マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ゴーヤの黄花

2011年07月11日 06時42分16秒 | 我が家の花
我が家では数年前からゴーヤ料理が食卓をにぎわす。

季節を問わずときおりほしくなるゴーヤチャンプル。

その素は売っているが食材のゴーヤそのものが店頭から消えていることも度々ある。

お店の話では毎日仕入れをされているのだが午前中には売り切れる場合があるという。

人気が高い現れであろう。

それならば栽培してみるかということでゴーヤの苗を買ってきた。

ツルはどんどん伸びて上へ横へと日増しに広がるゴーヤに黄色い花が咲いた。

たったの一輪だけど今後の食卓に期待を寄せる。

(H23. 6. 7 EOS40D撮影)

ノガミの節句

2011年07月10日 07時41分55秒 | 大和郡山市へ
一昨年の朝はお参りされた下三橋のノガミさん。

当主はもう辞めたいと仰っていた。

危機的状況を知った自治会の役員さん、昨年はその営みを継続しなければと立ちあがり朝早くから参拝したと言っていた。

誰も来なかったと話す役員のMさん。

その後の状況はどうなっているのか。

見届けなければならないと思い出かけることにした。

が、それはなかった。

しかしだ。ノガミさんの祠の屋根にはショウブの葉とヨモギが供えられていた。

当時、聞いた話では前日の夕方に並べておくと言っていた。

それだけになってしまったのだろうか。

祠は何も語らない。

後日にお会いしたノガミさんの当主の話によれば、朝4時にされていたノガミさんは自治会の要請で時間をずらして7時になったそうだ。

止めてしまったと思っていたが、時間を変更して継承されていた。

喜ばしいことだと思うのであった。

こうしたショウブやヨモギがつきものの節句の日。

天理市の南六条北方のノガミや奈良市の漢国神社での菖蒲祭、同市南之庄国津神社節句祭でも見られる。

また、5月5日に行われた大宇陀野依のオンダ祭でもこうした風習が見られる。

また、後日に伺った山添村切幡では節句の日に各戸でそれをしているという。

(H23. 6. 5 EOS40D撮影)

今年も咲いたセッコク

2011年07月09日 06時51分07秒 | 我が家の花
白い花が咲いているよとかーさんが教えてくれた。

すっかり忘れていたこの時期はセッコクのころ。

昨年は久しぶりに咲いてくれて1輪だったが今年はなんと3輪もある。

一つは茎の頂点に2輪もある。

これは京都大原野にある石田山野草店(現在は石田精華園)で買ったものだ。

行事取材の活動に入る前は山野草に没頭していたころだから10年以上も前になる。

忘れてはなるまいと札を入れていた。

消えかけた文字には種類は「鶴」とある。

そうだったんだ。

ほぼ毎年のようにこの時期に咲いてくれるセッコク。

何年間もほったらかしにしてごめんねと謝りたい。

(H23. 6. 4 EOS40D撮影)

