フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月8日(日) 晴れ

2006-10-09 03:06:08 | Weblog
  午後、娘の大学の演劇研究部の公演「コモンセンス・クライシス」(於.川崎H&Bシアター)を妻と一緒に見物に行く。例によって起承転結のはっきりしたストーリー不在の不条理劇なのであるが、今回はこれまでのものよりもわかりやすく、かつ楽しく観ることができた。わかりやすかった理由は、舞台設定が近未来やどこかわからぬ山の中とかではなく、現代の日本で、小泉首相(らしき人物)や金正日(らしき人物)、援助交際をしている少女や怪しげな宗教団体といったわれわれにとってお馴染みの人物や社会現象が盛り込まれているからである。つまり不条理劇ではあるがシュールではなく、リアリティが担保されているのである。また、楽しく観ることができた理由は、演出がサービス精神に富んでいたからである。台詞のやりとりに緩急をもたせたり、歌や踊りやショートコントを随所に採り入れたり、一人二役・三役の場合のキャラクターの組み合わせに意外性をもたせたり…、そうした工夫が細部にわたって見てとれた。ただ、わかりやすく、楽しく観ることができた反面、不条理劇の不条理さ(不気味さといってもいい)は薄くなり、不条理劇よりも風刺劇の色彩が濃くなっていたように思う。もちろん風刺劇でもいいのだが、風刺劇であるならば、ただ政治問題や社会問題を漫画的に描くだけではなくて、その問題についての一歩踏み込んだ考察が必要だと思う。表層的におちょくってクスクス笑いを誘うだけでなく、問題の本質的な部分に鋭くメスを入れてほしいと思う。そのとき観客は笑いながら背筋にヒヤリとしたものを感じるであろう。最後に、舞台全体のことを離れて言えば、娘の演技はようやくあまりハラハラせずに観ていられる水準になってきた(しかし、今日もそうだったが、援交少女とか、金正日らしき人物の歌舞組の一人とか、毎度、エロ可愛い系の役が多いのはなぜだろう…)
  劇場から川崎駅に戻る途中の商店街(新川橋通り)には数軒のちゃんとした古本屋があり、そこで先日出たばかりのジェイ・ルービン『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』(新潮社)を入手できた。3000円が2100円である。収穫、収穫。他に西島健男『民族問題とは何か』(朝日選書、1992年)、関川夏央『貧民夜想会』(双葉社、1986年)、朝日新聞社編『わが思索 わが風土』(1972年)を各100円で購入。妻が「3冊で300円?!」と驚いていたが、ちゃんとした古本屋にも「百円均一」のコーナーというのが大抵あって、そこは「百円ショップ」の元祖みたいなものなのだ。しかも初めから100円で販売することを前提に作られた安物が並んでいるわけではないのだ。川崎に来る楽しみがまた一つ増えた。