フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月4日(水) 曇り

2006-10-05 02:45:40 | Weblog
  午前、父の遺産相続の手続を委託している銀行の担当者と税理士が自宅に来て、説明を受ける。5月に父が亡くなって、あれこれの儀礼や手続きになんとなく気忙しい思いをしてきたが、ようやく一区切りが付きそうである。
  昼寝の後、区役所に印鑑証明を取りにいきがてら、散歩に出る。くまざわ書店で以下の本を購入し、一つ下の階のルノアールで読む。

  荒川洋治『世に出ないことば』(みすず書房)
  アダム・フィリップス『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』(みすず書房)
  橘木俊詔『格差社会』(岩波新書)
  小池真理子『恋』(新潮文庫)
  ズザンネ・ロート『24時間ですっきり!ぐちゃぐちゃデスクのシンプル整理術』(技術評論社)

  「老眼がすすんだ。小さい文字が見えない。読書もつらかった。
  ある日、知人のSさんが小さな、めがねをかけていた。ためしにかけさせてもらったら、ぼくの眼にあう。とても見える。Sさんはそれをぼくにくれるという。百円の店で買ったもので、家に同じようなものが一二、三本あると。それならと、いただいた。そのめがねはその日から、ぼくのめがめになった。
  本を読むときだけ、かけるのだ。これで読書が戻った。これまで中途で引き返した長編小説もどんどん読んだ。こんなに本を読んでいいのだろうかと思うのだが、とにかくはかどる。文庫で『夜明け前』全四冊も読んだ。この長編に登場する集落、あるいは地勢を、現在の地図でたしかめる。地名には、いまもあるものと失われたものがあるが、そんな明暗も、光陰も、めがねがあるから味わえる。感じとれる。」(荒川洋治『世に出ないことば』12頁)

  老眼鏡の威力ってそんなに凄いのか。私は眼鏡を掛けていない。すごく眼がいいわけではない。近視も乱視も老眼もある。でも、いずれも眼鏡をかけるほどのものではない(と少なくとも自分では思っていて)、眼鏡なしでやっているのだが、これほど眼鏡ひとつで世界が変わるのであれば、試してみようかという気持になってくる。明日、大学に行く途中に100円ショップに寄り道だ。
  夜、「現代人の精神構造」(金曜6限)の授業の準備。総合講座(複数の教員でチームを組んでする授業)のコーディネーターは久しぶりだ。たんに自分が何をしゃべるかではなく、他の教員にどうやって襷をつなげるか、つなげてもらうか(どうやって講義としての一貫性を醸し出すか)が一番のポイントである。

          
                      講義メモ