木津川の春~祈りの春~企画展

2011年07月08日 06時35分57秒 | 民俗を観る
平成23年4月23日から始まっていた京都府立山城郷土資料館の春の企画展。

山城地域に点在するさまざまな正月行事を多数紹介している。

5月には講演会や列品解説があったが失念していたのでやっと拝見することができた。

山城辺りは奈良県の北部奈良市のならやまから数キロメートルも離れていない木津川市を中心とした地域だ。

国道24号線を北上して車を走らせた。

京奈和道路を越えれば木津川市街地になる。

ここは相変わらず信号待ちで渋滞ぎみだ。

そこを越えると木津川を渡る泉大橋。

そこを右折すれば木津川沿いの163号線になる。

ここを走るのは何年ぶりだろうか。

加茂町のJR笠置駅や井出町地蔵禅院の桜を見にいったのは平成14年。

その年の秋には恭仁京史跡に出かけた。

その2年後の平成16年の秋には笠置寺であった。

それ以来というから7年ぶりになる木津川べりの国道だ。

当時は目にしていても訪館しなかった山城郷土資料館。

資料館の名から地域の発掘調査や歴史文化のそれであると思っていたからだ。

京都府ではあるが奈良に近い関係もあって似たような民俗行事が行われていることを知ったのはそれ以降のことだ。

いずれは出かけてみたいものだと思っていたところ、

木津川辺りで行われている民俗行事を同館で紹介する企画展を知った。

知ったのはK氏に教えてもらったからだけど・・・。

6月19日まで開催されているのが「木津川の春~祈りの春~」の企画展だ。

一年の平和や安穏を祈り秋の豊作を願う正月行事を南山城地域で取材されてきた報告展示である。

村の正月行事では木津川市加茂町の銭司(ぜず)地区、笠置町の飛鳥路の勧請縄、精華町菱田の春日神社の弓始式、久御山町東一口(ひがしいもあらい)のトンド、京田辺市宮津の宮ノ口・江津地区のオンゴロドンだ。豊作の祈りでは精華町植庭神社のお田植祭、木津川市相楽の相楽(さがなか)神社の御田と正月行事、久御山町佐山の雙栗(さぐり)神社の粥占、精華町祝園の居籠祭、木津川市山城町湧出宮の居籠祭や百味御食などだ。

展示会場の撮影は禁止されているのでいくつかの行事をメモでしたためておいた。

今後の奈良の行事取材になんらかの形で役立つであろうと・・・。

銭司の正月行事がユニークだ。椎の木を割ったものをサエギ(斎木)と呼び、それを神社本殿周りに置く。始めて見た光景だ。社務所の囲炉裏にフクボタ(6mの木)を入れて燃やす。そこで籠りをする。年末の30日に境内と参道に砂蒔きをする。参道はハシゴ状で境内は格子状に箕を使って砂を蒔く。木津川の砂だそうだ。大和郡山で見られた砂蒔きの形状とは大きく異なる。

和束町の湯船では盆の行事にもあったとされるから神さんの砂でもなさそうだ。正月3日は勧請縄掛け。7日は「鬼の面つくり」をして青竹の先端に括りつける。10日の早朝にはトンドで燃やされる。鬼の面はいったい何ものなのか。ケイチンのオニが変容したものと思ったが・・・弓矢はない。

東一口のトンドの形状が面白い。高さは7mほどにもなるトンド。上部は笹竹で下部は藁のようだ。その中央部は「笠」と呼ばれる楕円形の円板がある。旧巨椋(おぐら)池の西岸に立てられるトンドは左義長とも呼ばれる。それは三毬杖(さぎちょう)に由来しているそうだ。東一口のトンドは玉田神社の宮座(本当座、御幣座、御箸座)の当屋、御礼、見習いによって作られ成人の日の明け方に燃やされる。

飛鳥路の勧請縄は笠置町の東部、木津川南岸の飛鳥路で布目川に掛けるそうだ。正月7日に行われる勧請縄は両端にケサが1対取り付けてある。その間には木製のクワ、スキとワラ製のサントク、ナベツカミと大きめの男根と女陰のツクリモノがある。作っている途中にトンドバヤシと呼ばれる地で長老がヤマノカミの奉射をする。オニ、地、天、東、西、南、北の的に向けて矢を射る。それを終えて再び勧請縄作りが続行される。奈良県内では見られないサントク、ナベツカミに興味を覚える。

京田辺市のオンゴロドンは変わった名前の行事だ。宮津の宮ノ口と江津地区で行われているそうだ。かつては各地でもあったようだ。オンゴロとはモグラのことである。毎年、小正月の夜の7時過ぎ。男児が宮ノ口の白山神社に集まって参拝する。手にしているのは奈良県高取町の佐田・森や大阪府南河内郡河南町で見られるイノコ槌の藁棒を同じような形状だ。住宅の庭先や玄関口の地面にそれで叩く。「オンゴロドン うちにかく(家にいるのか?) 横槌どんのおんまいじゃ(おみまいじゃ) おおまけ おまけ もひとつおまけ おまけのおまけ」と囃してモグラを追い払う。まるでモグラ叩きをしているようだ。横槌は翌日のトンドで燃やすから消滅してしまう。台詞に違いはあるもののそれはまさしくイノコの所作である。

