10月9日付けのNZZ(新チューリヒ新聞)に2ページの特集記事が載りました。
水俣病と
水俣条約に関する非常に丁寧で分かりやすい記事です。

ちょっと見難いですが左本文中央に地図もあります
ちょっとアップすると・・・
タイトル
犠牲者は苦しみ「くまもん」は踊る
タイトルの下には「化学工場周辺の住民数千人が有機水銀中毒の犠牲者となって既に60年近く、責任者と公的機関は未だに責任を果たすのが困難である」とあります。
記事では、1950年代からの発病、最初の犠牲者、その後の経過の概略を説明、現状を紹介しています。
青字は、記事のごく一部をピックアップしたものです。
当初は、感染性の奇病と疑う人も多く、最初の被害者は村八分的迫害を受けた。
漸く1968年、チッソ水俣工場は生産工程を変え、有機水銀の流出が止まった。
有機水銀の堆積した海底の汚泥は吸い上げられ、特定個所に集められ、汚染の強い魚も埋められた。
多額の費用を使って水俣湾浄化が進められ、1997年には、公式に、水俣湾での漁業が許可された。
国家が公式に認定した被害者は約3000人だが、水俣病被害者団体では7万~8万人と見積もっている。
若い認定被害者は、胎児性水俣病に罹った人たちである。
これまでの歳月に亡くなった人々について、有機水銀が、どれだけ寿命を縮めたか、などの研究は一切行われていない。
この間、水俣市の人口は、公害病発生当時の半分に減少した。
国家と公的機関は今も、事態に対する完全な責任を取ることができずにいる。
有機水銀規制条約に関する国際会議に先立って行われた催しでも、質疑応答は簡単に打ち切られ、「くまもん」が登場して踊ったりするのは、犠牲者・被害者に対する配慮の欠如である。
ある水俣病被害者は昨年12月に福島の原発事故被害地を訪れ、福島の被害者も、水俣の被害者と同じように扱われていることを確認した。
更に記事の最後には次の付記があります。
この取材旅行は、熊本県と日本の外国プレスセンターが組織し、大部分を出資したものである。
2ページのうち右ページ下には2つの囲み記事があり、ひとつでは、有機水銀(
メチル水銀)が生命体に及ぼす恐るべき作用が説明され、もうひとつでは、水俣条約の内容が紹介されています。水俣条約成立のためイニシャチブをとったのはスウェーデンとスイスだということで、日本が最大の推進者になっていないのは不思議な気がします。
原発推進国だったスイスは、福島原発事故の後、反原発運動が起こり、国民投票で脱原発を決めました。その記事は
こちら
記事の写真を少しアップ
現在の水俣

右下は水俣病被害者のための施設
1971年の水俣湾

水俣病に関する写真集を出した
ユージン・スミスの写真
NZZ(新チューリヒ新聞)には、こうした歴史的事象の特集記事が良く載ります。
みみずボログで紹介した
夢50年
最近では、200周年ということで
ライプツィヒ諸国民戦争の特集記事が登場しています。