フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月14日(水) 曇り

2008-05-15 02:38:02 | Weblog
  お昼に家を出る。蒲田駅のコンコースにあるお弁当の店で昼食用に万世のカツサンドを購入し、研究室で基礎講義のレビューシートへのコメントを書きながら食べる。食事をしながら仕事はしない主義だが、時間がないときはしかたがない。サンドイッチはこういうときのためにピッタリだ。午後2時から運営主任会。引き続いて4時半から基本構想委員会。午後6時に終了。今日の空模様のようにパッとしない議題が多かった。
  往き帰りの電車の中で松原惇子『「ひとりの老後」はこわくない』(海竜社)を読んだ。ベストセラーになっている上野千鶴子『おひとりさまの老後』(法研)の二匹目のドジョウを狙ったようなタイトルだが、松原は上野よりも1つ年上の1947生まれ。1988年に当時のジャーナリズムで人気のあった「自立する女」や「翔んでる女」とその追随者たちを批判的に論じた『クロワッサン症候群』で注目される。「ひとりの老後」は彼女の長年のテーマで、もっと早い時期に書く予定だったと「おわりに」で書いているが、上野に先を越されてしまった悔しさがにじみ出ている。彼女の文章ははぎれがいい。その点は上野と共通である。印象に残った(ただし必ずしも同意という意味ではない)文章をいくつかあげてみよう。

  「誤解されると困るので先に言っておくが、わたしは結婚を否定し、シングルを勧めるものではない。むしろ、出来たら結婚はしたほうがいいと思っている。なぜなら、シングルで一生を生き抜くのは、そう甘くはないからだ。」(25頁)

  「まだ、三十代のうちからシングルで生きると決めている女性が、どれだけいるのかは知らないが、三十代のうちから、決めることもないように思う。ただ、問題は、四十歳になってからだ。四十歳になっても、「もしかしたら結婚するかもしれないから」という甘い夢を描いていると、結果的に、結婚もできないし、ひとりでも生きていけない中途半端な人生を送ることになるので、注意したい。・・・(中略)・・・シングルのまま四十歳になったら、シングルで生きる覚悟を決めよう。何もそんなに肩肘はって宣言することもないが、オリンピックと同じで、宣言は大事だ。言葉にして自分に誓うことに意味がある。黙っていては駄目だ。」(26-27頁)

  「老後の不安というのは、先でぼんやりしているときほど強く、はっきりと姿を現してくると、逆に怖くなくなるもののようだ。」(33頁)

  「先輩の話は聞く価値がある。極端な言い方をすると、老後の不安は、勉強不足から来ているといえる。」(38頁)

  「ひとりだろうが、二人だろうが、人として生まれた以上、寂しくて孤独なのだ。それが嫌なら動物に生まれてくればよかったのだ。動物は涙を流して泣かない。それは寂しくないからだ。」(41頁)

  「孤独を解決するために、結婚する人がいるが、それは一時的な応急措置であり、また、生活に慣れると孤独が顔を出すことを知っておく必要がある。」(42頁)

  「わたしもそうだったのでわかるが、いくら「顔を造作の悪さ」を嘆いてもきれいになるわけがない。・・・(中略)・・・きれいに生まれなかった利点に目を向けたい。そんなのないと言うかもしれないが、それがあるのだ。きれいでない人は目立たないという利点があるのだ。・・・(中略)・・・たぶん、あなたはわたしと同じで、あまりきれいじゃないから「そんなことはない。きれいな人は得よ」と言うのだが、現実は意外と逆なのである。嘘だと思うなら、きれいな人に聞いてみてください。」(47頁)

  私は夕食のときに妻と娘に聞いてみた。「一般論として聞くが、美人で損をすることはあるのか」と。娘曰く「性格が悪いと思われる」。妻曰く「きっと彼氏がいるに決まっていると思われて男性が寄ってこない」。二人とも即答だった。ふ~ん、あるんだ、やっぱり・・・。