雙栗神社の粥占は小正月の15日の零時に始まる。早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)、綿、大豆、芋、黍(きび)、梨の8種類の豊作出来具合いを占う。名札をそれぞれの竹筒に取り付けているので混在することはないだろう。大釜で炊き、竹筒に入った小豆粥の詰まり具合を判定する。奈良市の登弥神社と矢田坐久志玉比古神社で行われている粥占(かゆうら)とほぼ同じような方法だ。

菱田の春日神社の弓始式も奈良県内で行われているケイチン儀式と同じであろう。真座、本座、今座の宮守が10本の矢を射る。2人の宮守が行われるので合計20本となる。貼的(はりまと)とも呼ばれている行事は1月10日だそうだ。ユニークなのは直会の儀式。御供された蒸米、ヤキサバ、ヤキイモ(サトイモ)は直会でよばれる。その直会は箸を使わずに手でつかみ口にするそうだ。食事の在り方に古来の様相が見えてくる。

相楽(さがなか)神社には御田と正月行事がある。相楽は大里、北庄、曽根山の集落の氏神さん。村座には北座、南座、南分座とそれぞれに前座、中座、後座がることから合計で9座。2月3日は初参仕(はつさんじ)といって北座、南座の一老が集まる。その前月の1月14日の夜に豆焼(まめやきであろう)と粥占が行われる。マメヤキは火鉢にカワラ一枚を置いてその上に円を描く。周囲には頂点に北、そして右へ1、2、3、4、5、6、7、8、9、10・・と書く。そこへ何かのクズを敷いて大豆を置く。豆は焼かれて割れていく。その割れ方で農業に大切な12カ月の水の状況を占う。奈良県内の野依での豆焼きも降雨を占っていたから同じであろう。
粥占は小豆粥で早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)の出来を占う。興味深いのは水試(みずため)と呼ばれる行事だ。旧暦の正月15日の夜中にそれは行われる。本殿前の祭壇に短めの棒を立てる。そして月影の長短をもって年間の降雨量を判断する。すべては農作物にとっての豊作を占いと形でされるのだが降雨を診るのが二つもあるのはなぜなんだろう。元々していた地域であったものだったのか、それとも占いたい共同体(座、氏子)が違っていたのか・・・。
御田はお田植え行事のことだ。それは1月15日の午後に行われる。古風な翁面を付けた人が御田の所作をする。最後に長老とソノイチが登場して松苗を植える所作をする。早乙女の役目であるが3人はいずれも特徴ある笠を被っている。まるで割れた菅笠のようである。館内展示には竹に挿したお札があった。おそらくゴーサンのお札であろうが文字はなく炎のような朱印が三つだ。もとは寺行事であったろう。2月1日に行われる相楽のモチバナや祝園、湧出宮の居籠祭も展示されていたが時間切れで同館を後にした。

数点の古文書も展示解説されていた。

永禄三年(1560年)の「小平尾村祭礼の当役」や元和九年(1623年)の「小平尾村祭礼の頭の次弟」などを拝見した。

いずれも数名の神役の名が見られた。

その中には「神主」となった人名もあるが僧侶の名はなかった。

寺の存在はなかったのだろうか。

古文書をはじめとして地域文化は民俗文化にある。

こうした民俗行事を紹介するケースが増えてくれれば、と思っている。

(H23. 6. 3 SB932SH撮影)

