マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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古市のセンゲンサン

2016年05月23日 08時40分35秒 | 奈良市へ
昨年に引き続き行事取材に訪れた奈良市古市町。

道路横に建つ仙軒大菩薩堂は6軒で営む仙軒講中の所有物。

この日はセンゲンサンと呼ぶ講中の行事で、夕方近くになれば提灯に灯りが点る。

ローソクではなくお堂下にある民家から電灯線を引き延ばして点けた。

かつてのお堂は北寄りにあったが、崖が崩れて建物は崩壊した。

その後に場所を移転して修繕したのは大正五年二月。

それから60年後の昭和47年7月、堂右手に六畳の部屋を新築したそうだ。

堂内に掲げてあった板書には「浅間堂 浅間講」と書いてあった。

仙軒大菩薩堂は「浅間堂」と呼んでいたようだ。

「浅間」と書いて「センゲン」と呼ぶのであるが、講中は「仙軒講」であるゆえ、本来は「千軒」の漢字で充てるべきだったようだと長老は話す。

古市の「仙軒講(浅間講)」は富士山信仰の富士講でもあるのだが、水行の作法は行われない。

「浅間堂」が東向きに建てられているのは富士山がある方角だ。

遥拝の場であったろうか。

一年に一度、お厨子の扉を開けてご本尊を開帳される。

黒ずんだお厨子を開ければ、真新しい桐製の箱があった。

箱には古い巻きものを納めていたが、広げられないほどに傷んでいることから別の場で管理しているらしい。

昭和63年、奈良市教育委員会刊の『奈良市絵画調査報告書』によれば仙軒講所有の掛図は江戸時代の「不動明王像」、「浅間本地仏図(阿弥陀三尊像)」、浅間本地仏図(孔雀明王像)」など六幅があるそうだ。

