フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月27日(水) 晴れ

2010-01-28 11:40:04 | Weblog

  6時ごろ目が覚める。親不知の抜いたあたりがじわじわ痛む。起きて、鎮痛剤を飲み、また眠る。9時、起床。卵焼き、トースト、ホットミルクの朝食。今夜の区民会議のための資料を作成し、担当課にメールで送る。放送大学の教務課のS氏から放送大学叢書の件でメールが届く。折り返し電話をして不明の点を尋ねる。だいたいわかったが、当初のイメージとは大分違う。
  午後から大学へ。途中、品川駅のエキュートでダロワイヨのマカロンを購入。「生活設計論」の宮城まり子先生へのお土産である。教員ロビーで宮城先生の授業(試験)が終るのを待っていると、某先生が通りかかって、ちょうどよかった、ちょっと相談したいことがあるというので、先生の研究室へ。初めて聞く話で、それがほんとなら(ほんとらしいが)困ったことになった。やれやれと嘆息しつつ、教員ロビーに戻る。ほどなくして答案用紙をたくさん抱えた宮城先生が現われたので、今期の授業のお礼を述べ、来期の授業のご要望をうかがう。今期は453教室という階段教室で授業をされたのだが、机が固定しているためグループ・ディスカッションには不便だったので、来期は机の動かせる教室を希望された。さっそく事務所へ行って、その旨を伝える。おそらく151教室あたりが割り当てられることになるだろう。
  生協で以下の本を購入。帰りの電車の中で読む。

  荒川洋治『読むので思う』(幻戯書房)
  西村大志編『夜食の文化史』(青弓社)
  阿部真大『ハタチの原点』(筑摩書房)

  「なるべく人と話さない。そんな世の中なので、ぼくもあまり人と話さなくなった。だから、ことばと会える機会も、だんだん少なくなった。」

  荒川洋治のエッセー「駅から歩く」はこんなふうに始まる。いきなり読み手の心をつかむ文章だ。

  「先日ひさしぶりに郷里に帰り、町中を歩いた。そこは自分の生まれたところと少し離れている。中学に通っていたころ。一度くらいは通ったことのある、というようなところだった。雨が降ってきた。傘をさした。
  向うから、おばあさんが歩いてきた。
  このあたりに住む人だろう。
  傘をさしているので、お互いに顔は見えない。すれちがいざまだった。その婦人はぼくに声をかけた。
  『だんなさん、電車降りてきなさったんか』
  と。声をかけたまま、通り過ぎた。ぼくは『はい』と、あいまいな返事をした。
  知らない人だ。こんなところで話しかけられるとは、ゆめにも思わなかったので、少しおどろいた。おどろきがおさまったあとで、ぼくはそのことばを振り返った。」

  荒川はなぜおばあさんが自分に『電車降りてきなさったんか』と声をかけたのかをあれこれ考えた。あれこれの部分を具体的に引用すると長くなるので(ほんとにあれこれかんがえるものだと私は感心した)、割愛するが、「ぼくには、なにかしら『駅の匂い』がしたのだと思う。このへんを歩きなれていないことを、足どりから感じたのかも。」という考えには、なるほど、と思った。あれこれ考えた末に荒川はこう思う。

  「でも、そこまでこまかく考える必要はない。おばあさんは、見知らぬ人にもちょっとしたことばをかける人なのだ。昔の人はみな、そういう、やさしいところ、あたたかい気持ちがあった。でもそれ以上に、このことばは、よいものだとぼくは感じた。
  こちらの姿を見つけてから、近寄る間に、どんなことばをかけようかと考えるはずはない。おのずから生まれたことばだろうが、『電車降りて』という表現はこの場合にふさわしい。あいさつとして、ありきたりではない。なかみがある。こころもある。それがあのおばあさんのことばだったのだと思った。」

  普通のエッセーならば、ここで終るだろう。でも詩人のエッセーはもっと余韻のある終わり方をする。

  「しばらくすると『めがね橋』という小さな橋の下に、三国港駅のこれまた小さな駅舎が見えた。路地を降りると、日本海が見える。浜辺に出た。ほとんど人はいない。そこでぼくはバスを待った。電車を降りた男は、いまはバス停にいた。雨はまだ降っていた。」


ひと頃に比べると日が長くなった

  夜、大田区男女平等推進区民会議。今日は大田区役所の職員会議の方々との懇談。第6期(平成23ー28年)の男女共同参画推進プランの下案を作るのは職員会議の仕事なので、彼らとの懇談は重要な意味をもつ。今日の会合だけで懇談は終わりということではなく、プラン作りが本格化する4月以降、継続的に会合をもっていきたい。