地デジチューナー申請と転出届けの関係

2011年07月07日 06時42分10秒 | つうしん
9年前にビジネスマンを辞めた翌年から我が家は非課税所得所帯になっていた。

それほどに所得が少ない家庭である。

それは長男が就職をして扶養者から外れた今も同じだ。

今年の春からは年金受給生活者となったが住民税が免除(翌月に非免除となった)されている今も変わりはない。

そういう低所得の市町村民税非課税世帯には地デジ放送視聴を支援する地デジ簡易チューナー1台が無償給付される。

市の広報誌にその案内がされていた。

給付にはアンテナは含まれていないがそれを支援しているのは総務省の地デジチューナー支援実施センターだ。

必要な書類は市役所にあることを知って尋ねていった。

最近になってそれを申しでる人が増えているという。

前提条件はNHKと契約を交わしていることだ。

当家はそうしているから問題はないが、これって民放だけを受信している家庭にとっては無理難題ではないのか。

NHKとタッグマッチを組んでいる支援センターは国家政策なのか。

どうなってんのと言いたいが・・・。

それにしてもなんにしても非課税世帯であることを証明するには添付書類が要る。

家族全員の住民票とそれぞれの非課税証明書である。

課税対象になっている長男は当然ながらそれが発行されない。

長男は長期出張から本格的な転勤族になった。

私ごともあってここ数カ月はばたばたしていた。

それはともかくこういう場合はどうしたらいいのだろうかと支援センターに電話すれば、「それは受理できません」の一点張り。

事務的なことしか答えられないセンターは予想通りの回答だった。

年末調整では扶養家族を申請している。

その際には長男は含まれていない。

ここでは証明されているのだ。

ところがセンターでは頑として住民票すべての人が証明できないと受理しないという。

東京転勤で別居していようがいまいが住民票にあれば申請は受け付けないというのだ。

すでに住民票と非課税証明書は手数料を払って入手していた。

市役所で聞いた話では同じような立場の人がこられて諦めた人がいるという。

ここであきらめたら、たとえ少額であってもドブに捨てるようなものだ。

ドブには捨てたくないので転出届けを大慌てでしようとした。

が、すでに転出日を過ぎているので「住民異動届」とともに「住民基本台帳届出期間経過通知書」なるものを提出しなければならない。

宛先は奈良県簡易裁判所だ。

なにこれ。

文面にあるのが「下記の者は住民基本台帳法第53条に該当するので通知する」とある。

市役所職員の話では異動が発生すればその事由発生の日から14日以内に届け出をしなくちゃならんということだ。

とっくに過ぎとるさかいにこれは出さんといけんちゅうこと。

そんな法律があることなんて知るわきゃないだろがに。

しかもだ程度によっては5万円以下の過料金を処せられる場合もあるらしい。

らしい、というのは自治体市長名で裁判所に出すわけだからよほどの虚偽事実が認められた場合なのであろう。

住民票の異動は直ちに行われ新たな住民票が発行された。

それと合わせて非課税証明書を支援センターに送付した。

さてさてどうなるか。

さて、異動先のほうではどうなるのか異動届け。

問い合わせた結果、その区役所では異動日から3カ月以内というから期間内でまったく問題は発生しない。

翌週早々に区役所出張所に出向いて転入届けを提出した長男。

特に問題もなく受理されたそうだ。

その地デジ簡易チューナーが24日に届いた。

台所で視聴しているアナログテレビに接続してみた。

そのテレビはアンテナも簡易な室内専用型でUHF・VHF・FMを受信していた。

試しにということで接続したら映るではないか。

アンテナの向きを調整すれば奈良テレビも映る。

ちなみに簡易チューナーは番組表が出力されても予約はできないようだ。

また届いた書面を見れば、給付された地デジチューナーには「給付後5年間の処分制限の条件を付けている」のだ。

転売はしまいが5年後には返せということなのか・・・。

それはともかく生駒山がまったく見えない台所で受信できるとはどういうこと。

雨戸を閉めても受信できる旧式の室内アンテナに先月取り替えた20素子UHFアンテナっていったい何なのっていいたい。

(H23. 6. 3 記)
(H23. 6.24 記)

