子供が我々夫婦を、レーススターこだまで新大阪から広島までのご招待。(行き7時発で2時間、帰り19時発で3時間のゆったりで疲れた)
まずは、広島からJRで宮島口へ、そしてフェリーで宮島に。2回ほど水族館のラッコを30年前に見に来たことがあったが、当時は忙しく、あまり観光はしなかった。宮島は火山性で花崗岩の島( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6 )
10時半に、まずはブランチで牡蠣屋にて定食の大きな焼とフライの牡蠣を食べる、ちょっと癖があると感じたが食べつくす。荊妻はその後、ノロウイルスにやられたような体調になったとのこと。
厳島神社の参道の商店街も、昔ながらと、今風の2種類の店が混在している。前者はオモチャもある、後者は2種類あり、おしゃれでスイーツか民家で地元物産が多い。もみじまんじゅう屋はどこにも、京都新京極のロンドン屋や徳島の大判焼き屋みたいな自動機械がどこもある、これは「もみじ饅頭焼成機」( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%82%E3%81%BF%E3%81%98%E9%A5%85%E9%A0%AD )らしい。また、生もみじまんじゅう(皮に餅粉と米粉が入っている、生八つ橋みたいな、焼いていないものではない)は、広島駅北の光町にある にしき堂の商品であり宮島にはないとのこと。島に、名店が点在する。岩村もみじ屋の店先で出来立てを、無料のお茶と1個を3人で分け合ったがうまかった。
厳島神社( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE#%E5%BB%BB%E5%BB%8A )と大鳥居( http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/column.html )、能舞台は変遷があるようだ( https://home.hiroshima-u.ac.jp/museum/siryou-data/kennkyuuhoukoku1/02%20Yoshimi%20YAMAGUCHI(p13-24).pdf )絵になる海と空の蒼さに対比する、丹塗りの神社。また、干潟にはいろいろな仕掛けがある。灯籠は曼殊院門跡や桂離宮を思い出す姿や、雪見の六角形など楽しめた。神社でここまでの灯籠の構成はあまり見かけない。また、烏をあしらった対の灯籠も堂々としている。
これから、痛む右足をかかえ、宮島ロープウエー(往復1,800円 乗換 http://miyajima-ropeway.info/ )で弥山( 須弥山をモデルか https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%B1%B1_(%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C) )に徒歩で登る。風化して残ったコアストーン( https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_13013_1999_D.pdf )と独自の植生。中腹はスダジイの黄色い花が多く、低地は紅葉と松が多い。頂上付近は石にへばりついたような特殊な植生だ。花崗岩は風化して真砂土になる。広島では上流部で真砂土が崩壊した大雨被害が多い、これはもともと平野部が少なく、北側山岳部での造成地が多いという理由もある。
途中に宮島カエルの声が聞こえる。低めだが、ウシガエルほとではない。姿は見なかった。
ロープウエー獅子岩駅に着き、獅子岩展望台から眺めを楽しむが、弥山を登ることにした。というのも、弘法大師空海のゆかりの地であるからだ。
杖があり、痛む右足をこれでかばう。ここからは、いったん谷に降りて登るというもので、太腿と右手と右足首が疲れた、特に下りは足首が痛む。登り下りの方の間を、がしんがしんと右手で杖を突いて、反動で右足をかばう。
途中の弘法大師ゆかりの「きえずの火」を拝み、荊妻は霊水を頂いた。
くぐり岩には山岳修行や御神体を感じた。弥山には展望台があり、宮島の植生や岩、広島と瀬戸内の眺めを楽しめた。ちょっと曇り気味であったが快晴の空と緑が対比する。
帰りも同じ道で安全に帰り、無事ロープウエーに乗る。紅葉谷川に沿って降りるが、人工の河床なのが気になる。砂防事業だが、修景に配慮した先駆的な事業の様だ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%BA%AD%E5%9C%92%E7%A0%82%E9%98%B2 )知らべて見ると面白い。とすると、この急流で利水(水道水)や下水(処理場)はどうなっているのか気になった。上水は、海底パイプでの対岸からの供給、下水は完備に近い状態( http://www.town.nishikatsura.yamanashi.jp/div/0011/pdf/keiziban/houkoku/jimutyousa/kensetu/970417.pdf )は「あんこの汚水の見栄えが悪い」が動機の様だ。
カフェ巡りの2人と分かれ、広島市内に、あいにくJRがトンネル付近の火災で不通、やむなく時間のかかる広電で八丁堀を目指すと小一時間。広島弁がたっぷり聞けた。
N生命時代は3年間中国地方も担当した。あれから13年は経つ、街並みが懐かしい。昔、、みんなとというドゥミグラス・ソースと魚がうまい洋食屋を愛用したが今はない。
建替えをとりまとめた広島ビル(施工はT工務店)を初めて見る。というのもそれから東京勤務になり、関西に帰ってからは関西になったからだ。先年竣工したスタートラム・ビルも見る。さらに、八丁堀あたりのビルや売却したビルなど懐かしい。広島は原爆被害があり、50年代以降竣工のビルが殆どだったが、紙屋町交差点のL字型ゾーンは殆どが建替となっている。
うえの の穴子飯を三越に取りに行き、2人と合流。そのまま、広電で広島駅まで乗る、懐かしい。広島駅は様変わり。北側は再開発で、昔はこれしかなかった光町ビルも埋没している。
広島駅で問題は休む椅子がどこにもない。商業施設にもない。合理的だがおもてなしがないと感じた。せめて、もたれかかる椅子くらいは整備してもよかろう。
駅ビルでの広告や賑わいでも、もみじまんじゅうはにしき堂の圧勝、隣のやまだ屋はショーケースも暗く売れていない。
新幹線で穴子飯を食べて、うつらうつら。新大阪から新快速で帰洛。最後の地下鉄がなかなか来なかった。帰ると23時で風呂に入ると24時近くで寝るが、体が痛く疲れすぎて興奮しているのでなかなか寝付かれない。
3万歩、20km、72階登るという一日の新記録。痛風の回復途上の右足首と両足太腿、山道で杖を突いた右手に疲労がある