フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月8日(木) 曇り

2008-05-09 09:59:33 | Weblog
  昼から大学へ。地下鉄の駅を出ると、馬場下の交差点付近が騒然としている。これから中国の胡主席が大学で講演を行なうのだ。3限の大学院のゼミは36号館の最上階(8階)の演習室で行なったが、その間、窓の外から拡声器の音がずっと聞こえていた。ゼミの後、大隈講堂の前まで行ってみる。機動隊が配備される中、チベットの国旗を掲げた一団と中国の国旗を掲げた一団が対峙し、それを一般学生や報道関係者が取り囲んでいた。私が担任をしている1年生のクラスの学生たちが来ているのではないかと思ったのだが、姿は見えなかった。「高田牧舎」で遅い昼食(カツサンドと珈琲)をとる。5限はその1年生の基礎演習。プレゼンテーションの班分け(一人でもそれに取り組んでみたい課題があるのであれば、個人でも可とした。)と発表の順番を決める。発表へ向けての段取りなどを説明し、少し早めに終わる。鬱陶しい気分の一日だった。
        
  帰りの電車の中で、永井荷風「妾宅」を読む。

  「どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴つて行くことが出来ないと知つたその日から、彼はとある掘割のほとりなる妾宅にのみ、一人倦みがちなる空想の日を送る事が多くなつた。今の世の中には面白い事が無くなつたといふばかりならまだしもの事、見たくでもない物のかぎりを見せつけられるには堪へられなくなつたからである。進んで其等のものを打破(うちこわ)さうとするよりも寧しろ退いて隠れるに如くはないと思つたのである。・・・(中略)・・・かくして先生は時代の生存競争に負けないため、時代の人達のする事は善悪無差別に一通りは心得てゐやうと勤めた代わり、さうするには何処にか人知れず心の隠れ家を求めて、時々は生命の洗濯をする必要を感じた。・・・(中略)・・・先生は現代生活の仮面を成るべく巧みに被りおほせるためには、人知れずそれを抜き捨てるべき楽屋を必要としたのである。」

  心情としてはわかるが、社会学的に見るならば、妾宅は楽屋ではなく、また別の一つの舞台である。主人公はそこで仮面を取った気でいるが、お妾さんや下女を前にしてある種の芝居を演じているのである。彼が妾宅を「心の安息所」と感じるのは、仮面をつけていないからではなく、その仮面が気に入っているからだ。
  蒲田に着き、腕時計を見ると、時刻は7時。喫茶店の客を演じている時間はなさそうだった。家庭という舞台(夕食の場)の開演に遅れてはならない。