高田馬場を使う大学に入学して、早速、新宿の街で天ぷらに出会ったは40年以上前。その頃から新宿の三越の裏にある角にあった店はたまに行くごちそうだった。
もともと新宿は宿場町の内藤新宿であり、街道沿いに飯盛女もいたという盛り場でもあった。恩師の戸沼先生が新宿学を提唱されている。
目の前で剥く海老、一匹の穴子、かき揚げのついた定食が当時は千円以下だった。胡麻油でからっと揚がる「宿場の味」を思い起こす。ご飯と蜆の赤出汁、たっぷり目の生姜ののった円錐形の大根おろし。入れ放題の濃いめの天つゆは、若者の胃袋にすっぽり収まり、胡麻油の匂いが鼻をとらえ、さっくり衣が口に楽しい。
一品ものでは、穴子の骨を揚げたカルシウム、卵の黄身の天ぷら、揚げてから醤油を回す蛤、そして、お揚げに葱を絡めた納豆を詰めた納豆袋が好きだった。研究室の同期と会議のあと新宿での天ぷらで一杯を楽しんだものだ。
就職してからは八丁堀の みかわ が贔屓になり、大阪では新太呂が行きつけとなり足が遠のく。
最近は、値段が倍くらいになりチェーン化が進んでいる。京都では髙島屋にあり、往時をしのびつつ定食を愚妻と食べる。
東京では胡麻油系でいろいろ楽しめ、お酒も楽しめる天ぷらだ、カルシウムを5回頼んだのは大昔