それはともかく厨子の前に供えたお供え。



トマト、ナスビ、キョウリが八個ずつ。

厨子の右横に木造立像仏を安置していた。



いつの時代に誰がどのような経緯で安置されたのか伝わっていない理源大師像である。

そこに供えた白いもの。

講中の家で作って供えた「センゲンダンゴ」である。

これもまた数は八つである。

これまで調べた県内事例に富士講の水行がある。

柄杓で掬った川の水を前方に飛ばす処もあれば頭から注ぐ処もある。

いずれも「ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー、なな、やーっ」と唱えながら水行する。

いわゆる水垢離の作法であるが、お供えの数といい、なぜに八つなのか。

関東にお住いの富士講研究者の方からご享受たまわった。

それは富士山頂にある八つの峰(八葉蓮華)にたとえた神仏の数に基づくようだという。



夕方近くになれば母親らと共に子供がやってくる。

願主に子供の名を書いてご祈祷をしてもらう。



長老は幣をもって「南無仙軒大菩薩」を三唱。

「願くは 願主の 無病息災 学業成就のご加護を垂れ賜わりますよう願い上げ奉る 南無仙軒大菩薩」も三唱する。



唱えたあとは幣を頭に翳して学業成就。

菩薩さんから知恵を授かるということである。

昨年も祈祷してもらった子供たち。

講中外の子供たちも参拝することができる。

今年も一組だった。

以外は講中の孫さんたちだった。



一年、一年お参りをして成長していく幼き子たち。

いずれは大きく育ってお参りもしなくなるだろうな。

祈願も一段落すればお厨子の前に置いていたホラ貝を取りだす長老。

子供に「吹いてみ」といって手渡す。

ホラ貝は山上講の先達が吹いていたもの。

「吹けたら健康になるんやで」と子供に話す長老。



いとも簡単に音を鳴らす子供もおれば、なんぼ吹いても音は出ない子供もいる。



ちなみに、安置していた理源大師木造立像は山上講が寄進したものであった。

仙軒講が代々に亘って保管してきた講箱がある。

黒ずんだ箱は相当古いと思った。



今回訪れた主目的は講箱の調査だ。

もしかとすれば年号が残されていないかと思って講中とともに調べてみた。



上蓋には文字が見られなかったが中蓋にあった。



「寛永七年(1630)□□(庚午と思われる)九月 □ヨコ井村に」の墨書があった。

「ヨコ井村」は古市より500m西南の奈良市横井町と思われる。

この箱は元々横井村にあったものなのか、それとも仙軒講に関係する人物が横井村と関係していたのか判然としない。

講箱内に三つの文書があった。



「元治元子年(1864)三月ヨリ □□豊入金波□帳 当村□講中」。

全件見る時間もなかったので詳しくは判らないが入金帳のようだ。

大正時代より書き記された文書もある。

「大正三年一月八日 仙軒講諸入費勘定帳 仙軒講中」である。



他に「大正五年貳月 仙軒堂移轉修繕見積書」もある。



また、3枚の版木も納めてあった。

一つは「方 鎮供之牘(版) 寶蔵院」だ。



もう一つは「奉轉讀大般若経息災延命処」だ。



大般若経転読法要があったのであろう。

版木はそのときの祈祷札と思われる。

祈祷場はおそらく寶蔵院。

何を鎮供したのか判らない版木である。

もしかとすれば真言宗派であったかも知れないが、寶蔵院はいったいどこにあったのだろう。

版木はもう一枚ある。

「守護処 轉災為福 如意圓□」だ。

守護処はおそらく寶蔵院。

除災を念じたのであろうが、仙軒講との関係性が見えない。

入り混じっている物的証拠の数々。

仙軒講にとって明確な年代は「元治元子年(1864)三月ヨリ」しかない。

(H27. 7. 8 EOS40D撮影)

古市町平尾池の弁財天社

2016年05月22日 08時44分01秒 | 奈良市へ
奈良市古市町に鎮座する御前原石立命(みさいはらいわたつ)神社がある。

ここより東方500mの平尾池北岸に境外末社の厳島神社がある。

古市ではここを弁財天社と呼んでいる。

その名の通り、石灯篭には「弁天」の文字が刻まれていた。

7月7日の夕刻には当地で弁天さんの行事があると聞いていた。

待てど、暮らせど、どなたも来られない。

翌日にお会いした氏子の話しによればこの日は雨天。

仕方なく御前原石立命神社で行ったという。

雨天でなければ神社に行燈を掲げて水利組合による行事が行われる。

御供は宮座のトーヤ(当屋)が供えるらしい。

弁天社向かい、里道を挟んだ処に「平尾池之碑」がある。



奈良県刊の『歴史から学ぶ奈良県の水害史』によれば伊賀上野地震によって決壊した平尾池。池普請のことが書いてあるそうだ。

嘉永七年(1854)6月15日に発生した伊賀上野地震はマブニチュード7.3だったようだ。

奈良市・大和郡山市ではM6.0(想定)。

甚大な被害があった。

古市奉行所の倒壊で役人の半数が亡くなった。

300戸もあった在所古市は民家も倒壊。

残ったのは15戸。

池の決壊で土石流が発生。

家や人が流された。

長年の研究で、在地の震度はM7.0の規模になると伝える。

ほとんどの文字が判読できなかった碑文に「干」の文字があった。

干害用のため池でもあるようだ。

2月11日に御前原石立命神社でオンダ祭が行われる。

所作の際に唄われる千秋万歳楽の第四番に「井手あげ、日もよし、ござれ井手こそあけましよ、はれめんと。三ぞうやり水、古市田、永井田、辰ノ市田迄、水こそあまりますれば、はれめんと」の詞章がある。

平尾池の池水は古市町、永井町、東九条町(辰ノ市)が利用していたのだ。

(H27. 7. 7 EOS40D撮影)

