みみずのしゃっくり

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60年

2013-10-21 | その他

10月9日付けのNZZ(新チューリヒ新聞)に2ページの特集記事が載りました。
水俣病水俣条約に関する非常に丁寧で分かりやすい記事です。


ちょっと見難いですが左本文中央に地図もあります


ちょっとアップすると・・・


タイトル犠牲者は苦しみ「くまもん」は踊る

タイトルの下には「化学工場周辺の住民数千人が有機水銀中毒の犠牲者となって既に60年近く、責任者と公的機関は未だに責任を果たすのが困難である」とあります。

記事では、1950年代からの発病、最初の犠牲者、その後の経過の概略を説明、現状を紹介しています。
青字は、記事のごく一部をピックアップしたものです。

当初は、感染性の奇病と疑う人も多く、最初の被害者は村八分的迫害を受けた。
漸く1968年、チッソ水俣工場は生産工程を変え、有機水銀の流出が止まった。
有機水銀の堆積した海底の汚泥は吸い上げられ、特定個所に集められ、汚染の強い魚も埋められた。
多額の費用を使って水俣湾浄化が進められ、1997年には、公式に、水俣湾での漁業が許可された。
国家が公式に認定した被害者は約3000人だが、水俣病被害者団体では7万~8万人と見積もっている。
若い認定被害者は、胎児性水俣病に罹った人たちである。
これまでの歳月に亡くなった人々について、有機水銀が、どれだけ寿命を縮めたか、などの研究は一切行われていない。
この間、水俣市の人口は、公害病発生当時の半分に減少した。
国家と公的機関は今も、事態に対する完全な責任を取ることができずにいる。
有機水銀規制条約に関する国際会議に先立って行われた催しでも、質疑応答は簡単に打ち切られ、「くまもん」が登場して踊ったりするのは、犠牲者・被害者に対する配慮の欠如である。
ある水俣病被害者は昨年12月に福島の原発事故被害地を訪れ、福島の被害者も、水俣の被害者と同じように扱われていることを確認した。


更に記事の最後には次の付記があります。
この取材旅行は、熊本県と日本の外国プレスセンターが組織し、大部分を出資したものである。

2ページのうち右ページ下には2つの囲み記事があり、ひとつでは、有機水銀(メチル水銀)が生命体に及ぼす恐るべき作用が説明され、もうひとつでは、水俣条約の内容が紹介されています。水俣条約成立のためイニシャチブをとったのはスウェーデンとスイスだということで、日本が最大の推進者になっていないのは不思議な気がします。

原発推進国だったスイスは、福島原発事故の後、反原発運動が起こり、国民投票で脱原発を決めました。その記事はこちら

記事の写真を少しアップ

現在の水俣

右下は水俣病被害者のための施設

1971年の水俣湾

水俣病に関する写真集を出したユージン・スミスの写真


NZZ(新チューリヒ新聞)には、こうした歴史的事象の特集記事が良く載ります。
みみずボログで紹介した夢50年
最近では、200周年ということでライプツィヒ諸国民戦争の特集記事が登場しています。