帰りの土産

2011年07月06日 06時38分48秒 | もっと遠くへ(東京編)
行きも帰りも新幹線。

寿司を食べたらどうしても口が水分を欲しがる。

電車の中でも販売しているっていうことでスジャータアイスクリーム270円をたのんだ。

こりゃいけますがな。



そんなこととは関係なく家に着くころは夜7時ころ。

帰宅途中にスーパーはない。

帰ったらすぐにでも食べられるようにと品川駅で土産も含めて晩飯を買いあさった。

品川駅構内のEsuteで買った海老カツ弁当690円。



美味そうだからと二つも買った。

同じく品川駅のAtreで買ったTkごはんに良く合うSOZAIセットは850円。

足らないからと桜島どりのさっくり唐揚げは197gで630円。



いずれも油もんが入っているが惣菜もあるのでこれらにした。

写真を撮る前に家人が食べてしまったので一部が胃袋に入ってしまっているが・・・。

ついでの土産にと買ったロールケーキ。

東京のロールケーキやから美味いやろと思って買ったがそうではなかったフルーツロール1050円。



保冷剤がいるっていうもんだから入れてもらったがそれは210円もした。

東京だからって全てが美味いわけじゃないことを知った。

ほんまの土産はふるや古賀音庵の東京胡麻の味840円。

味はどうやったんだろう。

そうこうしているうちに京都駅に着いた。

そこからは近鉄線で西大寺駅までだ。

この駅構内には「駅ナカショッピングモール」がある。

デリ惣菜のお店やスイーツ、コスメまであるちゅうんで立ち寄った。

駅構内はずいぶんと変わったもんだ。

ビジネス帰りも観光客も利用できそうなモールはちょっとした買い物には便利なように思えた。

(H23. 5.29 SB932SH撮影)
(H23. 5.29 EOS40D撮影)

