2泊3日で広島あたりに年末出かけることにした。JR西日本の新岩国から福山までの周遊券で色々巡るつもりだ。親戚がおり、家系を探る目的もある。JRで京都から新大阪まで行ってから新幹線のぞみに乗る。快適に9時過ぎ、駅の北にある光町のホテルにチェックイン。
荊妻は広島が初めてであり、広電の一日券(600円)を買う。まずは、原爆ドームを見るが、がれきがいまもあり生々しい。軍都広島を狙った原爆のすさまじさが体感できる。向かいのおりづるタワーは1,700円と高いため諦める。
丹下健三の出世作である平和記念資料館と公園を歩く。軸線に沿って、原爆ドーム、水、モニュメントがあり、平和記念資料館の2階ラウンジが凹んでおり軸線を受け止めている。ディティールもピロティの足の曲線はコルビュジェを、方立の段差のつけ方は数寄屋をイメージする傑作だと思った。
展示は前のものから更新され、より被害の体験重視となっている。進駐軍が投下後に撮ったパノラマを見ると惨状に声が出ない。直接的被害と放射線による発病での家族の崩壊など目を覆う。荊妻は1時間半かけて展示をすべて見たが、ちょっとくらっときたと言っていた。当方は、建物をくまなく見て満喫した。敗戦後、このような建物は国家の威信をかけていたのだろうなと想像した。
お昼は、八丁堀のみっちゃんでお好み焼き。雨模様でもあり、広島市郷土資料館へ広電で行く。もともとは旧陸軍糧秣支廠建物(りょうまつししょう)を再活用している。広島は戦争の後方支援の役割があり、当地では缶詰工場などがあったとのこと。丁度、「特別展「広島町新開絵図」に見る浅野時代の広島城下」( http://www.cf.city.hiroshima.jp/kyodo/html/00top/topfrm.htm )の展示ガイドが篠原研究員のガイドで30分程あり楽しんだ。その後のQ&Aで:
①街区・街路のサイズはなかった(地形が四角でなかった、つまり河川の付替えはなかった)
②木戸はあったが、防災上変更が多かった
③埋め立ての歴史は分かり堤や雁木、堰は遺構がある、東西を西国街道で結んだ、幅は2.5間以上だったようだ(これでも随分狭い)
当方からの参考として
①間口税は規制になっていないという論文は多い
②排水(干満差が大きい)・給水(上流からとのこと)から都市史を調べてはどうか
③河川の付替え、埋立は街区割を含め、平安京(40丈)、船場(京間40間)、名古屋・江戸(京間 50~60間他)と広島では差があるのかもしれない
と意見交換ができて良かった。
雨も降り、流川でいったん降りる。アーケード街は人が多く、学生など若い方の層が目立つ。ナショナル・チェーンが多い。周辺の飲み屋街も見て、八丁堀から広電に乗る。
ホテルに帰り、親戚の車を待って会食を楽しんだ。平和大通りのイルミネーションが雨に霞んで風情があった。1万7千歩 1階(広島中心部は平地だった)