萱森のヤブカンゾウ

2016年05月21日 08時32分38秒 | 自然観察会(番外編)
小夫嵩方の天照皇大神社下にノカンゾウらしき花が咲いていた。

咲いている地は入ることはできないので遠目で拝見していた。

小夫嵩方より足を伸ばして萱森へ行く。

「タメトモユリ」がもしかとすれば咲いているかも、と思っての足伸ばし。

だが、この日も咲いていなかった。

十日後の7月14日、畑の住民から電話があった。

「タメトモユリ」が咲いたというが、入院中の身。

病院から抜け出すことはできない。

8月末まで咲いているとも云われたが、今年はなんとも・・・。

電話の主は自宅前にも「タメトモユリ」があると話していた。

花はまだまだだったが、隣にヤブカンゾウが染まっていた。

(H27. 7. 5 EOS40D撮影)

小夫嵩方天照皇大神社六月座

2016年05月20日 09時18分53秒 | 桜井市へ
桜井市小夫嵩方に祭り当屋がある。

10月初めに天照皇大神社の分霊を遷したヤカタを当屋家で祀る。

10月末には神社に戻られる。

当屋が施主となり秋のマツリまでに行う行事がある。

六月座である。

『桜井市史 民俗編』によれば、当屋はソラマメ、フキを大重箱に盛って神社に供えたとある。

下げた御供は参集した氏子がいただいた。

随分前のことである。

今ではソラマメやフキ盛りは見られないが御供は施主負担で揃えられる。

六月座を始める前に御供を献饌する氏子総代ら。

本社や小社の山王神社・琴平神社、社務所に掲げる天照皇大神宮・豊受大神宮のご神号にも供える。



三方に載せた人形(ひとがた)が拝殿前に置いてあった。

氏子の話しによれば予め配られた人形に息を吹きかけて穢れを移したという。

家族全員が息を吹きかけた人形はこの日に神社へ持ち込んだ。

六月座は夏越の祓も兼ねている村行事。

神職は人形を祓戸社に奉って幣で祓った。

半年間の罪や穢れを流し、後半の半年を平穏無事に暮らせるよう祈願したという。

昔は川に流した穢れの人形。

今では翌年のトンドの火で焚き上げるようだ。

祓えの儀、お神酒の口開け、夏越の祝詞を奏上される。



次は氏子一同も揃って奏上する大祓詞。

一巻を奏上する。

右手にあるお供えは小社の御供。

本社の御供とは若干の違いがある。

かつてはビワの実やスルメもあったが、ビワが実る時期とズレが生じたことから何時でも買えるバナナに替えたそうだ。

(H27. 7. 5 EOS40D撮影)

