みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

中世の亡霊

2008-08-13 | おきにいり
         「中世の面影」のところで、中世はあまり残っていないと書きましたが

         時たま、残り過ぎているところもあります。言わば「中世のかたまり」

         その一例が、前回、猫さんをアップしたシエナです

         しまい込んだ写真が見つからないので、古い絵葉書をスキャンしました


         シエナのパノラマ
         
         右が市庁舎(パラッツォ・プブリコ)のマンジャの塔
         左がドゥオモ(カテドラル)と塔

         ヴィア・デラ・ガルッツァ(通りの名前)
         
         絵葉書になるほど有名な?
         つっかえ棒オンパレード
          つっかえ棒については中世の面影参照

         パリオのパレード(イストリーチェ)
         

         パリオに関する本の表紙
         
         市庁舎から見た当日の広場


         旧市街(城壁に囲まれた典型的な中世都市)
         
         大きめの地図はこちら


シエナは中世に極めて繁栄し、当時の大都市となりましたが、フィレンツェとの覇権争いに負けてルネサンス期以降は凋落、このため、城壁に囲まれた中世の街並みが、ほぼ完全に残されました。もちろん、近代化に伴う都市の拡大はありますが、新市街は、中世都市の城壁外に広がっています。あまり、中世都市の完成度が高いため、そのまま生き延びたのです。おかげで、ユネスコ世界文化遺産になっています。

シエナは大好きな街のひとつで、これまでに4回滞在しています。何年も前にはイタリア語集中コースで、1ヵ月シエナに滞在しました。このとき地図を片手に、旧市街を歩き回りました。非常に迫力のある街で、言わば中世の亡霊の中で生きている感じ。コースの終わり頃には、このまま住んでいたら気が狂うのではないかと思うほどでした。が、帰りの列車が動き出した途端、シエナを離れるのが残念でたまりませんでした。

 シエナはパリオで有名です。コントラーダと呼ばれる各区の代表が鞍をつけない裸馬で競馬をします。普通の競馬は騎手が落馬すると失格ですが、パリオでは、馬だけでもトップなら優勝になります。
 私が住んでいたのはイストリーチェ(ヤマアラシ)区です。この区はフィレンツェとの戦争時代、いつも真っ先に攻められるので、住みたがる市民が減り、助成金を出して「住んでいただいた」ということです。いつも真っ先に攻められて防衛にあたり、我々はヤマアラシみたいだというわけで、ヤマアラシ区になったそうです

ドゥオモの前に巨大なゲートのようなものが見えます。これは中世の繁栄期に人口が急増、世界最大の教会を建てようというわけで、工事が始まったのですが、当時の建築技術には大き過ぎて、結局この壁だけで終わり。しかもペストの大流行で人口も激減、大教会は不要になりました

 油絵の具のバーントシェンナ(焼けたシエナ)は赤土色で、シエナ周辺の土を焼いて生産します。

Wikipedia日本語版はあまり詳しくありません。以下は英語版
Wikipedia:Siena
Wikipedia:Palio di Siena
Wikipedia画像:世界で最も美しい広場のひとつと言われるピアッツァ・デル・カンポ