マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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伊与戸のゴウシンサン

2013年11月06日 06時59分10秒 | 田原本町へ
正面に「大神宮 若連中」。

南側は「村内安全」と刻印された田原本町伊与戸の大神宮石塔は文化十年(1813)に建之された。

八幡神社の敷地内にある。

葉を付けた笹竹を立てる。

水平に掛けた一本の竹によって鳥居のように見える提灯掛け。

かつてはゴウシンサンの祭りに各家が持ってきた提灯を掲げていた。

傷みが激しくなったりローソクの火が移って燃えてしまったとかで止めた提灯掛けは、今では神社の御神燈になった。

かつては7月16日に行っていた伊与戸のゴウシンサンは、その日に近い日曜日に替った。

県内各地のほとんどの地域にある大神宮はかつて流行ったお伊勢参り。

伊与戸の集落を抜ける道は伊勢街道。店屋が多く建ち並んでいた。

提灯掛けが気になってやってきた村の長老のⅠさんは83歳によれば今年の3月まで伊勢講があったと云う。

4軒の営みだった伊勢講は2軒が脱会されて残りの2軒では継続することができない。

やむなく解散することを決断された。

2月に最後のヤドの営みを済ませて3月にお伊勢さんへ参った。

それまではヤドの会食を作る婦人の世話になった。

長年の感謝と慰労に夫婦で参拝したと話す最後の料理は豪勢三昧だったようだ。

Ⅰさんのお爺さんは明治生まれだった。

お伊勢参りは伊勢講中の三人で出かけた。

当時は歩いて参ったと云う。

三人組のひとりは豪傑。何かと頼りになったそうだ。

三人連れは二組。それぞれが出かけたそうだ。

お伊勢参りを象徴する大神宮は隣村にもあるから見に行こうと誘ってくださる。

守屋の大神宮には「文化十二年亥乙(1815)六月 大神宮 村若連中」に「伊勢施主村中」もある。

傍には「文化十二年 金比羅」の文字がある。

同時期に建之された一対の石塔である。

北隣の村である大木にも大神宮があると車に乗せてもらった。

公民館の前にある大神宮塔は「文化九年(1812)十一月 太神宮 大木若連中」であった。

それぞれの村の始まりは、建てた時代でときの流れがよく判る。

伊与戸のゴウシンサンの当番は四垣内それぞれから二人。

四年に一度の回りであるが、垣内の戸数がそれぞれ異なることから垣内内の回りは3~5年になるらしい。

短ければ12年、長ければ20年にもなる回りである。

夕方ともなれば大神宮塔にローソクを灯して提灯を掛ける。

当番の都合で決まった時間でもない。

突然に吹く大風は雨交じり。



提灯が濡れてはならぬと大急ぎで撤収したゴウシンサン。

「御神さん」と呼ぶ人もいる。

(H25. 7.14 EOS40D撮影)