東山間から下って訪れた桜井市の山田。
明日香村へ向かう途中に立ち寄った。
昨年の4月のことだ。
旧暦閏年に行われる庚申さんの調査で伺った山田の地。
畑の中に立ってあった3本の木。
どことなくカンピョウ干しの道具であるように思えたのである。
もしかとすればと思って拝見した木に細長い白いものが垂れさがっていた。
まさにカンピョウである。
夕暮近い時間帯である。
曇天でなおさら判り難い映像になったが紛れもないカンピョウ干し。
もしかとすればと思って尋ねたお家の人。
ご主人の話によれば、6月半ば辺りから始めたカンピョウ干しは毎朝6時に起床する。
天候にも左右されるカンピョウ干しは雨天の場合はしない。
雨が降りそうな気配であればしないと云う。
前日の天気予報を確認しておいて、晴れると判っていれば朝早く起きてカンピョウの皮をカミソリのような道具で剥く。
7月に入ってから、畑で栽培しているカンピョウをとってくる。
手ごろなカンピョウを蔵で保存しているが、10日間も経てばずくずくになるというから、多くの採り溜めはできない。
この日も朝からそうしておいて干していた。
もうすぐ夕暮れになる。
「そろそろ下ろす」と話すご主人は「世話がかかりまんねん」と云う。
揚げ下げする木製の道具は「カッシャ」と呼ぶ。
紐を引っ張れば滑車が作動する。
天頂にあるのがそれだ。
カンピョウは私の大好物。
それがなければ巻き寿司ではないと思っているくらいだ。
乾燥させた美味しいカンピョウを食べてもらおうと近くの道の駅で売りだそうと思ったご主人。
店に申し出たところ、保健所の許可がなければと断られた。
しかも、43度の熱湯で殺菌、冷たい水で冷ます設備も調えなければならないというから断念したと話す。
大好きなカンピョウの話に喜んでくれたご夫妻はこの日に干しておいたカンピョウをくださった。
ありがたいことである。
山田の地では、カッシャで揚げ下げするカンピョウ干しは、おそらく我が家だけだろうと云う。
平成22年7月に取材した田原本町の多の住民は家で食べる量を作っていると皮剥きを拝見した。
翌年に伺ったときには、「しんどいから止めた」と話していた。
天理市の嘉幡(かばた)でもカッシャを見つけたことがある。
そのときはされていなかったが、隣の家では物干しのような処で干していた。
その後においては目撃することもなくなった。
大和郡山市の額田部の婦人たちは手間がかかるし、年寄りはキツイからと、とうに止めているカンピョ干し。
年寄りが楽しみにされてきたカンピョウ干しは手間がかかる上に天候に左右されやすいのである。
平成23年11月に聞き取った田原本町の八田の婦人もそう話していた。
隣村の天理市吉田では今でもしているそうだと云っていたが、巻きあげ機械であるのかまだ現地取材ができてない。
田原本町の矢部で目撃したことがあるが、今でもそうしているのかどうかだ。
見ることは稀になった「カッシャ」でなく、もの干し型で干す地域も僅かに残る。
桜井市山田のすぐ南の地。明日香村(八釣・小山/飛鳥川沿い)や橿原市鳥屋町宣化天皇陵付近にあるようだが、カッシャ揚げではなくもの干し型である。
夏の風物詩のカンピョウ干しはいずれ県内で絶滅することになるのではと思った。
カンピョウ干しを拝見したFさんの話しによれば、住んでいる東茶ノ前垣内では8軒で営む庚申講があると云う。
初庚申のときは近くの庚申石へ参って三巻の般若心経を唱えていると云う。
オリンピックの開催年というから旧暦ではなく新暦である。
「モウシアゲ」と呼ぶ初庚申は、モチを搗いてトーヤの家でヨバレのご馳走を食べていたそうだが、今ではトーヤ家に負担をかけず、飲食店に出かけるようにしたと云う。
(H25. 7.28 EOS40D撮影)
