フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月5日(月) 曇り

2008-05-06 02:37:17 | Weblog
  結局、今年のGWは天候に恵まれなかった(関東地方は)。こんなはずではなかったのに・・・と思っているうちに明日はGW最終日である。天気予報は晴れ(降水確率0%)となっているが、信じてやんないかんね。
  土岐善麿(哀果)の短歌を少しばかり調べる。次回の大学院の演習(大正時代前後のライフストーリー)で各自が取り上げる作品をメールで申告するようにいっておいたところ、I君は石川啄木、斉藤茂吉、土岐善麿の三歌人を申告してきた。このうち善麿は、他の二人に比べると、私には馴染みが薄い。この際だからちょっとあたっておくことにしたのである。とくに印象に残った十首を年代順にあげておく。

  露西亜巻の煙草を喫いつつ、
   哀しみぬ、
  露西亜へ行くは、いつのことぞも。          (歌集『黄昏に』明治45年)

  手の白き労働者こそ哀しけれ。
   国禁の書を、
   涙して読めり。

  革命を友とかたりつ、
  妻と子にみやげを買いて、
   家へかえりぬ。                

  りんてん機、今こそ響け。
   うれしくも
  東京版に、雪のふりいづ。                   

  上草履。
  午後の休みに出でて踏む、
   銀座通りの、春の土かな。           

  労働をよろこぶ心を、ころすなかれ、―
  夏の街路に、
  口ぶえをふく。                     (歌集『不平なく』大正2年)

  人のよの不平をわれにをしへつるかれ今あらずひとりわが悲し
                              (歌集『雑踏の中』大正5年)

  槍投げて大学生の遊ぶ見ゆ大きなるかなこの楡(にれ)の木は
                              (歌集『緑の地平』大正7年)

  焼はらに茂りおひそふ夏草のちからをたのみ生きゆかんとす
                              (歌集『夏草』昭和21年)

  冬凪の空ふかぶかしかくばかり簡素に生きて人間のある
                              (歌集『冬凪』昭和22年)

  時計台の時計の針はいつも正午若葉すがすがしくけふもわが来つ
                              (歌集『春野』昭和23年)