恵比寿ガーデンプレイスに寿司屋はあるのか

2011年07月05日 08時37分47秒 | もっと遠くへ(東京編)
東京へ行ったついでに観光もと思うのがオノボリさん。

さあてどこへ行くか。

お台場へ行けば芸能人に会えるかもしれないと思うが・・・。

お台場はペリー艦隊が開国を迫った非常事態に備えて品川沖に砲台を築いた人工の島。

我が国初の海上砲台だそうだ。

その原型が残されているお台場。

それは地名となって観光できる場所だが雨天ともなると観光し辛い。

東京タワーもオノボリさん向きである今流行りの建築中東京スカイツリーへと思ったが場所が遠いように思えた。

それに登れるわけじゃなく周辺からその様子が見えるだけだ。

一見の価値があるかのようだが雨中では難がある。

雨にも濡れずに東京の一つを楽しむというわけで式場があった恵比寿にした。

恵比寿といえばビールだ。

昼の番組を見ているとときおりそこが出てくる。

出てくるのはビールではなくて出演している芸能人が食べ歩きをしていたその地だ。

先日もイタリアンの食事処を紹介していた。

会えるかもしれない・・・なんて思うのはオノボリミーハー。

そこだったら昼食もふんだんにあるだろう。

恵比寿駅から動く歩道がある。

いけども、いけども動く歩道の橋渡し。

スカイウォークちゅうそうだ。

「人と文化が自由に往き交う開かれた街」とあるが文化的要素は特段感じられない。

都市景観の100選を受賞しているというが単なるビル街のように思えた恵比寿ガーデンプレイス。

レンガ色のビルが特色なんだろうか。



歴史的には日本麦酒醸造(のちに日本麦酒からサッポロビールで初代社長は馬越恭平氏)が明治20年(1887年)に設立した製造工場だった。

ビール輸送用として建設された駅名は恵比寿駅だった。

それが町名になりいつしか地名として定着した「恵比寿」の街。

都市化が進み工場移転を余儀なくされて閉鎖したのが昭和63年(1988年)。

その跡地を再開発されてできたのが恵比寿ガーデンプレイスとなるわけだ。



この敷地内正面にあるのがビヤステーション恵比寿。

中身は変わったが建物は再開発するまで営業されていたそうだ。

この日も雨は降り続いていた。



さてさてどうするかと歩いていけばなにやら記念館がある。

それはエビスビール記念館だった。

入館料が無料となれば行くしかないだろう。

ここはエビスビール生誕を記念して平成22年(2010年)2月にオープンしたばかり。

訪れた時間はちょうど開館時間直後だった。

ミュージアムショップにはいろんなグッズが販売されている。

手軽に買えるモノはないかいなと並べられた商品に目を落とす。

気にいったのがケータイ電話にも貼れるうつし金蒔絵500円だ。

手頃な金額で土産にもなるうつし絵。

シールを外してそれをこする。

インスタントの蒔絵は他では売っていないレアなエビスサンを選んだ。

それはともかく正面にはどでかいモノがある。



銅色に輝く美しい仕込釜は昭和62年(1987年)まで工場で使われていたそうだ。

その後ろのコミュニケーションステージでは10数名の人たちが乾杯をしている。

ビールの試食かいなと思っていたらそうではなかった。



来館当日に予約したエビスツアーの人たちだったのだ。

500円の参加料金を払えばエビスギャラリーの解説にビール2杯の試飲がついてくる。

生ビール二杯で500円は割安すぎる。

ツマミも付いて2種類のエビスビールの飲み比べができるツアーに次々と申し込みをされる。

ツアーでないと貴重な資料や映像を映し出すギャラリーを拝観できないのか、というわけでなく見るだけなら誰でも無料だ。

ツアー参加者は恵比寿の歴史の解説付きだが・・・それを知らずにくっついて聞いていた。

当時の生活文化も知ることができるツアーはなかなかのもん。

残念ながら雰囲気に酔いしれてメモすることをすっかり忘れていたので記憶を辿って・・・。

ドイツビールにこだわったエビスビール。

本場のビール職人こと製造技師を招いて作られた。



日本初となるビヤホールが銀座8丁目にオープンした。

ビールの良さを知ってもらいための直営店だったそうだ。

氷室(ひむろ)で冷やしたビール10銭で販売したところまたたくまに評判が広がり盛況になった。

その様子を再現する映像は立体模型。



明治時代の服装のなかには夏目漱石もいたらしい。

当時のツマミは大根のスライスだった。

醤油をつけて食べたようだが普及しなかったようだ。



ビールの大衆化は大正7年に第一次世界大戦が終わったのちの西洋都市化、衣食住も大きく変化した時代。

洋服、洋食文化が広がりサラリーマン層にビール愛飲が拡大した。

「瓶ビールの王冠のギザギザは何個あったでしょうか」のクエッションするツアーコミュニケーター。

最後はコマーシャルで人気となった第三の男の主題歌。

手回しオルゴールが奏でる。

そうこうしているうちに昼時になった。

プレイス内にはいろんなレストランがあるが油もんが多い。

ビール党にはもってこいなのだが二人連れではそうはいかない。

恵比寿の街をぶらぶらしていると寿司屋の看板が目に入った。

本日のサービス品のコハダ79円、サービストロ99円の破格な値段につられて入店した「廻る元祖寿司」店。



店長らしい大将がその場で握ってくれる。

それも美味いが130円皿の鯛、ゲソ、サーモン・・・なども鮮度がいいし少なめのシャリとマッチしている。

瓶ビールも飲んで3000円。

レストラン街よりもこっちを選んで正解だった

(H23. 5.28 SB932SH撮影)

宿泊マンションの食事

2011年07月04日 07時37分52秒 | もっと遠くへ(東京編)
結婚式の前日から宿泊しようとしていたが二日間もその部屋で寝泊まりするにはむさくるしいと式後の夜だけにしたマンションは東大田区にある。