膨れ上がるFacebookに対応処置

2016年05月19日 08時49分34秒 | つうしん
FBを利用するにつれ「おすすめ投稿」や「おすすめ動画」が増えていく。

内容といえば受け取りたくもない広告である。

数が増えていけばいくほどリソース不足に陥りパソコンが動作不能。

しかもだ。不要な広告が目に入る。

目につけばしばらく停まる。

不要と判断して流すだけでも時間がかかる。

無駄な時間は費やしたくない。

除去しなければと思って非表示扱いにするが、それぞれの広告ごとに「編集」「非表示」をしなければならない。

対応数が増えていけばリソース不足が解消しつつある。

今後もこまめに対応していきたいと思っている。

映像は平成20年8月23日に撮らせてもらった室生下笠間で拝見したモグラ取りの機械である。

Facebookに出現する私にとっては不要な「おすすめ」。

非表示にしてもあちらこちらから出現する。

出る度に設定する非表示扱い。

減ることもなく増えているのだ。

出現する「おすすめ」は商品とは限らない。

リンクさせてもらったトモダチからもある。

存知しない団体もあれば興味もないニュース情報などなど。

これもまたリソース不足に影響を与える私にとっては不要な情報。

発見しては非表示する。

対応の方法が判ったから見つけては処置をする。

その数はもっと多い。

一日当たりの非表示件数はうなぎ登りで30~40数にもなる。

処置に要した時間は30分~1時間。

毎日、それだけの無駄な時間に付き合わなくてはならない。

困ったものだ。

それから数日経っても非表示しなくちゃならない書込みは倍増どころではない。

原因は我にあるのではなくトモダチのトモダチが増幅しているというわけだ。

トモダチが発信する書き込みは非表示をしない。

しかしだ。

トモダチのトモダチは抑制できない範疇にある。

増幅する非表示対象書込みに難儀する。

これこそイタチごっこ。

イタチくんには申しわけないが、モグラ叩きの意味合いを込めて画像はこれにした。

(H27. 7. 5 記)

素敵なPOPで奈良本販売

2016年05月18日 09時37分17秒 | しゃしん
素敵なPOPを書いてくださったカメラのキタムラ奈良南店。

本屋でもないカメラ店だが、著書の淡交社刊『奈良大和路の年中行事』を販売してくださっている。

感謝、感謝である。

この月に開けているページは7月7日に行われる「金峯山寺蓮華会(蛙飛び行事)」。

季節に応じてページ替えするそうだ。

(H27. 7. 3 SB932SH撮影)

