午前9時半ごろ起床。朝食前に昨日の分のフィールドノートの更新作業。いつもは就寝前にする作業だが、土曜日の夜というのは一週間の疲れが出るのであろう、更新作業の途中で、睡魔に襲われることが多い。昨夜もそうだった。そういうときは寝るに限る。更新されたフィールドノートを読んだ妻が、「女性雑誌を買う時って、恥ずかしくない?」と聞いてきたので、「あまり恥ずかしいという気持はないね」と答える。私にとっては本・雑誌=資料という感覚なので、その雑誌が想定している読者層と自分がずれていても気にならないのである。たとえば『たまごクラブ』は家族社会学的研究の格好の資料であるし、『日経WOMAN』はキャリア志向の若い女性の意識を知るにはいい資料である。購入する側にそういう確固たる意識があると、レジの人から「何?このおじさん」というようなまなざしを浴びることはない。もし浴びたとしても社会学者はそんなことでひるんだりはしない。
今日の課題は「新プレゼンテーション入門」の原稿を書くこと(今日と明日の2日間で書き上げること)。新学部の基礎演習のためのガイドブックに載せる原稿である。8月に「プレゼンテーション入門」の草稿(400字詰原稿用紙換算で40枚ほど)を書き上げたのだが、そこでは個人研究のプレゼンテーションが基本になっていて、その後、(1)基礎演習でのプレゼンテーションはグループ研究を基本にするという合意形成が行われた、(2)英文学の水谷先生の「アカデミック・ライティング入門」に加えてフランス文学の鈴木先生が「論文の読み方」についての文章を書き下ろしてくださった、この2点を踏まえて、従来の「プレゼンテーション入門」を全面的に書き直すことにしたのである。実は、31日が『社会学年誌』に寄稿する論文の締切で、この忙しいときに…という気持もないわけではないのだが、やはり中途半端な文章のままでは寝覚めが悪い。基礎演習がうまく機能するかどうかに新学部の命運がかかっている、というのはいささかオーバーな表現だが、新1年生にとって基礎演習はこれから学問の世界の探索に出かけるベースキャンプのようなものであるから、ガイドブックはしっかり書かないとならない。午後、書き出しの部分がなかなか覚悟が決まらず、夕方近くになって、ようやく書き始めることができた。書くべき諸要素は決まっているのだが、諸要素の最善の配列を決めるのに時間がかかったのである。しかし、一旦覚悟を決めて書き始めれば、これのあとにはこれ、そのあとにはこれ、と筋道は自ずから定まってくる。書き出しが一番自由度が大きく、後に行くほど自由度は小さくなるのである。なまじ自由があるから人間は迷い、不安になるのである。
今日の課題は「新プレゼンテーション入門」の原稿を書くこと(今日と明日の2日間で書き上げること)。新学部の基礎演習のためのガイドブックに載せる原稿である。8月に「プレゼンテーション入門」の草稿(400字詰原稿用紙換算で40枚ほど)を書き上げたのだが、そこでは個人研究のプレゼンテーションが基本になっていて、その後、(1)基礎演習でのプレゼンテーションはグループ研究を基本にするという合意形成が行われた、(2)英文学の水谷先生の「アカデミック・ライティング入門」に加えてフランス文学の鈴木先生が「論文の読み方」についての文章を書き下ろしてくださった、この2点を踏まえて、従来の「プレゼンテーション入門」を全面的に書き直すことにしたのである。実は、31日が『社会学年誌』に寄稿する論文の締切で、この忙しいときに…という気持もないわけではないのだが、やはり中途半端な文章のままでは寝覚めが悪い。基礎演習がうまく機能するかどうかに新学部の命運がかかっている、というのはいささかオーバーな表現だが、新1年生にとって基礎演習はこれから学問の世界の探索に出かけるベースキャンプのようなものであるから、ガイドブックはしっかり書かないとならない。午後、書き出しの部分がなかなか覚悟が決まらず、夕方近くになって、ようやく書き始めることができた。書くべき諸要素は決まっているのだが、諸要素の最善の配列を決めるのに時間がかかったのである。しかし、一旦覚悟を決めて書き始めれば、これのあとにはこれ、そのあとにはこれ、と筋道は自ずから定まってくる。書き出しが一番自由度が大きく、後に行くほど自由度は小さくなるのである。なまじ自由があるから人間は迷い、不安になるのである。