大田区と言えば監査業務で訪問していたビルがあるところだ。

しかも前夜に泊っていたのが蒲田駅西側のビジネスホテルだ。

安価で朝食付きのホテルは狭いが居心地は良かった。

そこから出て駅東側にでる。

大田区役所の東側にあるビルの周辺環境は今でも覚えている。

ホテルの周辺こそ住宅街のようだった。

その辺りかなと思っていたがそうではなかった長男が住んでいるマンションは馬込。

落ち着きのある雰囲気だと知ったのは翌朝だった。

式場まで迎えに来てくれたが朝から何も食べていないという。

そう、寝ぱっなしだったのだ。

レストランで食事をしたいと思うが私の我がままで晩飯を買いに行くことにした。

スーパーはないちゅうんで通り路のコンビニを探す。

腹が減ったらどうしようもないちゅうんでコンビニ店舗で夜食の買い出しである。

風呂上りに飲みたいのはアルコール。

必須のアイテムは缶ビール2本にチューハイにした。

翌朝のメシも要るだろうとカレーパンやバターブレッドに蒸しパンも買った。

じゃぁ、夜食はといえば・・・ヤマサ醤油の具たっぷり焼きうどん398円、ゴボウサラダ118円、紀文ゴマダレトウフソウメンフウは198円、トマト仕立てのチキンカレーは498円、ニッシンヒルゼンヤキソバ195円とした。

なにが美味かったといえばトウフソウメンフウだった。

ゴマダレの味に喉越しよろしい麺が朝の目覚めをすっきりしてくれた。

(H23. 5.29 SB932SH撮影)