オモロイ形の桃太郎トマト

2016年05月17日 08時57分29秒 | 大和郡山市へ
先月の30日、行事の取材中に携帯電話の呼び出し音が鳴る。

声の主は大和郡山市小林町に住む婦人だ。

その晩に「Hさんが栽培するトマトが面白いものがある」とメール配信があった。

翌日は仕事がある。

都合はつかないが興味が湧くオモロイトマトのお誘いは断る理由がない。

そう思って仕事休みのこの日の午後に訪れた。

「これがそうや」と云って箱から出してくれた。

一つは突き出すような恰好のトマト。

まるで角が生えているようだ。

もう一つは穴がぽっかり開いている。

二つ並べたら・・・、である。

評判になったトマトはご近所の人たちが物珍しさで立ち寄ったそうだ。

オモロイ形の野菜は以前にもあった。

平成25年6月24日のときはカボチャにナスビだった。

ときおり異形な野菜ができるようだ。

今回拝見したトマトの品種は桃太郎トマト。

朝4時に起きてすぐにハウスに向かう夫妻。

手伝いに来てもらっているSさんはそれより早く着いているというから睡眠時間はHさんよりも少ない。

ぐっすり寝つくので身体はしゃんとしているそうだ。

ハウス内は陽が昇るにつれ熱くなる。

少なくとも7時には採りいれ作業を済ませて収穫したトマトを農小屋で選別する。

午後はまったりとした時間を過ごしていたという。

熟れたトマトはマヨネーズをかけて食べているというHさん。

我が家の食べ方と同じだ。

Hさんは杵築神社宮座中の一人。

一老が数週間前に亡くなったことから左座の三老に繰り上がった。

7月の祇園さんは四十九日も過ぎていないので秋のマツリから出仕されるという。

平成25年には前一老だったMさんが亡くなられた。

その後を継いだNさんも亡くなられた。

順繰りにあがって座を務めることになったという。

左座・右座の一老、二老、三老は新福寺で行われるオコナイも役に就く。

先日は新福寺の地鎮祭が行われた。

再建されるのは2年後。

平成27年のオコナイは新築された愛染会館で行われるようだ。

平成25年5月に水口マツリを取材させてもらったH家。

7月20日ぐらいには田の水を抜く。

水がなくなった田は日照りでカンカンになる。

一週間も経てばひび割れ状態が出現する。

これを土用干しという。

すくすく育った稲はカンカラカンになれば負けじと根が張る。

稲が強くなるということだが、砂地の田んぼではひび割れは発生しない。

南の今国府町辺りの田んぼは砂であるが、H家の田んぼは農小屋の北側。

そこは砂土でなく「ネバ土」だと呼ぶドタ。

ひび割れが見られるというから是非伺いたいと思った。

田んぼの話題に移ったときを見計らって直播きをしている農家の話しを出してみた。

その直播き田んぼは知っているという。

田んぼの向かい側にある倉庫は収穫物を収める箱を売っている。

「今までおじいさん、おばあさんがおって買っていた」という。

そこで聞いたというのが直播き田

農家の人からと直接聞いたわけではないが稲が成長してからがたいへんだという。

田んぼに生える雑草刈りが難儀だそうだ。

草取り機は使っているかどうか判らないが生える雑草は除草剤でなんとかしているそうだ。

(H27. 7. 2 SB932SH撮影)


ツマグロヒョウモンの幼虫

2016年05月16日 08時23分04秒 | 自然観察会(番外編)
ツマグロヒョウモンが飛んでいた日から数日後。

僅かに残っていたビオラに黒い幼虫がいた。

トゲトゲは朱色。

身体一直線に伸びる線も朱色から間違いないツマグロヒョウモンの幼虫。

むしゃむしゃ食べて葉がすっかりなくなっていた。

大きさから5齢虫と思われる幼虫。

数日後にはサナギにメタモルフォーゼ(変態)するであろう。

(H27. 7. 6 EOS40D撮影)

飛んできたツマグロヒョウモン

2016年05月16日 08時18分57秒 | 自然観察会(番外編)
我が家の庭にヒラヒラ飛んできた蝶類。

翅の紋様はヒョウ柄だ。

一瞬、アカタテハかと思ったが違っていた。

飛んできたというよりも突然現れたように思えた蝶目昆虫はツマグロヒョウモンの♀である。

あっちへ飛びこっちへと飛ぶツマグロヒョウモンを追っかける。

撮っていて思いだした。

我が家の庭に咲いていたパンジー系のビオラがあった。

そこに黒っぽい幼虫がいた。

気にもとめてなかった幼虫はこの日に羽化したのではないだろうか。

では、サナギはどこにあったのだろう。

(H27. 7. 2 EOS40D撮影)

ガス工事跡の本舗装

2016年05月15日 08時39分55秒 | ぽつりと
大阪ガス導管事業部から通知があった。

ガス工事跡の舗装を直すための道路工事である。

場所はといえば我が家の真ん前だ。

通知にある番地は横隣であるが実際は我が家の前である。

工事日は前日であったが天候不順の雨風。

強い横風が吹く雨天日。

そうであれば翌日になると案内されていた。

この日の朝8時半過ぎに呼び出しホンが鳴る。

工事を請け負った土木会社の人だ。

工事開始を伝えられて始まった。

仮アスファルトを剥がす機械が動き出す。

喧しいのは当然である。

通行道路の半分ほどを残して剥がしていた。

我が家の駐車場から車を発進するにはちょいと難しい。

この日は県立民俗博物館に出かける予定をしていた。

夏場に展示される暮らしの民俗企画展の掲示写真の相談だ。

前日に依頼された画像を洗い出して整備していた。

その画像を見ていただくことにしていた。

しばらくは出発することはできない。

工事が始まった1時間後には本舗装に移っていた。

これならなんとか出発できる。

そう思ってガードマンに誘導されながら発進した。

打合せを終えて戻った時間帯は12時。



本舗装は終わっていた。

道路からガス漏れが発生したのは平成25年12月4日のことであった。

緊急工事をされて道路は「仮 ホソウ」になった。

その後の12月11日にも緊急工事があった。

ガス漏れの場所はもう一か所あったのだ。

仮舗装状態はいつまで続くのか。

すっかり馴染んでいた道路は本舗装されることなくそのままだった先月の5月27日にはまたもやの緊急工事。

仮舗装を剥がして導管部を工事された。

再び続く仮舗装。

ずっとそのままになると思っていたところに本舗装の通知があったのだ。

実に19カ月ぶりの本舗装。

道路は綺麗になった。

(H27. 7. 2 SB932SH撮影)