フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月11日(日) 雨のち曇り

2008-05-12 01:54:53 | Weblog
  鶯谷の菩提寺のお施餓鬼法要に母と妻と出かける。私の父の従兄弟で、先月、前立腺癌の手術を受けたTさんは、さすがに今回は欠席だろうと思ったら、ちゃんと出席されていたので驚いた。手術後、今日が初めての遠出とのことで、ちょっと疲れるとは言っておられたが、普段どおりの若々しい口調で、安心した。法事のときにTさんにお会いすることは、法事の楽しみの一つなのである。

         

  夕食は家族で外に食べに出る。母の日なので駅ビルのレストランは満員のところが多かったが、居酒屋の「庄屋」がちょっとした穴場で、待たずに6人掛けのテーブルに座れた。それぞれが「○○御膳」というセットものを注文。私と息子はすき焼御膳。ところがそれを運んできた店員が間違えて、娘の前に置いた(娘は豆腐ハンバーグ御膳を注文した)。「あっ、違います」と言ったら、その店員は「すみません。すき焼御膳はてっきり男性の注文だと思い込んでいましたもので・・・」と言ったので、一同「・・・?」。つまり、店員は娘を男だと思っていたのである。私はこれまでの人生で他人から性別を間違われた経験がない。だから性別を間違われるとどういう気持ちがするのものなかを想像することが難しい。ただ、男性が女性に間違われるのと、女性が男性に間違われるのとでは意味合いが違うであろうということはわかる。近代社会は男性上位社会であるから、男性が女性に間違われることは「下降的錯視」であり、女性が男性に間違われることは「上昇的錯視」である。だから上昇志向・自立志向が強い女性は、上昇志向・自立志向が強い男性の場合よりも、性別を間違われるショックが小さいのではないかと推測する。娘は苦笑しながら「これで3回目だ」と言った。少し前にこのブログで書いたことだが、娘は卒業=就職を機に髪を短くした。ボーイッシュにしたのである。TVドラマ「ホカベン」の上戸彩によく似ている。もしこれで髪を左から右へピシッと六四に分けたら、そっくりといっていい。ただし、今回の錯視は上戸彩似とは関係が薄いであろう。なぜなら店員は娘の背中しか観ていなかったからである。ときに今回の食事代は娘の奢り。初月給からの大盤振る舞いであった。