カーディナスチャコールグリルウエディング

2011年07月03日 07時30分12秒 | もっと遠くへ(ブライダル編)
恵比寿カーディナスチャコールグリルは結婚式場。

えっ、こんなとこなの・・・と地下に降りればそこは式典会場だった。

レストランなのか飲み屋(やぼったい表現だ)なのかと思うのは田舎人。

そこは専属プランナーもいるブライダル会場だった。

シックな黒とダークウッドの空間は若者向きの隠れ屋的貸し切り会場だそうだ。

なんと天井は8mもあるという。

台風の関係で遅れてはなるまいと早めの時間にした新幹線チケット。

会場は未だ準備中だった。

そうこうしているうちに姪っ子の親こと実弟夫婦と妹や親族、新郎の親や親族もやってきた。

そのころカウンターから差し出された生ビールに旅疲れも飛ぶ。



仕事先の上司や先輩、友人たちもそろったころには親族の記念写真。

そこにはプロカメラマンが立ち振る舞い。

ウエディングを始めるにあたってリハーサルが行われた。

新郎新婦の顔はすでに満開状態だ。

その笑顔は持ってきたカメラで納めておいた。

そうして始まった結婚式は神事がない人前結婚式。

参列者はおよそ50人。

受付を済ませて席に着く。

まずは新郎の登場。

受付からメインダイニングに入る道はガラスロード。

足元を照らす光が素晴らしい。



そして父親とともに新婦も入場した。

さっそく結婚宣言が詠まれた。

小さな子供が手渡した指輪を交換して署名をする。

列席者の人の前で結婚したことを誓約証明したわけだ。

もちろん立会人は親族。

妹はそれを見て・・・何を思ったのか。

乾杯をしてウエディングディナーをいただく。

はじめの食事はマリネサーモン、アボカド、クリームチーズのトルティーヤロール、山葵とコリアンダーの2色マヨネーズソース。



当たり前だが見た目もスマートな始めの食事だがこっちはそうゆっくりしていられない。

新郎新婦に寄り添ってくる友人たちもシャッターを押す。

専属プロの隙間を狙って撮っていく。

そしてウエディングケーキ入刀。

ほとんどの結婚式でのウエディングケーキは高くて新郎新婦の顔が見えない。

ところがチャコールグリルのケーキは平たい。

晴々しい入刀する姿が真正面。

コンデジカメラやケータイカメラが群がってきた。



一切れずつケーキを相互に口へもっていく。

笑い声が絶えない会場は満面の人だかり。

ディナーはフレッシュフォアグラのソテーとパイナップルのグリル、ポートワインのソースになった。

美味い美味いと始めて口にするフォアグラに口がビックリしている。



そのころには会場に吊るされたプロジェクターから二人の映像が映し出された。

そうした時間はカメラマンの食事どき。

旬(青豆)の食材を使ったスープを飲みほした。



いつの間にか衣装替えをした新婦。

その間、30分だったのだろう。

装いも新たに入場した新郎新婦はそれぞれのテーブルに出向いてお披露目。

記念写真のオンパレードだ。

その間も食事どき。

なんでだと言えばそこには専属カメラマンがいるからさ。

函館港より直送の平目の炭火焼き、野菜たっぷりのソース・ビストゥ。

魚の素材もチャコールグリルでは洋風扱い。



これも美味いがもっと美味かったのはこれだ。

和牛ロースの炭火焼、カペルネソーヴィニヨンとたまり醤油のソースで肉の塊とは思えない柔らかなロース牛肉。



じゅぅわっと肉汁がでるのかなと思ったらそうではなかった。

が、これほどの牛肉は未だ味わったことがなかった。

感動ものの料理に舌がうなる。

自家製デザートの盛り合わせにウエディングのあしらいが出てくるころには2階に上がった新郎新婦。



会場は友人たち。

なにやらテープをもっている。

指輪を運んだ子供もいる。

なにを表現したイベントなのだろうか。

そして対面に立った両親を前に挨拶をする新郎新婦。

お涙ちょうだいのシーンだ。

そうして華のウエディングタイムを過ごしたのであった。

孫の顔を見たかったおふくろは東京へは行けんと祝電を出していたことを付け加えておこう。

(H23. 5.28 SB932SH撮影)
(H23. 5.28 EOS40D撮影)

一路東京へ

2011年07月02日 06時37分34秒 | もっと遠くへ(東京編)
東京へ出かけるのは何年ぶりだろうか。

ビジネスマン時代の監査業務以来のこと。

もちろん新幹線に乗って出張していたのだ。

もちろんというのは飛行機がコワいからだ。

地面に足がついていないとどうも・・・。

近鉄電車、新幹線の切符はかーさんが手配してくれたがちょうど昼飯時間は車中内となる。

車中で駅弁を買うのもいいが量は少なく選べないので京都駅構内にあるお店で買った。

あれも食べたいこれも食べたい弁当に目移りがする。

結局選んだのは古都みやび店の近江牛巻寿司1000円にした。

かーさんは対面の店でサンドイッチを買った。

新幹線が到着するまではにわか鉄っちゃんになってしまった。

流線形の新幹線が到着するたびに子供に戻る。

いずれもカモノハシのように見えるN700系らしい。

初代こだまの0型ならまだしも何型なのかまったくわかっていないから鉄っちゃんにはなれないが乗ったひかり号は一路東京へ。

とはいっても品川で降りる。



かーさんは長男が住まいするときにも行ったので2回目。

さっさと駅に向かって恵比寿駅行きのプラットフォームへ。

エスカレータは節電対策で下りだけが動いていた。

駅構内の明かりもその対策がされていた。

薄暗いといえばそうだが昼間では点けることもない明るさだ。

結婚式といえば式場。



そんな会場を探して雨中の恵比寿の町を歩いたがそれらしき建物はない。

ビルの名前にそれらしきものがあった。

そうして雨の中を彷徨って辿り着いたのがカーディナスチャコールグリル。

姪っ子の結婚式がここで式典される。

(H23. 5.28 SB932SH撮影)