奈良市古市町に鎮座する御前原石立命(みさいはらいわたつ)神社がある。
ここより東方500mの平尾池北岸に境外末社の厳島神社がある。
古市ではここを弁財天社と呼んでいる。
その名の通り、石灯篭には「弁天」の文字が刻まれていた。
7月7日の夕刻には当地で弁天さんの行事があると聞いていた。
待てど、暮らせど、どなたも来られない。
翌日にお会いした氏子の話しによればこの日は雨天。
仕方なく御前原石立命神社で行ったという。
雨天でなければ神社に行燈を掲げて水利組合による行事が行われる。
御供は宮座のトーヤ(当屋)が供えるらしい。
弁天社向かい、里道を挟んだ処に「平尾池之碑」がある。
奈良県刊の『歴史から学ぶ奈良県の水害史』によれば伊賀上野地震によって決壊した平尾池。池普請のことが書いてあるそうだ。
嘉永七年(1854)6月15日に発生した伊賀上野地震はマブニチュード7.3だったようだ。
奈良市・大和郡山市ではM6.0(想定)。
甚大な被害があった。
古市奉行所の倒壊で役人の半数が亡くなった。
300戸もあった在所古市は民家も倒壊。
残ったのは15戸。
池の決壊で土石流が発生。
家や人が流された。
長年の研究で、在地の震度はM7.0の規模になると伝える。
ほとんどの文字が判読できなかった碑文に「干」の文字があった。
干害用のため池でもあるようだ。
2月11日に御前原石立命神社でオンダ祭が行われる。
所作の際に唄われる千秋万歳楽の第四番に「井手あげ、日もよし、ござれ井手こそあけましよ、はれめんと。三ぞうやり水、古市田、永井田、辰ノ市田迄、水こそあまりますれば、はれめんと」の詞章がある。
平尾池の池水は古市町、永井町、東九条町(辰ノ市)が利用していたのだ。
(H27. 7. 7 EOS40D撮影)
ここより東方500mの平尾池北岸に境外末社の厳島神社がある。
古市ではここを弁財天社と呼んでいる。
その名の通り、石灯篭には「弁天」の文字が刻まれていた。
7月7日の夕刻には当地で弁天さんの行事があると聞いていた。
待てど、暮らせど、どなたも来られない。
翌日にお会いした氏子の話しによればこの日は雨天。
仕方なく御前原石立命神社で行ったという。
雨天でなければ神社に行燈を掲げて水利組合による行事が行われる。
御供は宮座のトーヤ(当屋)が供えるらしい。
弁天社向かい、里道を挟んだ処に「平尾池之碑」がある。
奈良県刊の『歴史から学ぶ奈良県の水害史』によれば伊賀上野地震によって決壊した平尾池。池普請のことが書いてあるそうだ。
嘉永七年(1854)6月15日に発生した伊賀上野地震はマブニチュード7.3だったようだ。
奈良市・大和郡山市ではM6.0(想定)。
甚大な被害があった。
古市奉行所の倒壊で役人の半数が亡くなった。
300戸もあった在所古市は民家も倒壊。
残ったのは15戸。
池の決壊で土石流が発生。
家や人が流された。
長年の研究で、在地の震度はM7.0の規模になると伝える。
ほとんどの文字が判読できなかった碑文に「干」の文字があった。
干害用のため池でもあるようだ。
2月11日に御前原石立命神社でオンダ祭が行われる。
所作の際に唄われる千秋万歳楽の第四番に「井手あげ、日もよし、ござれ井手こそあけましよ、はれめんと。三ぞうやり水、古市田、永井田、辰ノ市田迄、水こそあまりますれば、はれめんと」の詞章がある。
平尾池の池水は古市町、永井町、東九条町(辰ノ市)が利用していたのだ。
(H27. 7. 7 EOS40D撮影)