都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

京都学派 酔故伝(櫻井正一郎):京大人脈の縦横のつながりと山と酔っ払いと京都の街はうらやましい

2017-12-04 04:02:05 | 京都

 京大の自然学派を中心に据え系譜を述べる。「実事求是」を基軸にしており、東大の小林秀雄の感動や対象と交わる姿勢を対象がそれを見る個人そのものになると批判している。「小林君といったら無学でっせ」と桑原武夫にある。生島遼一も「君らは小林、小林というけど、彼はぼくや桑原君みたいにフランス文学はしりませんよ」と杉本秀太郎に怒る→小林の翻訳が誤訳であるというのは今や常識。

 小林秀雄への批判は多いが、あれほど小林が誤訳でも受けたのは時流にのった「ドーダ」があったからだという分析もある。( http://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/39d8b4e7c12d20742dbc3620a69d84ae )→当方も「考えるヒント」を箱入りで買って読んだが何のことか分からなかった、こういう直感主義への反発でデータ分析に傾いた。おかげで都市計画の次にMIT Sloanに行けたと思う。(人がそう思っているという二次評価や人気投票を重んじるのは「(人気)評論家」であり「学者」ではない)以後、小林を見限って、京大学派の梅棹や石毛などの影響を大きく受けた。

 このあと京大は「実事求是」からの展開として精緻な研究からの「仮説」に至る。ゴリラの研究で有名な山極壽一京大総長もカリスマ的な今西錦司の系譜だ。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%A5%B5%E5%AF%BF%E4%B8%80 伊谷  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B0%B7%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E 今西 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E9%8C%A6%E5%8F%B8 )

 京都という狭い、歩ける都市の規模と資質のなか、今西錦司と桑原は第二期の京都学派は個人的なゼミ開催と酔っ払いが縦横の人脈を形成していたのがよくわかる。当方の早稲田大学も酔っ払いの集いが多かったのが同じような役割で早稲田の街と呑み屋が重要だった。出版社が大学や学者を育てたのも同じだ。「あほくさ」とか「あのおっさん」という言い方や概念も分かる。

 さらに京大の登山好きなのは、すく近くに山があるからだろう。早稲田では都市計画と有形学の師の吉阪隆正も山が好きだったが、主に国土や地方計画に向かった。(都会はT大のテリトリーだった)

京大は街と自然を楽しめて競争相手もいない環境でのびのびして酒も呑めるから良いなと思う。

 呑み屋の事例は面白く、三条の伏見(廃業)、千本中立売の熊鷹(廃業:神馬の南、五番街遊郭にも近い)、四条小橋の梅ぼし、梅鉢、丸梅、東京では京大を支援した筑摩書房の古田 晁がすごい酔っ払いぶりだ。小石川の火の車、ラドリオ。その他に銀座の大隈のマッチ箱と中野好夫と吉川幸次郎→梅棹忠夫( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%A3%B9%E5%BF%A0%E5%A4%AB )と西堀栄三郎( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A0%80%E6%A0%84%E4%B8%89%E9%83%8E )につながる

 九鬼周造( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E5%91%A8%E9%80%A0 )の「いき」、母と酔っ払いの岡倉天心の根岸などでの関係、「ルミナス・ヘイロゥ」、山科の御屋敷と、半分隠居もすごい。

 青木正兒( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E5%85%90 )も「名物学」という仙境で食品の「名」と実体「物」を調べるという、食物の歴史探索だ。「酒中趣」も悠々としている。

 ここまで呑めたのは、大学がのんびりしていたのと、京都の街は小さいため帰りやすいというのが原因だと思う。

 うらやましい時代と京都、大学だ、いま京都に居るのも何かの縁だ

コメント
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