明日香村へ向かう途中に立ち寄った。
昨年の4月のことだ。
旧暦閏年に行われる庚申さんの調査で伺った山田の地。
畑の中に立ってあった3本の木。
どことなくカンピョウ干しの道具であるように思えたのである。
もしかとすればと思って拝見した木に細長い白いものが垂れさがっていた。
まさにカンピョウである。
夕暮近い時間帯である。
曇天でなおさら判り難い映像になったが紛れもないカンピョウ干し。
もしかとすればと思って尋ねたお家の人。
ご主人の話によれば、6月半ば辺りから始めたカンピョウ干しは毎朝6時に起床する。
天候にも左右されるカンピョウ干しは雨天の場合はしない。
雨が降りそうな気配であればしないと云う。
前日の天気予報を確認しておいて、晴れると判っていれば朝早く起きてカンピョウの皮をカミソリのような道具で剥く。
7月に入ってから、畑で栽培しているカンピョウをとってくる。
手ごろなカンピョウを蔵で保存しているが、10日間も経てばずくずくになるというから、多くの採り溜めはできない。
この日も朝からそうしておいて干していた。
もうすぐ夕暮れになる。
「そろそろ下ろす」と話すご主人は「世話がかかりまんねん」と云う。
揚げ下げする木製の道具は「カッシャ」と呼ぶ。
紐を引っ張れば滑車が作動する。
天頂にあるのがそれだ。
カンピョウは私の大好物。
それがなければ巻き寿司ではないと思っているくらいだ。
乾燥させた美味しいカンピョウを食べてもらおうと近くの道の駅で売りだそうと思ったご主人。
店に申し出たところ、保健所の許可がなければと断られた。
しかも、43度の熱湯で殺菌、冷たい水で冷ます設備も調えなければならないというから断念したと話す。
大好きなカンピョウの話に喜んでくれたご夫妻はこの日に干しておいたカンピョウをくださった。
ありがたいことである。
山田の地では、カッシャで揚げ下げするカンピョウ干しは、おそらく我が家だけだろうと云う。
平成22年7月に取材した田原本町の多の住民は家で食べる量を作っていると皮剥きを拝見した。
翌年に伺ったときには、「しんどいから止めた」と話していた。
天理市の嘉幡(かばた)でもカッシャを見つけたことがある。
そのときはされていなかったが、隣の家では物干しのような処で干していた。
その後においては目撃することもなくなった。
大和郡山市の額田部の婦人たちは手間がかかるし、年寄りはキツイからと、とうに止めているカンピョ干し。
年寄りが楽しみにされてきたカンピョウ干しは手間がかかる上に天候に左右されやすいのである。
平成23年11月に聞き取った田原本町の八田の婦人もそう話していた。
隣村の天理市吉田では今でもしているそうだと云っていたが、巻きあげ機械であるのかまだ現地取材ができてない。
田原本町の矢部で目撃したことがあるが、今でもそうしているのかどうかだ。
見ることは稀になった「カッシャ」でなく、もの干し型で干す地域も僅かに残る。
桜井市山田のすぐ南の地。明日香村(八釣・小山/飛鳥川沿い)や橿原市鳥屋町宣化天皇陵付近にあるようだが、カッシャ揚げではなくもの干し型である。
夏の風物詩のカンピョウ干しはいずれ県内で絶滅することになるのではと思った。
カンピョウ干しを拝見したFさんの話しによれば、住んでいる東茶ノ前垣内では8軒で営む庚申講があると云う。
初庚申のときは近くの庚申石へ参って三巻の般若心経を唱えていると云う。
オリンピックの開催年というから旧暦ではなく新暦である。
「モウシアゲ」と呼ぶ初庚申は、モチを搗いてトーヤの家でヨバレのご馳走を食べていたそうだが、今ではトーヤ家に負担をかけず、飲食店に出かけるようにしたと云う。
(H25. 7.28 EOS40D撮影)