フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月10日(火) 晴れ

2006-10-11 12:06:43 | Weblog
  飲み薬がなくなったので午前中に近所の整形外科に行く。肩凝りの方はいくらか緩和されたが、右手の痺れの方はあいかわらずである。
  私「キーボードを打っているときはそれほどでないのですが、マウスの操作をしていると痺れてきます。肘を曲げていると痺れるようです。」
  医師「フムフム(カルテに私が言ったことを記入している)」
  私「それから、退屈な会議が延々と続いたりすると痺れてきます」
  医師「フムフム(カルテに私が言ったことを記入している)」
  私「・・・・(冗談を言ったつもりなのだが通じてない)」

  昼から大学へ。2年生の演習のKさん、もう一人のKさん、U君を連れて五郎八に昼食を食べに行く。この3人は夏休みのお薦めの新書4冊を読破した学生である。「頑張りました賞」は五郎八の蕎麦、カフェゴトーのケーキとお茶、コピーカードのいずれかということになっているのだが、3人とも五郎八の蕎麦を希望した。私、Kさん、U君は天せいろ、もう一人のKさんは鴨せいろを注文。私はてっききり3人とも蕎麦好きなのかと思ったが、3人とも蕎麦屋で蕎麦を食べるのは初めてないし数年ぶりなのだそうである。私が蕎麦湯を飲むのを見て、Kさんが「大人ですね~」と言った。50過ぎの男をつかまえて「大人ですね~」はないだろう…。
  午後1時から専修・専攻主任会。今日は難しい議題が山積で、専修・専攻主任会にしては珍しく時間がかかった。午後3時半から現代人間論系運営準備委員会。来年度の時間割の細かい詰めの作業。午後5時半から早稲田祭2006の運営スタッフと公開授業の打合せ。午後9時、帰宅。食事(メインは鱈の野菜あんかけ)の後、風呂に入り、草剛主演の『僕の歩く道』の初回を観る。自閉症の人間を主人公にした作品といえば、ダスティン・ホフマン主演の映画『レインマン』(1988年)が真っ先に思い浮かぶが、草の演技はホフマンと比べるとエキセントリックな感じが抑え気味である。
  一文の文芸専修を卒業してテレビ局で働いているSさんから久しぶりのメールが届いた。今度、海外の支局に赴任することになり、それを機に結婚することを決めたそうだ。ライフコース論の用語を使って言えば、職業経歴上の移行と家族経歴上の移行のシンクロナイゼーションである。たぶん彼女の人生の転機となることだろう。ただしいまはそれがどういう転機になるのかはわからない。転機とは回想的な出来事であるから。人間にとって重要なことは出来事の名称(転勤とか結婚とか)ではなく、その出来事に付与される意味である。われわれは意味の世界に生き、意味を求めて生きている。これから彼女の前に展開される風景がどのようなものであれ、それを見つめる生き生きとしたまなざしを失わないで歩いていく限りは、人生は素晴らしいと思えるはずだ。おめでとう。そしてグッドラック。