都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

昭和、そして平成と令和に思う

2019-05-06 02:54:15 | 世情

 平成天皇陛下の「国民に寄り添う」姿勢は新しいあり方とも感じた。これが継承されるというのはありがたいことだ。

 とまれ、元号は使わない。海外とのやり取りには西暦だからだ。1988年に留学し、89年に平成になったのを聞いたのはMITで学んでいた頃。帰国すると、踊るポンポコリンとシーマ現象の「平成」になっていた。

 それから、バブルが崩壊し、30年間殆んどインフレがなかった。CPI参照( http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/keizai_prism/backnumber/h30pdf/201816902.pdf )

 牛丼やハンバーガーの価格戦争などもあり、「安さ」と「貯金」で、非正規社員の制度が進み、90年代は「就職氷河期」ともなった。

 雇用側でも、サーヴィス業を筆頭に労働生産性は下がり、給与もあららと下がった。更に、フリンジ・ベネフィット(社宅や社内貯金など)はほぼなくなった。つまりは海外への拡大が止まった年代だ。

 平静だが閉塞感が「平成」かと思う。

 「令和」は、個人の能力発揮を自分に命じ「令」、更なる才能と出会い協調する「和」の時代であればと思う。

 なにより、金融の行き詰まりと滅びの「笛」が聞こえるのが当面の状況だ。オリンピックより、生活の「幸福度」も持上げたい世情だ。

 「令和」を祝うのは良いが、昭和は25年足して西暦、平成は88年足して西暦、令和は18年足して西暦というのは如何なものか。西暦主体で元号併記にして頂きたいものだ

 とまれ、令和が始まった

コメント
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