にある大師堂内部で十巻の般若心経を唱えている。
この日の晩の8時に神事の祝詞を奏上して心経を唱えていたと大師講のD婦人が話していた。
窓側の先の大神宮に向かってが紙に書いた大きな文字の神事祝詞を奏上していたのである。
神事ごとなので服忌であれば参列できない。
神事を終えた直会には供えたスルメやオカキを肴にお神酒をよばれていたそうだ。
大神宮には「太神宮 天下泰平 愛宕山大権現 天保二年(1831)」の刻印があった。
大和郡山にはそれぞれの旧村ごとに大神宮の石塔が見られるが、長安寺町のような「ダイジングサン」の営みを聞くことがない。
貴重な行事はいつか拝見したいものだ。
(H25. 7.16 EOS40D撮影)
国指定の重要文化財である。
それは筒井順慶歴史公園内にある。
そこには長安寺町の大神宮もあるが、知る人も多くない。
かつては注連縄を張ってソラマメ御供を供えていた。
いつしかその場での営みを止めて、南側にある大師堂内部で十巻の般若心経を唱えている。
この日の晩の8時に神事の祝詞を奏上して心経を唱えていたと大師講のD婦人が話していた。
窓側の先の大神宮に向かってが紙に書いた大きな文字の神事祝詞を奏上していたのである。
神事ごとなので服忌であれば参列できない。
神事を終えた直会には供えたスルメやオカキを肴にお神酒をよばれていたそうだ。
大神宮には「太神宮 天下泰平 愛宕山大権現 天保二年(1831)」の刻印があった。
大和郡山にはそれぞれの旧村ごとに大神宮の石塔が見られるが、長安寺町のような「ダイジングサン」の営みを聞くことがない。
貴重な行事はいつか拝見したいものだ。
(H25. 7.16 EOS40D撮影)