私の住んでいる街にも、名所となっている教会が色々ありますが
そのほかに観光客の訪れない「地元民の」教会が沢山あります。
これから時々、知られざる教会を紹介しようと思います
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「そこらへん」がどんどん増えているので「旧市街」という項目を新設
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
これまでの「そこらへん」記事からも旧市街分は順次カテゴリーを変えます。
先週土曜日、好天だったのでアラビア語コースの後「晩餐教会」へ寄りました
教会はブルク劇場の裏手にあります
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ブルク劇場については
西洋ゲゲゲ参照
窓の飾り模様も色々
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7a/b26d5b354968546055e78d811b756523.jpg)
塔のてっぺんがちょん切れたようなのは、オスマントルコ軍の大砲で破壊されたため
教会の「本名」はミノリーテンキルヒェ(直訳すれば「小さい兄弟の教会」)で
ローマカトリックのフランチェスコ会に属する教会です。
起源は13世紀で、市内で最も古いゴシック教会のひとつですが、増改築が繰り返され
バロック化された後、19世紀に再ゴシック化され、混合スタイルになっています。
18世紀後半には、在住イタリア人のための教会となり
「正式名称」は「イタリア国民のための雪のマリア教会」(長~い
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)
この教会は「最後の晩餐」の原寸大モザイク・コピーがあることで知られています。
ナポレオンが注文したのですが、出来上がったのは彼の失脚後だったため
舅に当たる
フランツI世が買い取りました。
「
最後の晩餐」
京都府立陶板名画の庭にある「最後の晩餐」とは、ちょっとタイプが違います。
でも、ミラノへ行くより落ち着いて静かに鑑賞できるところは同じ
教会内部のピンボケ写真を少し・・・
ゴシックに典型的なアーチ形天井
アッシジの聖フランチェスコ(フレスコ画)
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古い時代の建物の残りと思われますが、詳しい説明無し
説教壇
バロック様式の祭壇
パイプオルガン上のステンドグラス(新しいものです)
中央祭壇と祭壇画
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続く
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乞無期待
以前の観光名所外教会
教区教会
へんや